狡猾な命乞い
「おい、起きろ。起きろ、えっっと……ヴァンヘルヴだっけ?」
「っ、ぬぅ……ぅ」
平手で頬を強めに叩かれ、男は目を覚ました。
「くっ、ここは……」
起こされた男は辺りを見回して自分の状況を理解する。
いま横たわっているのは自分の部屋でなくて暗い森の中。
自分は侵入者によって攫われたのだと察する。
「……ワシをどうする気だ。ワシは領主のヴァンヘルヴだぞ!」
ヴァンヘルヴは心を強く持って言い放つ。
弱気では相手につけ込まれる。決して心が折れぬようにと。
無駄に気位の高いささやかな反抗でもあった。
だが――
「っがぶ!?」
横っ面を拳で殴りつけられた。
あまりの痛みに殴られた所を手で押さえようとしたが、両手を後ろで縛られていることにそこで気が付く。
仕方なくアゴを引いて痛みが散っていくのをじっと待つ。
「……質問だ。お前の息子は何処に居る?」
「ぐっ、息子の居場所? 貴様はヴォルガナッカーに雇われた者ではないのか?」
「違う。取りあえず質問に答えろ」
「ぐあっ!! ――貴様っ、ワシを誰だと思っておるのだ! ワシはっ」
「クソ領主さまだろ?」
「貴様っ! 領主であり、勇者オオヤマ様の曾孫であるワシを愚弄する気か!」
そう、ヴァンヘルヴは勇者大山真人の曾孫であった。
そしてそれを笠に着た、やりたい放題の領主でもあった。
本来なら咎められるようなことも、それを咎める者がおらず、ヴァンヘルヴは増長していた。
そしてその結果がネトリ税だ。
ネトリ税という概念を持ち込んだのは確かに勇者大山だが、それをここまで浸透させたのはヴァンヘルヴの家だ。
彼らは隔離されたことを利用し、三つの村を支配し続けた。
決して贅沢ができる暮らしではないが、自分たちの上に立つ者がいないことを彼らは選んだのだ。
だからこんな扱いは、ヴァンヘルヴにとって初めてのことだった。
『何故、ワシがこんな目に』と奥歯を噛みしめる。
しかし彼には、一つだけこんな目に遭う心当たりがあった。
それは息子の結婚式の出来事。
そのときヴァンヘルヴは、息子の嫁を初めてちゃんと見た。
今まで何度か会ったことはあったが、そのときは畑仕事で煤けた姿だった。
だからヴァンヘルヴは何の気にも止めていなかった。
しかし花嫁として着飾った姿は別人のようであった。
それはもう、息子などには勿体ないと思うほどに……
ヴァンヘルヴの心はぐつぐつと黒く煮え滾った。
そしてヴァンヘルヴは大きな間違いを犯す。
一族同士では寝取らないという暗黙の協定を破ったのだ。
そんなことをしたら一族同士で争う火種となるというのに。
暗黙の協定を破った結果、息子の嫁が自害した。
そして息子であるヴォルガナッカーに、殺したいほど憎まれることになった。
実際に、危ういと感じる場面もあった。
だからヴァンヘルムは自身の警備を増やした。
自身が住む村に見張りを増やし、巡回させるようにもした。
普通だったら夜の見張りなんて一人程度だ。村の入り口に誰か付けるぐらい。
そんな中、ヴァンヘルヴは攫われたのだ。
だから彼は真っ先に自分の息子を疑った。
息子のヴォルガナッカーが誰かを雇ったのだろうと。
「くそっ、このままでは……」
ヴァンヘルヴは思考を巡らせる。
目の前にいる黒ずくめの男は、十中八九息子が雇ったゴロツキだ。
息子のことなんて知らないと言ってはいるが、そんなのは嘘だ。きっと金か女で雇われたのだろうと、そう当たりをつけた。
「金なら倍を出そう! いや、三倍だ! そうだ、専属の護衛として雇ってやってもいい。どうだ? 息子なんかに付かないでワシに付かんか?」
「……」
懐柔を試みるヴァンヘルヴ。
だが彼は、目の前の男を完全に見誤っていた。
確かに目の前にいる黒ずくめの男は目つきが悪く、その辺に転がっているゴロツキに見えないこともない。狼を模した仮面を被っているがその眼はよく見えた。
だから見誤ってしまった。
言葉遣いも粗野で、品性というものを微塵も感じさせない男を、息子に雇われたただのゴロツキだと。
「あの、ジンさん、どうですか?」
「ら――ララさん。出て来なくて良かったのに。……できれば見せたくない」
――ぬっ!? 女の声? コイツの仲間か?
黒ずくめの男以外の者がやってきた。
二人の会話の内容から、女が黒ずくめの様子を見に来たよう。
ヴァンヘルヴはそう判断し、やってきた女の方を見る。
「――っ!?」
フードを被ってよく見えないが、それでも恐ろしいほど美女だと判った。
”アカリ”によって薄く照らされた下顎はスルリと細く、村娘では見られない艶やかな稜線。
深く被ったフードの奥で、静かに光るアイスブルーの瞳に心が高鳴る。
ヴァンヘルヴは、一瞬、惹き込まれそうになった。
だが、ここで色目を見せようものならどうなるかは明瞭明白。
彼はグッと堪えた。
「た、頼む。そちらの方にも同じ額を払うし、専属でも雇う。だからどうか」
「……」
ヴァルヘルヴは正座で懇願する。狡猾な命乞いを。
ちゃんと黒ずくめの方を見て、ローブを纏った女の方には目を向けていない。
ただ黒ずくめの方だけを見た。
こういった輩は、女の方を見ると気分を害する。
黒ずくめの機嫌と独占欲を害さぬようにと、ヴァンヘルヴは細心の注意を払った。
――が、その裏では怒りと欲望を滾らせていた。
( ゴロツキがっ、いつか見てろよ )
彼の頭の中では今後の予定が組まれ始めていた。
まず息子へ報復。
これには黒ずくめのを使えば良いと考える。
良い意趣返しになると。
次はこの黒ずくめへの報復。
いまはへりくだってやるが、時が来たら縛り付けて拘束してやる。
そしてそのときに、殴られた回数の百倍殴ってやると、そう心の中で誓う。
その後は、この女を目の前で――
( はは、これは楽しくなってきたぞ )
この苦痛も良いスパイスになる、そんなことを考える。
女をどうやって嬲ってやろうかと、ありとあらゆることを夢想する。
ヴァルヘルヴは、黒ずくめが寝返ると確信していた。
何の根拠もなく……
「――おい、だから訊いてんだろ。息子はどこだよ」
「知っておるだろう、ヴォルガナッカーは隣の【二の村】だ。だから息子よりも金は払うから……?」
ヴァルヘルヴは、ここで空気が変わったことに気が付いた。
二人からの興味が一切に感じられなくなった。
もう何かが決定してしまった、そんな気配を感じる。
「ララさん、二の村って確か……」
「はい、最初の村とは別の村かと」
「お、おい。無視をせんでくれ」
「あ、ズタ袋ってあった?」
「あの、これで良いでしょうか?」
「うん、それで良いね」
「では――」
このままでは危ない。
ヴァルヘルヴはそんな予感がした。
だから逃げようとするが――
「っがぁ!? がああああぁぁ」
右脚の付け根に、目玉が飛び出しそうな程の激痛が走った。
何が起きたのか恐る恐る視線を下げてみると、そこには肉厚の穂先が埋まり込んでいた。
「動くな。ララさん」
「はい。では、眠らせます」
「――っ」
ここでヴァルヘルヴの意識は途絶えた。
女は眠らせると言っていたが、それは眠らせるというよりも、意識を断ち切るようなモノであった。
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あと、誤字脱字もー