結婚しよう
「――は?」
目の前のクソジジイが訳の分からないことを言った。
( いま、なんて言った? )
人は本当に訳が分からないことを言われると、言われた言葉がバラバラにしか認識できないことを知った。
何故か細かく区切った片言のように聞こえる。
――『旅のお方』って……俺のこと?
次は『ちとスマンが』って……え、何を謝っている? ん? あれ?
アンタの……俺の? 嫁を? ラティさんを? ん?
俺の嫁とはラティさんのことだろう。
ラティさんはすっごい美人さんで綺麗、そんでもってときどき超可愛い。
記憶喪失で情けない俺のことを立ててくれるし、困ったときはいつも助けてくれてガチで凄い。マジで凄い。超絶に凄い。まさに世界だ。
端的に言えば、『俺の理想が来た』って感じ。
「……もし、旅のお方? 聞こえておりますかの?」
「へ? え?」
かなり思考が飛んでいたが、クソジジイに声を掛けられて意識が戻った。
取りあえず俺は聞き返す。
「えっと、すいません、ちょっと何を言われたのか分からなくて。えっとぼくの妻が何でしたっけ?」
「……」
さっきまで薄い笑みを浮かべていたクソジジイが、スンっと静かになった。
物分かりの悪い子供を相手にしているような顔だ。
「……もう一度言いますな。アンタの嫁さんをこの村のために一晩貸して欲しいのじゃ。ローブを被っておってよくは見えんが、チラリと見えた者が言うには大層な別嬪さんみたいじゃからのう。ほんにちょうど良かった」
クソジジイはそう言って後ろのラティさんへと視線を向けた。
俺はその視線を身体で遮りながら聞き返す。
「えっと、ちょっと確認なんですけど。一晩貸してとは、どういうことでしょうだ、じゃなかった、どういうことでしょうか?」
一瞬、怒りが迸りそうになったが、何とかそれを抑える。
後ろには子供たちがいるのだ、ここで荒れる姿を見せたくない。
それに、『一晩貸して』という言葉に誤解があるのかもしれない。
自分が想像しているモノとは違い、他のことを指している言葉なのかも――
「一晩は一晩ですよ。アンタの嫁さんの身体を領主さまに献上するのですじゃ。ここに泊めてやっているのですから、それぐらい良いじゃろう?」
「――なっ!?」
「もちろん領主さまが抱き飽きたらお返しする。それは約束しよう。領主様がお好きなのはNTRであって、占有することが目的じゃない。だからその辺は安心してくだされ」
「――アホか! 何だよそれ! 何だよネトリって、アホかっ!!」
「おや? 旅のお方は、ネトリをご存じないと?」
『はて?』と首を傾げるクソジジイ。
そのまま首を180度ほど捻ってやろうか、そう思ったとき。
「あの、ヨーイチさん。ネトリとは、過去に召喚された勇者さまが伝えた文化です」
「え? ラティさん??」
「確か、他者の伴侶を――」
「――言わなくていいから!! いや、言わないでくださいっ」
全力でラティさんを止める。
ネトリの説明を彼女にさせるのは嫌だ。
謎の背徳感とでもいうべきか、要はそんな感じだ。
「良いですか旅のお方。ネトリとは勇者オオヤマ様が遺した高尚な文化ですよ? それを拒否するということは、勇者様に弓を引くと同意義。どうか、そのような罪深いことはなさらぬよう」
「アホかああああああああああああああああああああ!!」
――何だよ、そのぶざけた文化は!
馬鹿かよ、いや馬鹿だろ! その大山ってヤツは大馬鹿だろ!
何が高尚な文化だ! 下劣の間違いだろうが!
そもそも文化でもねえ、単なる性癖だろ、しかも悪質な……
召喚された勇者ども何をやってんだと喚きたくなる。
いくら何でも酷すぎるだろう。俺は思わず頭を抱えてしまった。
「あの、ヨーイチさん?」
「ごめん、ちょっと取り乱した」
頭を抱える俺を気遣ってくれるラティさん。
深く被っていたフードを少しズラし、彼女が心配そうに覗き込んでくる。
「ほう、これほどとは……」
ラティさんの顔を見たクソジジイがポツリと呟いた。
そして満面の笑みで口を開く。
「これならば、領主様も大変喜んでくれることでしょう。もしかすると村への税が半分になるやもしれませんな。本当に助かりますじゃ」
「は? 何を言って……」
「ですから、ネトリを税として領主さまに納めるのですよ」
「くそがっ」
咄嗟に手が動きそうになった。
いや、もし槍を手にしていたら脚の付け根辺りを突き刺していた。
しかし槍は馬車の中だ。村人に無用な警戒心を抱かせぬように、俺たちは武器は馬車の中に残してきたのだった。
「わたしは、ヨーイチさん以外に肌を許すつもりはありません」
「ぬっ」
凜とした声で言った。
真っ直ぐに射貫くような視線で。
「……ラティさん……」
『結婚しよう』
そんな想いが俺の中を駆け巡る。
「いや、してたな。――おい、クソジジイ。俺たちはもう出て行く」
「何を勝手なことを!? アンタらはこの村のために――っうわ!?」
クソジジイが何を反論しようとしたが、俺はその前に突き飛ばした。
後ろへとよろめいて尻もちをつくクソジジイ。
本来なら高齢のご老人にそんなことはしたくないが、このクソジジイにそんな敬意を払いたくない。
「どっか行け!」
威嚇するために外へと出ると、取り囲むように村の住人たちがいた。
俺たちを逃がさぬように皆で壁を作っている。
先ほどラティさんが言っていたことはこれのことだろう。
「おい、よくもうちの村長を突き飛ばしてくれたな」
体格の良い村人の男が、俺のことを睨みながら吠えた。
男は腕を組んで、俺のことを威嚇するように立っている。
「知るか、そのクソジジイがふざけたことを言ってきたんだ。ここに泊まる代償としてラティさんを貸せだ? 寝言なら棺桶に入ってから言えっ」
「ふん、おれたちに、この村に逆らおうってのか? いいから大人しく嫁を貸せ。そうすりゃこの村の税は少なくなるんだ。別にいいだろう、減るモンじゃねえんだし」
「てめっ」
「あ~~そうだった。領主さまに献上する前に一回調べないとだな。ちゃんとデキるのかってな」
体格の良い村人の男は、そう言っていやらしい笑みを浮かべながら、右手の指を不快にくねらせた。が――
「――はぇ?」
体格の良い男の右手から赤いモノが噴き出した。
それをきょとんとした顔で見つめる体格の良い男。
何が起きたのか全く分かっていない様子。
ボトリと音を立てて、手のひら大のモノが男の足下に落ちた。
「え? あ、え? ――っぎゃあああああああああああああああ」
落ちた手のひら大のモノは、体格の良い男の右手だった。
右手首から血を流しながら、己の手首と落ちた右手を交互に忙しく見ている。
他の村人たちは一斉に距離を取った。
「もう一度言います。わたしの肌は、ヨーイチさん以外に許すつもりは御座いません」
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あと、誤字脱字なども……