ベクトールがっ
お待たせしてしまって申し訳ありません。
ちょっと疲れていたことと、早朝のニコ生で、水で薄めた漂白剤はスク水の味がするなどを話し合っていて遅れてしまいました(_ _)
「葉月っ無事か? ――ん?」
「あれぇ? どうしたの陽一君?」
葉月は、小屋の扉を開けたすぐそこにいた。こちらをぽへっと振り返り、不思議そうな顔をしている。
「……良かった」
無事だったことを安堵しつつ葉月を見ると、彼女には中に入ってくつろいだ様子はなく、まるで小屋に入った直後のようだった。
もしかするとこれは、扉が閉まった時点で時間の流れが止まっていたのかもしれない。確かギームルがそんなようなことを説明していた気がする。
「葉月、取り敢えず出てくれ。訳は外で話す」
「……………………そう。うん、わかった」
何かを察した。そんな顔をして葉月は俺と一緒に小屋を出た。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「――そう、そんなことがあったんだ。うん、そっかぁ……」
葉月の言葉が、橘の嗚咽を打ち消すように響いた。
橘は現在、葉月の胸に縋って泣いていた。
失った左手は葉月の回復魔法によって再生していた。蹴り落とされたときにできた細かい擦り傷も治してある。
もう痛い所はないはずなのに、ヤツはずっと泣いたままだった。
コイツには色々と言われてきたが、この姿と先程の戦闘を見て多少は溜飲が下がった。ラティには良くやったと褒めてあげたい。地上に戻ったら全力で撫で回してあげようと決めた。
だが今は、橘を見下ろしながら葉月の言葉を肯定する。
「ああ、そんなことがあったんだよ」
葉月には、彼女がガラスの小屋に入っている間の出来事を話した。
【宝箱】に入れられた事や、ラティと橘の私闘のことを葉月に話した。
因みに、当事者の一人であるラティはこの場にはいなかった。
ダイサンショウが居なくなったためか、魔物が湧き始めたのだ。それを狩るためにラティには動いてもらっていた。
他の連中も行っており、ここに居るのは俺とガレオスさんと数人だけ。伊吹、小山、早乙女も行っていた。
それにラティが居ると、橘が酷く怯えてしまってどうしようもなかった。
今は数人だけで葉月と橘を見守っていた。
( まあ、わからんでもないか…… )
あのときのラティはまさに鬼だった。
一切の容赦はなく、淡々と橘の左手を切り飛ばし、それをゴミのように扱いゴミにしたのだ。もう残骸だった。竜の死骸と区別がつかないだろう。
そんなラティの姿を見て、ほとんどのヤツが引いていた。
あのガレオスさんでさえ驚いていた。
俺とサリオにとっては、『あ、久々のボーパルラティ』程度の認識だったが、どうやら他の連中は違ったようだ。
特に橘の手首を切り飛ばしたことは、さすがのガレオスさんも予想外だったらしく、保護法違反にならないかと焦ったそうだ。
ガレオスさんの見立てでは、剣を構えてはいたが無防備な状態。
まずは相手に攻撃をさせて、そして襲われたから仕方なく反撃をした。
要は、正当防衛的な状況に誘導し、そこから組み伏せるなどして無傷で捕らえるものだと思っていたようだ。
少なくとも、魔法による治療が必要になるほど追い込むとは微塵にも思っていなかったとのこと。『さすがはダンナの奴隷でさぁ』とも言われた。
それと心配していた勇者保護法違反の方は、監禁された葉月を救うための行動であり、先に手を出したのも橘で押し通すことにした。
それを証言するのは三人の勇者。
伊吹、早乙女、小山の三人が、あれは葉月を救うための行動であったと、何かあればそう証言してくれると約束をしてくれた。
これで余程のことがない限り、ラティが罪に問われることはない。
そう、橘が訴えない限りラティが捕らえられることはない。
逆に言うと、橘がラティのことをゼピュロス公爵に訴えると、ラティが捕らえられる危険性がある。
しかしその場合だと、今度は橘が葉月を監禁した件で揉める。
もう色々と面倒だ。だからここからは――
「頼むぞ、葉月」
安定の丸投げ。俺は葉月に面倒なことは全て任せた。
本当は俺からも言ってやりたいことが山のように山積轟々あるが、俺から言われるよりも、葉月から言われた方が堪えると思ったので、葉月に任せることにしたのだった。
「……風夏ちゃん。落ち着いた?」
「う、うん……」
「そっかぁ、じゃあちょっとお話しよっか」
そう言ってやんわりと橘の顔を自身に向けさせる葉月。
頬にそっと手を添えて、橘の顔を上げさせて目を覗き込む。
葉月の優しい眼差しに、橘の強張っていた顔が和らいでいく。
「ねえ、何で私を閉じ込めたの?」
「――えっ」
優しい笑みを浮かべたまま、葉月が鋭利に切り込んだ。
橘は喉に刃でも突きつけられたかのように、先程よりも顔が強張った。
「ねえ、何でかなぁ?」
「え、そ、それは……」
言葉に詰まる橘。
葉月は優しく澄んだ笑みのまま、まるで幼子をあやすかのような優しい声音で問い続ける。
「ねえ、風夏ちゃん。――なんで?」
「……」
うつむいて顔を伏せる橘。
何も答えず、ただ嵐が過ぎ去るのを待つようにしているが――
「ねえ、覚えているかな? あのとき私が、『信用する』から『信じる』に言い換えたの覚えているかなぁ?」
「由……香?」
分からないといった表情で顔を上げる橘。
一方葉月の方は、変わらぬ笑顔のままで続きを紡いだ。
「『信じる』っていうのは願いなの。こうあって欲しいって願うの。そう、あのとき私ね、風夏ちゃんに違うよねって願ったの。騙していないよね? 嘘なんか吐いてないよねって」
「由香……」
「風夏ちゃん、風夏ちゃんが昔から私のことを考えてくれていたのは分かっていたの。男の人が近寄って来たときとか、強引にとか、断り難いときとか、私が困っているときはいつも助けてくれた。私を守ってくれた……、だから私はつい甘えちゃった……。うん、風夏ちゃんに頼り切っていたのかも。風夏ちゃんがそばにいてくれたら安心できたの。このダンジョンに来る前、ゼピュロス公爵家の前で囲まれそうになったときも、風夏ちゃんが守ってくれたよね?」
「由香ぁ……うん……」
葉月は懺悔でもするかのように話し続けた。
それを泣きそうな顔で聞き続ける橘。
俺はそれを聞いて、何故葉月が橘と仲が良かったのか分かった気がした。
「ダンナ」
「あ、ああ……」
俺とガレオスさんは彼女たちからそっと離れた。
彼女たちのそばに居たのは、橘がまた何か仕出かさないか警戒していたから。
だが今の橘には、そのような気配は感じなかった。
そしてこの二人の会話は、部外者がこれ以上聞いて良い話ではないと、俺とガレオスさんや他の連中は会話が届かない場所へと離れた。
ただ、さすがにここはダンジョンなので、一応目の届く位置に留める。
「何か色々と大変だなぁ」
「うん? ダンナだって大変じゃないですかい」
話し合っている二人を眺めていると、ガレオスさんが話し掛けてきた。
「うん? 俺が?」
「タチバナ様やハヅキ様の件もそうだけど……ほら、アレの件とか」
ガレオスさんはそう言って早乙女の方を目で示した。
何を言いたいのか分かる。きっと例の風呂場の件のことだろう。確かにアレは大変だ。地上に戻ったら絶対にヤクイ。
「ガレオスさんっ、伊吹組のリーダーはガレオスさんですよね? だからアイツらを押さえてくださいよ。絶っ対ぇにアイツら何か仕掛けてくる……」
そう、アレはただの事故であり、決して嫉妬されるようなことではないのだ。
一瞬遅れたら死んでいたのだ。だから――
「ガレオスさんっ、アイツらを――」
「いや~それは無理でさぁ。嫉妬組は馬鹿ですからねぇ、オレには止められやせんですぜ。ほら、よく言うでしょう?『馬鹿は止められない』って」
「いやいや、馬鹿は止めましょうよ! ラティだってあの馬鹿を止めたんだし」
俺は親指をクイッとやって橘の方を指す。
「いやぁ、あれは悪い馬鹿でしたからねえ。でもうちのヤツらはダンナと同じ感じの良い馬鹿なんで、だから止められないんでさぁ」
「うぉいっ、何だよ、感じの良い馬鹿って――」
「――ワタシよりもアイツの方が大事だっていうの!!」
「ん?」
「おやぁ?」
突如、荒立った声が響いた。
橘が立ち上がり、葉月に向かって声を荒らげていた。
「風夏ちゃん……」
「ねえ、由香。さっき由香言ったよね? ワタシが考えていたことを分かっていたって。分かってくれていたって……」
何やらよく分からない流れになっていた。
葉月の声はよく聞こえないが、声を張り上げている橘の声はよく聞こえた。
俺たちが予想していた流れ、俺が望んでいた流れではなさそうだった。
橘が葉月に諭され、ベコベコにへこむ展開を期待していたのだが、雲行きが怪しいと言うか、完全に別な方向に進んでいる気がした。
「ガレオスさん……」
「ええ、仕方ありやせん。ちょっと寄っておきやすか」
何かできるとは思えないが、一応警戒するに越したことはない。
俺とガレオスさんは二人の方へと向かっ――
「由香っ、ワタシじゃ駄目なの? ねえ由香っ、ワタシじゃ駄目なの?」
「え? え?」
うのを止めて、俺とガレオスさんは足を止めた。
不穏な空気ではあるが、不穏のベクトルがかなり違う気がする。
「ダンナ。何て言うか……これは……」
「あ、ああ……」
何と言ったら良いのか、橘の言葉には引っ掛かるモノがあった。
実際に見たことがある訳ではないが、所謂痴情のもつれ的なアレのようだった。
だがしかしあれは、異性に対してもつれちゃったりするモノだ。
時には刺されたり、また時にざっくり刺されたり、酷いときには複数に刺されることもあるのだとかどうだとか。
しかし、基本的に同性ではないはず……
「由香、ワタシを選んで……」
とても切なく、そして悲痛な想いを込められた声が聞こえてきた。
勘違いのしようがない。そんな想いが込められた声音だった。
「風夏ちゃん……」
「由香」
見つめ合う二人。
俺とガレオスさんは引くことが出来ず、だからといって前にも行けない。
その場にただ留まり、そっと息を潜めた。
「えっと……風夏ちゃん? ひょっとして冗談とか、かな?」
「違うよ、ワタシは真剣なの……真剣に由香のことが……」
「えっとね? ちょっと混乱しているっていうか、何て言うか……あれ?」
「――真剣なのっ。本当は諦めないと駄目だって分かってた。こんなのおかしいって、女の子同士じゃ駄目だってことぐらい分かっていたの」
「待って風夏ちゃんっ、私が言ったのはそういう意味じゃなくて」
あの短い間にどんな会話を交わしたのは不明だが、超展開になっていた。
ベクトルが違うどころの話ではない。全く別の話にすり替わっていた。
俺にはどうすることも出来ず、ただ見守る。
「――だからっ、だから八十神とか椎名君が由香の相手なら諦めがつくって思ってたのっ。彼らなら由香に釣り合うし、そうすれば諦めがつくから……」
「風夏ちゃん、何を言って? 釣り合うってなんのこと?」
「だってそうでしょっ! 彼らなら由香に釣り合うよ! それだったらワタシも諦められるっ。そうすればワタシだって…………なのに、なのに何であんなヤツのことを――」
「風夏ちゃんっ!」
滝のように想いを吐き出していた言葉を、葉月が強く遮った。
そして橘にしっかりと向き合った。
「ねえ風夏ちゃん。彼のことをすごく嫌っていた理由ってそれなの? まさかそれであんな酷いことを言っていたの? そんなのが理由なの?」
「ゆ、由香……」
「答えて。彼にキツく当たっていたのは、そんなことが理由だったのっ?」
「だ、だって……あんなヤツは由香には合わないよ。ううん、相応しくない釣り合わない。だからワタシは――」
「ふざけないでっ!」
パシッと頬を叩く音が響いた。
しっかりと力が込められていたのか、橘の顔が大きく揺れた。
「風夏がどう思うのかは勝手だよ。でもね、それを私に押しつけないで。それどころかあんなことを……」
「ゆか……?」
許しを得るかのように、おずおずと手を伸ばす橘。
だが葉月は、手を下ろしてグッとこぶしを握り拒否を示した。
「私、勘違いしてた。風夏は彼のことがただ嫌いなだけだと思っていたの。だから酷いことを言っているんだって、そう思っていたの。――なのに、そんなことが原因だったんだ。そんなことで彼を傷つけていたの? ねえ! 彼は全然悪くないじゃんっ! 彼には何の落ち度もないじゃんっ」
葉月にキツく言われ、そして強く睨まれた橘は、完全に俯いてしまった。
また嗚咽を漏らし始める。
先程と同じような光景だが、いまは内容が完全に違っていた。
葉月に睨まれ、何も出来ずにいる橘。
「はぁ~~、ここは年長者の役目ですかねぇ。……ダンナ、ちょっと行ってきやす。ダンナはここで待っていてくだせぇ」
「はい、頼みます……」
ガレオスさんを見送ったあと、俺はその場を離れた。
俺が関係している話だが、俺にはまだ関係のない話だから。
ぐちゃぐちゃとした気持ちを抱えたまま歩く。
答えを出したくない、そんな気持ちで俺は歩いていた。
そもそも答えを求められていないのだ。だから答えを出す必要はない。
そんな気持ちで歩いていると、前方からラティたちがやってきた。
周辺の探索から戻ってきた様子。だが――
「へ?」
ラティの手には見覚えのある石があった。
その石からは、青白い光を放つ半透明の人が立ち昇っており。
「あの、ご主人様。精神の宿った魔石が……やって来ました」
『やあ、用事があったからこちらから来させてもらったよ。今代の勇者くん』
「貴方は……シャーウッドさん?」
ラティたちは、精神の宿った魔石を持って来たのだった。
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