ぬるりと来た
俺はふと思った。
歴代どもが遺した負の遺産とは、風呂を覗くことが目的なのではなくて、ちょっとした悪ふざけで張り詰めた空気を和ませることが真の目的だったのではないかと。
いや、そんなイイ感じの話のはずがない。『騙されるな俺』と思う。
だが、気が少し楽になったのは事実だった。
そして俺がトラブった後も、伊吹が風呂に入るとなると、予定調和なプロレスのような攻防が始まった。
ノゾキ側と妨害する側に分かれて、俺たちはわっちゃわっちゃとした。
小山以外は本気で覗こうとはせずに、まるで修学旅行のときに女子風呂を覗こうぜと騒ぐノリと言うべきか、そんな感じで戯れた。
そしてそれが終わった後、俺は落ち着いて状況に向かい合うことができた。
探索はいったん中止して、まずはこの状況を見極めることに専念する。
魔物と竜の姿が見えない下層エリア。
見通しが良いので何かあればすぐに判るし、ラティの【心感】があるのだから大抵のことは事前に察知できる。
ただ、細菌的なモノや毒ガスなどが原因だと困るので、いつでも中層に戻れる位置まで引くことにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ダンナ、取り敢えず待ちで?」
「はい、それが一番無難かなと。闇雲に行くのは危険ですし」
俺はガレオスさんと並んで辺りを見渡していた。
サリオに大量の”アカリ”を作ってもらい、遠くの方まで見ることができるようにしてもらっておいた。
少なくとも闇に紛れて奇襲される心配はない。
「ちと退屈ですが、確かにそれが一番無難でしょうねえ」
ここを拠点にして、少人数で調査するという方法も一応は考えた。
だが地底大都市のときのように、精神の宿った魔石が魔石魔物化して暴れ回っていることを想定して止めた。
もしかするとその魔石魔物が、竜や魔物を根絶やしにしたのかもしれない。
ファンタジーではよくある定番だ。そして他にも――
「ガレオスさん。色々と考えたんですが、ダンジョンが拡張されて、そんで拡張された方に竜が行ったかもしれないと考えたんですが……どう思います?」
「そうですねえ、それでドラゴンが下に行ったとしても、魔物が居ない理由にはならないですよね?」
「ですよね。じゃあ、あの白い毛玉みたいなヤツがいるとか?」
「あ~~、それはありそうですね。ただそれだと、そのヨウちゃんみたいなヤツがいないとですよね」
「小さかったら見つけ難そうだなぁ……」
「う~~ん、目の良いヤツ総出でですかねえ? それなら例の魔石魔物が出た場合でもすぐに気付けやすし」
「……はづきさまが出てこねえだ」
唐突に会話に入ってきたシキ。
コイツはさっきから俺の横で膝を抱えて落ち込んでいた。
シキは橘に追い出されて以来、俺に何とかして欲しいのか、よくやって来るようになった。
だが俺としては、橘とは関わり合いたくないのでスルーしている。
「あ~~そういや、ハヅキ様はタチバナ様の家の中です?」
「ん~~、そうらしいな。飯も風呂も家の中で済ましているらしい」
そう、昨日の馬鹿騒ぎに葉月はやって来なかった。
小山は当然ながら、葉月派筆頭のグリスボーツもガッカリしていた。
家の中で何をやっているのか不明だが、葉月は橘とずっと一緒にいる。
「まあ、取り敢えず静かだからいいか」
「ですねえ」
「はづきさまぁ……」
「シキ、お前は捨てられた犬か。ってか、アレも似たような感じになってんな」
シキから視線を外し、俺は別の方に視線を向けた。
橘が姿を現さないためか、例の5人が肩身を狭そうにしていた。
シキほど情けない顔はしていないが、どこか不安そうな顔をしている。
ヤツらは、俺たちからしてみれば勝手について来た連中。
一応戦闘要員だが、その出番はほとんどなく、いまは魔物がいないので完全に出番がなくなっていた。
ヤツらにはやることがなく、その上、拾い主の橘がいないものだから、どうしたら良いのかと戸惑っている様子だ。
何か手伝うことがあるかと訊いてくるのであれば、まだ救いはあったのかもしれないが、ヤツらの態度に伊吹組は完全にスルー。
アライアンスから完全に孤立した5人がそこにいた。
「まあ、あれはほっておくとして。――ダンナ、その精神が宿った魔石の魔石魔物ってのは、本当にあの白いヤツと同じぐらいなんで?」
「はい、地底大都市にいたんですが、深淵迷宮のシロゼオイ・ノロイと同等のレベルでしたね」
「うへえ、確かに待ちしかないか」
「さっきも話しましたが、北のときは、拠点に居たヤツが全員殺されましたからね。不意を突かれるとどうにも……」
「んむう、誰も死なせたくはないですからねえ。イブキ様の落ち込む姿はもう見たくねえでさ」
その後も俺たちは、見張りを多めに立てて監視を続けた。
竜や魔物がいないのは何か原因があるはず。もしくは原因が居るはずだと……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「陽一君。ちょっといいかな?」
「葉月……」
俺は喉が渇いたので、ちょっと水でも貰おうかと戻ったところを葉月に呼び止められた。
少し疲れた笑みを見せる葉月。
何があったのかは分からないが、そこそこ面倒なことがあった様子。
さり気なく辺りを見るが橘の姿はない。
「えっとね、ちょっと風夏ちゃんのことなんだけど――って、そんな嫌そうな顔をしないでよう、陽一君」
「いや、嫌そうじゃなくて、露骨に嫌な顔をしてんだが。なあ葉月、その話っての来年とかじゃ駄目か? もしくは3年後とか、できれば聞きたくねえんだけど」
「年単位って……いいから聞いてよう。もう」
『もう』と言って頬を膨らませる葉月。
少々幼すぎるリアクションだが、流石は葉月というべきか、全く嫌な気はさせず、取り敢えず聞いてやろうと思ってしまう。
「……はあ、あっちで話そう」
「で、話って何だ?」
俺たちは人目の付かない場所に移動した。
天幕で陰となっている場所で葉月と向かい合う。
「うん、風夏ちゃんのことなんだけどね。風夏ちゃんも大変みたいなの」
「あん?」
「風夏ちゃんね、ダンジョンとかあまり潜ったことないみたいなの……」
「……」
「あとね、怒らないで聞いてね。たぶんだけど、まだ裁判のことを引きずっているみたいなの」
「は……?」
思わず思考が停止した。
何を言ってくるのだろうと一応身構えていたつもりだが、あの裁判モドキが話に出て来るとは微塵にも思っていなかった。
固まってしまった俺を、少し上目遣い気味に見ながら葉月は続きを語った。
「本当はね、風夏ちゃんも気付いている……ううん、知っているの。陽一君が悪いんじゃなくて、北原君が悪いんだって。前にね、ラティちゃんが言ったの、自分を襲ったのは北原君だって。それを皆で聞いたことがあるの……それでね――」
葉月は止まることなく話し続けた。
話の道筋はグチャグチャで、ほとんど独白か懺悔のような吐き出し。
俺はそれを相槌などは挟まずに黙って聞き続けた。
橘は、自分たちが早とちりしたことは理解している。
だがしかし、彼女は性格上素直に謝ることができない。
そしてその後ろめたい思いから、逆に俺に強く当たってしまっているのだと、葉月はそう言ってきた。
全く理解できない訳ではない。
俺に当たってくる部分は理解できないが、それ以外は多少は理解できる。
誰だって素直に己の非を認めることができる訳ではない。
テレビのニュースなどで、政治家や責任ある立場の者がしどろもどろ言い訳をしているのを見たことがある。
それに幼い幼稚園児だってそうだ。
素直に謝ったりしてはいるが、その大半は先生や親に促されて謝っているのだ。そして高校生になると、その促してくる者が減ってくる。
そして事が大きくなればなる程、人は誰かに謝ることができなくなる。
こういった事は日常生活でもよくある。
しかしその場合は、相手と気まずくなって避けるようになる。
一緒に遊ばなくなったり話さなくなったりと、所謂、距離を取るというヤツだ。
だから理解できない訳ではない。だが――
「葉月、その話ならあの時にもうすんなって言ったはずだぞ」
「うん、わかってる。だから許してあげて欲しいとか、風夏ちゃんと話し合って欲しいとかじゃないの。ただ、上手く言えないけど……風夏ちゃんの親友としてごめんなさい、陽一君」
そう言ってがばりと頭を下げる葉月。
その切実な態度から、彼女の真剣さが伝わってきた。
俺は頭をガシガシと掻いた。
もうそこまで頭にきている訳ではない。許せるかどうかと聞かれたら、「知るか」と返答する程度には沈静化している。
正直言って、ヤツとはもう関わり合いたくない。だから――
「……どうでもいいよ」
「うん、そう言うと思った。でも……ううん、ズルいとは思うけど、ごめんね陽一君。風夏ちゃんさ、このダンジョンに潜ってから凄く慌ててるの。自分の実力とか経験が足りないってことが分かったっていうか……。それにね、たぶんだけど、陽一君に大勢の仲間がいることに焦っているっていうのかな? そんな感じがするの。だからあんな無茶なこととかやっちゃってて……」
「…………」
本当にズルいと思った。
葉月は上手いこと橘を擁護しようとしていた。
俺には擁護する価値があるとは思えないのだが、親友の葉月は見捨てることなく橘を支えようとしているのが分かった。
「ごめんね、何かいっぱい喋っちゃって。陽一君、そろそろ戻らないとだよね? 何か見張っているんでしょ?」
「あ、ああ」
話はここで終わりとばかりに、葉月の顔がいつもの笑顔に戻った。
俺もそれに合わせ、堅く身構えていた心を解きほぐす。
「あ、そうだ。昨日の夜って何かあったのかなぁ? 何か凄く騒いでいた気がしたけど? あと、京子ちゃんの悲鳴みたいなのも聞こえて……」
「――ッ!?」
唐突に切り替えてくる葉月。
重い話はもう終わったのだから、空気の入れ換えとばかりに昨日の話を振ってきた。
「あ、いや……」
俺は昨日の出来事を思い出してしまった。
あれは本当に迂闊だった。小山とサリオがやった茶番だから、誰かが風呂に入っているとは思わなかったのだ。
正直、がっつりと見てしまった。
早乙女も早乙女でポンコツだから、状況を理解するのに5秒近く掛かっていた。下の方は手ぬぐいで覆ってはいたが、それ以外はバッチリだった。
知っている同級生の裸とはなかなかくるモノがあった。
何とも言えない気まずさと、形容しがたいレア度を感じた。
あの一件以来、早乙女は俺の前に姿を現していない。早乙女は俺を避けている。
一度ちゃんと謝っておきたい。
裸を見てしまってごめんなさいと、もしくは、ありがとうございましたと言うべきなのか……
「――ねえ、陽一君。何か変なことを考えてないかなぁ?」
「へ!? い、いや、別になんも――!?っ」
俺は慌てて視線を後ろに逸らしたが、逸らした視線の先にはラティさんがいた。
拗ねているような、怒っているような、むむむっとしたような、そんな色々と入り交じった顔で俺を見つめていた。
( おう、これが前門の虎、後門の狼…… )
「ねえ、陽一君?」
「…………」
全てを見透かすような葉月の目と、無言ジト目で問うてくるラティ。
この窮地をどうすべきかと、俺が思考をフル回転させた、その時――
「――っ!?」
「ラティ、どうしたっ!?」
ラティが突然大きく目を見開き、次の瞬間、ある方向を睨みつけた。
俺の後ろ、下層の奥の方をじっと凝視した。
「来ましたっ。もの凄い数です! 数は……50? いえ、百近くです。百体近くの魔物が集団でやって来ますっ」
「葉月、全員に声を掛けてくれ。俺たちは先に向かう」
「うん、わかった。風夏ちゃんにも知らせて来るね」
「いくぞラティ」
「はい、ご主人様」
俺とラティは、迫り来る百体近い魔物を迎え撃つべく、即座に駆け出したのだった。
読んで頂きありがとうございます。
宜しければ感想など頂けましたら嬉しいです^^
あと、誤字脱字なども……