じゃあな
秋音ハルの行動には全員が呆気に取られた。
井戸の深さを確かめるために石を投げ込むような、そんな感じで橘をゲートへと放り込み、安全と判ったら何も告げずに行ってしまった。
「……まあ、アイツらしいか」
本当に、最初から最後まで秋音ハルは秋音ハルだった。
目的のためなら一切躊躇わず、そして手段を選ばない。
橘を放り込んだことだって何とも思っていないだろう。
「じゃあ、次は僕かな」
「へ?」
秋音ハルに呆気に取られていた中、次に動いたのは赤城だった。
ヤツはスタスタと歩き、元の世界へと戻れるゲートの前に立った。
「赤城、お前、帰るのか?」
「ああ、僕は帰るよ」
「はあ? 何で? だってお前は……残るもんだと……」
思わず零れ出すように尋ねてしまう。
赤城はこの異世界に残って色々やるのだろうと思っていた。
実際ボレアスに深く食い込んでおり、コイツがやりたそうなことは可能だと思っていた。早い話が内政無双だ。
「うん? 理由は簡単だよ、陣内君。近い将来間違いなく僕は邪魔になる。僕という存在がボレアスにとって害悪となる」
「は? どういうことだ?」
「だから簡単な話さ。まだ若く新しい公爵と、魔王を討伐した勇者の僕が居たらボレアスはきっと二つに割れる。あれだけ大きな都市だ、どうやったってそういう問題は発生する。いいかい? これは――」
赤城は俺にも分かるように話をしてくれた。
要は、血統による後継者と、魔王を討伐した勇者の人気は共存できないそうだ。
血統を重視する者。
偉業を果たした勇者を持ち上げる者。
この二つは間違いなく軋轢を起こし、当事者の意思など関係なしに争いを引き起こすそうだ。
相手が異性だったら違ったのだろうが……
そして現在ボレアス公爵家の内情はガタガタ。
フユイシ伯爵家からの侵略の件がまだ尾を引いている、そんな下らない争いをしている場合ではない。
だから揺るがないトップを作るために、赤城は異世界を去るのだと言った。
「――そういう訳だ。じゃあ、後は頼んだよ。ドライゼ――いや、ボレアス公爵様」
「ぐっ、はい、任せて下さい。アカギ様」
いつの間にかやって来ていたドライゼンは、公爵という立場にもかかわらず赤城に頭を下げた。
少し長くなった赤髪が揺れる。
「あっ、そうだ。これをみんなに」
赤城は【宝箱】から大量の金貨を取り出した。
箱や布袋になどと、持ち運びし易い状態の金貨を地面に置く。
そして――
「これを、貴方に」
「――っ! ……はぃ、ボレアス公爵家の家宝とさせていただきます」
赤城が手渡したのは眼鏡の付加魔法品。
確か手を使わなくても【鑑定】ができるといった、そんなちょっと便利なアイテムだ。
それをドライゼンに手渡したあと赤城はゲートへと向かい。
「じゃあね、後は頼んだよ、ボレアス公爵様――」
そう言って手を振りながら消えていった。
いまの何気ないやり取りは、赤城からドライゼンへの最後の援助だろう。
赤城《勇者》からボレアスの未来を託されたと、これを見た者にはそう映ったはずだ。
「全部、全部忘れる……やっと全部無かったことに……」
「綾杉……」
赤城を見送った余韻に浸っている中、おぼつかない足取りで勇者綾杉が歩み出て来た。
そして一度も振り返ることなくゲートへ入って行く。
「……」
誰も声を掛けられなかった。
綾杉の身に何があったのか、この場に居る者はほぼ全員が知っている。
当然の選択、納得、理解、そういった感情で綾杉を見送る。
「そりゃ、喜んで帰るよな……」
「あの、はい、そうですねぇ。あの方が負った心の傷は――あれは?」
「ん?」
少し離れた場所から金切り声が聞こえてきた。
その金切り声がする方に目を向けると、下元と加藤が対峙していた。
いや、加藤が縋るように下元へと訴えかけていた。
「拓也、一緒に戻ろう。そうしたら全部元に戻れるんだよ? 前みたいに一緒に居られるんだよ。ルイと一緒に……」
目に涙を浮かべながら懇願する加藤。
そこには悪意など一切感じさせず、本当に真摯な想いを込めていた。
心の底から一緒に戻りたいのだろう。そんな想いがとてもよく伝わってくる。
だが――
「加藤さん、一人で帰ってください。僕にはここでやることがあります」
「えっ、何よ、やることって」
「償いです。僕がやってしまったことの償いです。加藤さん、これは前にも伝えましたよね? 僕はこの異世界の人たちに償って生きていくって……」
「待ってっ、そんなの立派にやったでしょ! さっき魔王を倒したじゃない、それで償ったんだでしょ! だからイイじゃない。一緒に帰ろうよう、拓也ぁ」
「加藤さん、それは償いじゃないよ。それは元から僕たちがやるべきことだ。僕が言っている償いとは、僕たちがやってしまったことへの償いだよ」
そう言って加藤を見た後、下元は俺の方に目を向けた。
下元の言うやってしまった事とは、自分たちの我が儘でウルフンさんたちが死んでしまった件のことだろう。
「……あとね、支えてあげたい人が居るんだ」
「――っ!!??」
ガバッと顔を上げた加藤。
下元のいまの発言に何か感じ取ったのだろう。
凄い顔をして下元のことを睨みつける。
「……だから帰れないよ、瑠衣」
「嘘つきっ、嘘つきっ、嘘つき!! ずっと一緒に居るって言ってくれてたじゃない。ずっと一緒に居るって……」
文字通り泣き崩れる加藤。
しかし下元は、これはケジメとばかりに手を差し伸べない。
ただ加藤を見つめるだけ。
「加藤さん、あのときの僕はもういないんだ。ただ言いなりになっていた僕はもういないんだ」
「~~~~~っ。もういいっ! ルイのことをルイって呼んでくれない拓也なんていらない!」
悔しそうに口を歪めた加藤は、踵を返して下元に背を向けた。
そしてズンズンとゲートへと歩む。が――
「ねえ、止めないの?」
突如立ち止まり、背を向けたまま言葉を発してきた。
「ねえ、何で止めてくれないの? ねえっ、何で一緒に帰ろうって言ってくれないの、拓也! 一緒に帰ろうって言ってよっ!!」
「…………僕はここに残るよ」
「もうっ!」
声を上げてゲートへと再び向かう加藤。
しかし、入る直前でまた止まった。
「……ねえ、本当に止めないの? ルイ、一人で行っちゃうよ?」
背を向けたまま、また問うてきた。
まるで幼児が諦めないように、加藤は悪足掻きを続ける。
「止めない」
素っ気なく、本当に素っ気なく答える下元。
もう突き放す感じすらもなく、まるで無関心のような声音。
「拓也ぁ」
「……」
まだ諦めない加藤は、再度下元の名前を呼んだ。
無言のあと、加藤へと近寄る下元。
「拓也っ」
歩み寄ってきたと、加藤は嬉しそうに顔を綻ばせる。が――
「さようなら」
「えっ、拓也?」
下元に押され、加藤瑠衣はゲートへと呑まれていった。
加藤が消えて行ったゲートを見つめる下元。
一瞬だけ辛そうな顔を見せたが、次の瞬間には決意を固めた顔へと戻る。
「みんな、ごめんね」
何が『ごめんね』なのか明確に言わないが、ほぼ全員が分かった。
「あ~~、まあ、うん、気にすんな。むしろ良くやっただ。もし残るなんて言いだしたらマジで困ったからな」
「……うん、そうだね」
何とも言えない空気が漂う。
先ほどのさっぱりとした赤城とは大違い、完全に真逆な加藤。
いまの状況を喩えるならば、食後のコーヒーを飲んですっきりしているところに納豆の手巻き寿司を出された感じだ。
そんな何とも言えない空気。
しかしそこへ、それを打ち消すかのような声が響き渡る。
「じゃあ、私も帰るね」
勇者伊吹紅葉が、困ったような、泣きたそうな、だけどしっかりと笑顔を、そんな顔で帰ると宣言したのだった。
あと、あと少しで終わりです。
帰還ゲート前で揉める小説勇ハモ……