阻止、限界点
「ねえ、部屋に入れてくれないかなぁ?」
「あ、え、っと……へ?」
「ダメ、かなぁ?」
儚くも可愛く縋るような上目遣い。
だけどあざとさなどは一切なく、不快感を感じさせない潤んだ瞳。
それは絶妙にバランスが取れた上目遣いであり、男子生徒なら誰もが恋に落ちてしまう、そんな瞳であの葉月由香が俺のことを見上げていた。
葉月由香。
彼女は俺の同級生であり、学校一の美少女と称されている女の子。
葉月は容姿もそうだが、性格もすこぶる良いと評判で、男子生徒の中で彼女のことをよく思っていないヤツはいない。
たぶんだが、上級生や下級生にだって人気はあると思う。
そんな彼女が――迫ってきていた。
「ねえ、陽一君。ダメかなぁ?」
「ぐっ」
薄目の布地、Yシャツ一枚だけの葉月が一歩前に出てきた。
パッと見だが、下には何も穿いていないように見える。
さすがに下着は穿いていると思うが、下着が見えそうな時点でどうかと思う。
もし愛娘のリティちゃんがそんなことをしたら卒倒するし、相手の男を絶対に殺すし、八つ裂きにして魚の餌にする。
「は、づきさん……。部屋に入りたいってことは、この部屋に? え? この部屋に入りたいってこと?」
パニクって訳の分からない確認をしてしまう。
もし『そうだ』と言われたら非常にマズい。それは一種の詰みだ。
俺はうっかりそれを言ってしまった。
「うん、そうだよ」
「~~~~~っ」
軽く詰んでしまった。
ここから何を言ったら良いのかさっぱり分からない。
仮に『駄目』だと言っても、『なんで?』と返されるのが目に見えている。
そしてそうなると、入ってはいけない説明をすることになって泥沼だ。
「えっと……えっと……」
迂闊に言葉を発することができない。
何か言おうものなら、それを言質として取られ、より厳しい状況に追い込まれそうな雰囲気が漂っている。
『沈黙は金』とはよく言ったものだ。
あの言葉はきっと、このような状況に追い込まれた人が生み出した言葉なのだろう。きっとそうに違いない。絶対にそうだ。
「ねえ、私じゃダメかなぁ?」
葉月が切なそうにYシャツの胸元を握った。
何とも保護欲をそそる姿。いや、掻き立てると言った方がいいかもしれない。
( ――えっ? )
葉月が握り込んだ手に目を向けたとき、俺はあることに気が付いてしまった。
握り込んだことでYシャツが引っ張られ、彼女の身体ラインがより明確になって気が付いてしまった。
早い話が、ブラ的な物を着けていないことが分かってしまったのだ。
とても柔らかそうな丸みが、白いYシャツを押し上げている。
目を凝らして見れば、もっととんでもないモノが見えてしまうかもしれない。
俺は視線を横へと逸らした。
すると――
「ねえ……」
『ダメなの?』と、全身でそう語りながら葉月が一歩近寄ってきた。
顔の位置が近くなり、その気まずさからまともに前を見ることができない。
上目遣いの彼女の瞳がしっとりと濡れている。
「さすがにマズいからっ。横の部屋にはラティたちが居るんだし、変な誤解とかされるっての……。だから葉月さん」
「うん、大丈夫。みんなぐっすり眠っているから。……ちょっと魔法とか使っちゃたけどね」
「はいっ!? 魔法??」
「前は魔法で寝かそうと思っても絶対に掛からなかったのに、何故か今日は魔法が掛かったんだよね。だから起きてこないよ」
「いやいやいやいあっ、え? 魔法で寝かした? スリプルとかそういった感じの魔法? そんな魔法とかもあるんだ――って、そうじゃねえ!」
「だからね、陽一君……」
彼女の瞳が真っ直ぐ俺のことを捉えていた。
このままではキスでもしてしまいそうな、そんな空気が場を支配している。
あと少し、あと少し間合いを詰められたそれを許してしまう。これ以上は阻止限界点だ。
「――だ、めだ……」
「……」
腕を伸ばして葉月を遠ざけた。
できるだけ触れぬように、手の平の下の方で彼女の肩を押し止めた。
しかし――
「ねえ、なんでダメなのかなぁ?」
「ちょっ、え? 何デッテッテ? て?」
葉月は肩に置かれた手を握り、それを優しく下ろした。
当然、そんなことをされたら体勢的に距離が近くなる。
しかも今度は手を取られた状態。離れた位置から見たら、良い雰囲気で手を握り合っているように見えないこともない。
そんな状態で葉月が一歩前に踏み出る。
力任せに振りほどくことができない訳ではないが、彼女にそんなことをできる度胸は俺にはない。
俺は一歩後ろへと退いた。――しかしそれは悪手だった。
「うん、入ってイイってことかな?」
「なっ!?」
確かにそういう捉え方もできなくはない。
葉月が追撃を仕掛けてきた。
「ねえ、陽一君……」
熱を帯びた瞳でベッドへと見る葉月。
握られている手に、そちらへと力が込められた。
「――ごめんっ、俺には、ラティさんが居るから……」
「記憶喪失なのに?」
「記憶はないけど……分かるんだ。心ってか、そういうので分かる」
握られていた手をやんわりと振りほどき、俺は後ろへと距離を取った。
「そっか~。じゃあ、仕方ないか。せっかく記憶を戻す手伝いをしようと思ったのに。ざ~んねん」
もの凄く良い笑顔でそう言ってきた葉月。
先ほどの熱っぽく艶のある雰囲気はまったく感じさせない笑顔。
「……記憶を戻すって、どうやって記憶を戻すつもりだったんだよ。ったく」
「うん? それはキスだよ」
「は? いや、そんなおとぎ話とか童話じゃねえんだから……」
「ううん、そういうのじゃないよ。キスで思い出すかなって、あのときのこと」
「え?」
ふと、柔らかさと甘い香りが脳裏をかすめた。
まったく覚えが無いのに、葉月とキスしたことがあると何故か解った。
そう、何故か解った。俺は彼女の唇の柔らかさを知っている。
「おやぁ~? ひょっとして陽一君。お・も・い・だ・し・た?」
「知らんっ! マジで知らねえから! マジであれだから!」
「ふっふ~ん。そっか~、そうなんだ。じゃあ今日のところは引いてあげるね。でも、ちゃんと覚えていてくれたんだ。……ううん、刻まれた、かな? だから今日はここまでで許してあげる」
「…………勘弁してくれ」
「じゃあね、陽一君」
「ああ、――っ!」
葉月が部屋を出ようと身を翻したとき、彼女のYシャツがヒラリとした。
思わず目で追ってしまう。
「あっ、見えた?」
「……………………何のことでしょうか」
全力で目を逸らした。
俺は何も見ていないし、何も見えなかった。マジで見えなかった。
「ふふ、じゃあ、おやすみ」
そういって葉月は元の部屋に戻って行った。
その後俺は、マジで色々と苦労したのだった。
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