えっ……?――ザザー……ピィー……え?
さあ、開始ですっ
惨劇から五日経過した。
俺たちは消息を絶った霧島を探し、ギームルは打てる手を全て打った。
そして打てる手を打った後、絶望的な情報がノトスに届いた。
なんと霧島は、アキイシ伯爵の元に身を寄せていることが分かったのだ。
もうその情報だけで俺たちは察した。手遅れであったと。
流石のギームルも、実の兄をどうこうすることは出来ないようだ。
これは俺にも分かる。あの豪快な爺さんアキイシ伯爵なら、ギームルが何を言っても突っぱねるだろう、そして絶対にアレを面白がると。
そう、俺たちはパンデミックを阻止することが出来なかったのだった。
そして悪いことは続くもので、ゼピュロス公爵から届いた竜の巣攻略の件は、協力も許可も出来ないとのことだった。
他の領地のように魔物が湧いては困る。だから許可は出来ないと。
しかし、どうしても許可が欲しいのであれば、聖女の勇者、女神の勇者、聖剣の勇者がゼピュロスに所属すること。
その三人の勇者と、魔王殺しの勇者橘がいるのであれば、どれだけ魔物が湧いても問題はないとの返答だった。
確かに名高い勇者が複数も所属していれば、戦闘面だけではなく、その勇者たちに引かれて多くの冒険者たちがやってくる。
その地に住む者たちも、聖女、女神の勇者がいれば安心だと感じるだろう。
正直言ってあり得ない条件だ。当然これには裏がある。
ゼピュロス公爵だって馬鹿ではないのだ、その三人が本当にゼピュロス公爵家の所属になるとは思っていない。
現在フリーである葉月、言葉はともかく、ゼピュロスとは仲が悪いエウロスに所属している椎名は絶対に無理だ。
もしそれが実現しようものなら、エウロスとしては屈辱以外の何ものでもない。
だがその一方、その条件を飲めば協力と許可を得ることができる。
これは防衛戦のときに突きつけられた無理難題と一緒だ。無理難題を押しつけることが目的となって、その条件をしっかりと精査していない。
竜の巣の攻略中だけゼピュロスに所属し、その後、ゼピュロスを離脱するという方法が取れる。
決して不可能ではない。エウロスには泥を被ってもらうことになるが、椎名がまたエウロスに戻れば丸く収まるかもしれない。
だがしかし、ここで一つ問題があった。
その条件を飲んだとしても、ゼピュロス側がまた反故にするかもしれないということ。
実際に何度もしているのだから、その危険性は高く、もうやらないという保証はない。
本当に、お前達は世界を救う気があるのかと言いたくなる。
異世界を救って欲しいが、自分たちは何一つ失いたくないという強欲さ。本当に反吐がでるというヤツだ。
取り敢えず今は、ボレアスへと出発予定だった三雲組には待ってもらい。言葉と葉月はノトスの街で待機。そして椎名の方は連絡待ちとなった。
ゼピュロス側の要求を飲む飲まないにしても、もう少し根回しが必要だからギームルは動くと言った。
なので、竜の巣への遠征は延期となった。
だがこの延期は、俺にとって少し都合が良かった。
ららんさんに依頼していた、黒鱗装束の強化改修がまだ終わっていなかったのだ。
普段のららんさんであれば、さっと一晩で仕上げてしまうものなのだが、俺の持ち込んだズーロさんが宿っていた魔石は、思いの外扱いが大変らしく作業が難航していたのだ。
だから丁度良かったのだと、俺は自分に言い聞かせて落ち着いた。
そしてもっと落ち着くために、モモちゃんと一緒にお風呂に入り、身も心も癒やされたのだった。
あとは風呂上がりにラティの尻尾を撫でるだけ。
そうすれば、ゼピュロス公爵への苛立ちも落ち着く。
「あ、モモちゃん、下は滑るから駄目。座っててね」
「う~う~」
「モモちゃん、めっ、危ないからね」
「…………ぷい」
風呂から上がった俺は、まずモモちゃんに服を着せた。そして自分も服を着ようとしたのだが、モモちゃんを抱っこしたままでは服を着ることができない。
だから俺は、モモちゃんを床に座らせておいたのだが、成長したモモちゃんは昔のモモちゃんとは違った。
モモちゃんはすぐに立ち上がり、トコトコと歩こうとしたのだ。
歩くのは別に構わない。
だがここは脱衣所なので、床が少し湿っていて滑る危険性がある。
もしそれで転倒しようものなら、赤子特有の、頭が大きいことによるバランスの悪さから、後頭部を打ってしまう危険がある。
なので駄目だよと言ったのだが、モモちゃんはそれを無視して歩き始めた。
『あたいの邪魔をするな、あたいはあたいの道を歩く』と言わんとばかりにモモちゃんが歩くが――
「あ、危ないっ」
「あう?」
モモちゃんが重力に引かれ、俺の目の前で後ろに傾き始めた。
しかし俺はブリーフを穿く途中。すぐに動くことができない、まさに最悪のタイミングだった。
俺は【加速】を使ってブリーフを引き上げ、モモちゃんを助けるために踏み出そうとしたのだが。
「げっ!? ――こなっくそっ!」
踏み出そうとしたときに軸足が滑った。
【加速】を使ったためか、凄まじく豪快に滑った軸足。
バランスを完全に崩しはしたが、手を着けば十分に何とかなる体勢。
だがしかし、それではモモちゃんが助けられない。このままでは床とモモちゃんが『ごっちーん』してしまう。
俺は強引に身体を捻って腕を伸ばし、モモちゃんの後頭部と床の間に手を差し込んだ。
ちょっとは痛いかもしれないが、モモちゃんが大きな怪我をすることはない。
床に直接頭を打ち付けるよりかは数倍マシ。
「モモちゃ――――」
――――――――――――――――――――――――
「陽一君! どうしたの? 何か凄い音がした気がするし、モモちゃんが泣いたままだけど…………え?」
「陽一さん、モモちゃんが泣いてって、――きゃああ!」
「陽一、何が――っぶは! アンタ半ケツで何やってんのよ。ってか、陽一ってそんなの穿いてんだ」
「へ?」
気が付くと目の前に三人の女の子が居た。
俺はその三人を知っている。仲が良い知り合いという訳ではないが、三人のうち二人はクラスメートだ。
しかも馬鹿笑いしている方は、隣の席に座っている女子生徒の早乙女京子。
いつもしかめっ面で、どちらかと言うとクールな感じの女の子。
こんな風に指を差して笑うタイプではなく、澄ました顔で俺のことなんて無視するタイプ。だと思っていたのだが――
――あれ? 何で早乙女が笑ってんだ?
ってか、葉月と言葉さんまでいるし……
え? ってか、何で皆そんなファンタジーチックな服を着てんだ?
「うああああああんんんっ」
「あ……、えっ? 赤ちゃん? 何で赤ちゃんが!?」
俺の目の前で、紅茶色の髪をした赤子が泣いていた。
まさに火が付いたかのように泣きじゃくる赤子。
髪の色から察するに、外国人の赤ちゃんなのかもしれない。と思っていると。
「え? 獣耳? え!? ええ!?」
――えええっ!? え? コスプレ!?
あ、そうか、だから葉月たちあんなファンタジー的なモノ着てたのか、
えっと、ハロウィンだっけか今日って……いや、違うよな?
俺はひたすら混乱した。
状況を見極めようとすればするほど混乱する。
まず、ここが何処だか分からない。
全く見覚えのない部屋。学校にはこんな部屋は無かったはず。
湿度が異様に高く、テーブルやタンス、本棚といった生活用の家具がないので、普通の部屋ではないのだろう。
そして次に赤子の存在。
泣いて顔を赤くしているが、それでも可愛いと思える赤ん坊。
笑顔はきっと天使のような子だと思えるのだが――
――あれええええ!?
この子の獣耳、仮装用のヘアバンドとかじゃねえ!
ガチの獣耳? 顔の横に耳が付いてない……え? マジでえ?
「な、何で……」
「陽一君? 何だか様子が変だけど、どうしたの? モモちゃんを泣かせたままにしているし、何か陽一君らしくないけど……」
「葉月さん、モモさんを預かりますね」
葉月と言葉さんがこちらにやって来た。
言葉さんは赤子を抱きかかえ、学校の男子生徒全員が一度は触れてみたいと願う大きな胸に赤子を添わせる。
そして葉月が――
「陽一君、ねえ、本当にどうしたの?」
「ふへぇ!?」
( ――えええええええ!? )
あの葉月由香が、しゃがんで俺の顔を覗き込んできた。
しかも手を俺の頬に添えて、心配そうな瞳で俺のことを見つめている。
形の整ったまつげと、少しタレた愛らしい目尻に俺は目を奪われた。
前に学校の誰かが言っていた。
葉月の半径1メートル以内に入ると、誰もが彼女を好きになってしまうと。
その言葉の意味が理解できた。確かにその通りだ。
みんなが可愛いと思える全てを詰め込み、それを黄金の比率で割って形にしたような愛らしい造形。
葉月由香は、そんなみんなの理想を容姿にしたような姿。
それを1メートル以内という近距離で見れば、男子高校生なら百パ堕ちる。
そんな彼女が、俺の頬に手を添えており――
――えええええええええええええええええ!?
何が? え? マジで何がどうなってんの!?
いやいやいあいあやいあっ、えええええ!?
俺の名前は陣内陽一。歳は17歳。
突然のこの状況に、俺はただただ混乱するのだった。
読んで頂きありがとうございます。
この話は三ヶ月以上前から書きたくて仕方なかった話です。
宜しければ、宜しければ感想など頂けましたら嬉しいです。
あと、誤字脱字も教えて頂けましたら……