耐えた盾
9月22日です!!
魔石魔物のダンゼオイは、階段に擬態する珍しい魔物だ。
冒険者がその階段を上ると、身体を霊体化して上っている者をすり抜けさせて落とすのだ。
だから俺は、その霊体化される前に駆け上がった。
そして、宙に浮かぶ白いクラゲ野郎へと飛んだ。
当然、白いクラゲ野郎は迎撃してきた。
簡単にはやられまいと、長い触手を俺へと向けたが――
「いけぇええっ! 結界!」
「ナイスっ!」
椎名の聖剣の結界が、俺へと迫っていた触手を遮った。
「死ねっ、クラゲ野郎が!」
俺は木刀を前へと突き出し、白いクラゲ野郎に身体ごと飛び込んだ。
雲や煙の中に飛び込むような感覚、視界が真っ白になる。
「――ッなんだ!?」
唐突に声や感情のようなモノが流れ込んできた。
ラティの尻尾を撫でている時のような感覚が、手の平だけではなく身体全身へと広がった。
「こっ、これは!?」
俺へと流れ込んできたモノは、白いクラゲ野郎の総意だった。
『集まった』『拒まれた』『なんで?』『しぶとい』『邪魔』『入れなかった』『入れなかった』『入れなかった』『入れなかった』『入れなかった』『入れなかった』『入れなかった』『入れなかった』……。
あの白いクラゲ野郎は、意識の集合体だった。
漠然とだがそれが分かった。
そしてその意識は、何かに引き寄せられ、それに入ろうとしていた。――だが、拒まれて入れなかった。
それだけが唐突に理解できた。
むしろ理解させられた。
心が、精神が汚染されるかのように総意が押し寄せてきたのだ。
心がそれに呑まれそうになる。
俺自身も、それの一部に――
「――ざっけんなっ! 呑まれて堪るかっての!」
俺は木刀に力を込めて、呑み込もうとするそれを跳ね返した。
真っ白だった視界に色が戻る。
白いクラゲ野郎が弾け飛ぶのが視界に映った。
木刀から伝わる手応えも、白いクラゲ野郎を滅したと感じる。
「しゃあああっ!」
俺は勝ちどきを上げ、空中で体勢を立て直す。
白いクラゲ野郎を弾き飛ばす際に、俺も大きく弾かれてしまっていた。
一瞬、このまま崖へと落ちてしまうかと思ったが、何とかギリギリのところで止まることができた。
地面に木刀を突き刺して、まさに土俵際で踏み止まった。
「ふぅぅ」
俺は大きく息を吐く。
あと1メートル程飛ばされていたら、こうして踏み止まることは出来なかっただろう。
「はぁぁ、あっぶね」
安堵の息を漏らしつつ、俺は感謝の意味を込めて木刀に目を向けた。
切っ先が地面に突き刺さっている。
これによってブレーキが掛かり、俺は何とか止まることができたのだ。
「ん? あれ? 刺さってる?」
ふと違和感を覚えた。
世界樹の木刀はとても硬い。
だからこうして突き刺さることに違和感はない。
だがしかし、俺がこの足場に木刀を突き立てたとき、この岩肌はヒビ一つ入らなかった。
だと言うのに――
「げっ!?」
『ガコッ』と小気味良い音を立て、俺の居る場所だけが崩れた。
「ちょ!?」
木刀に体重を完全に預けていた俺は、この不意を突かれたような崩壊に対応出来ず、暗い闇の底へと落ちていく。
複数の悲鳴が木霊する中、俺は即座に木刀を引き抜いた。
このままでは落ちるだけ。
ならばやることはただ一つ。
木刀を足場に側面に突き立てて止まるしかない。
正直言って非常識な行動だが、いまの身体能力なら十分に可能。
「くそ、少し遠い」
崩れて落ちた分距離があったためか、足場の側面から距離が空いてしまっていた。
何とか詰め寄らねばならないと思っていると――
「掴まれ、陣内陽一。ここでお前に死なれては困る」
「マジかっ!?」
秋音ハルが、アニメや漫画に出て来る忍者のように側面を疾走していた。
足が上手く張り付いているのか、とても安定した姿勢で走っている。
俺は伸ばされた手を掴んだ
「よし、踏ん張れ陣内陽一」
「――ぐぉおおっ!」
突如落下が止まった。
掴んだ腕に凄まじい負荷が掛かる。だが落下は止まった。
俺は即座に木刀を側面に突き立て、これ以上落ちるのを防いだ。
「がぁああ、痛ってぇ……。てか、一体どうやって止まったんだ? へ? ロープ? どこからそのロープを?」
秋音ハルは、どこから取り出したのかロープを握っていた。
俺が付けていた命綱とは別のロープ。
秋音が握っているロープの先は、俺たちが戦っていた上の足場へと続いた。
「陣内陽一、お前は馬鹿なのか? 勇者ならば誰でも同じことが出来るだろうが。まあ、多少の工夫はしているが」
「ああ、そっか【宝箱】か。ってか、お前って壁を走れんだな。それも驚きなんだが……」
「……走っていたのは壁ではない。私にとっては地面と同じだ。だから【駆技】を発動させて――ふむ、来たようだな」
「ご主人様っ! ご無事でしたか!」
「ラティ!」
ラティまでもこの場にやって来た。
見えないトランポリンでもあるかのようにトンっと空中を蹴って跳ね、俺と同じように短剣を側面に突き刺してぶら下がった
「……ほう、それが例の【蒼狼】の力か」
「――ッ!?」
ラティが目を見開いて秋音を凝視した。
確かに気持ちは解らんでもないが、いまはそれどころではない。
「ああ~、取り敢えずどうするか。このままぶら下がっていても……ん? そこは……」
俺たちがぶら下がっている位置から少しズレた場所に、人が立って入ることができる程度の横穴が空いていた。
「ふむ、丁度良い場所に足場があるな。まずはそこに避難するべきだな」
「ああ」
俺たちはその横穴へ向かった。
上ではまだ戦闘が続いているはず。このままロープを上ったとしても、何かの拍子でロープが切れる危険性がある。今はまだ上へと戻るのは危険だと判断した。
それに白いクラゲ野郎は倒したのだから、あれ以上魔物が増えることは無いはず。少し待てば全部倒し終えるだろう。
安全が確保されてから上へと向かえば良いとした。
仮に上の連中が押されたとしても、ラティが居るのだからすぐに察知できる。
ラティの【索敵】によると、順調に魔物の数を減らしているとのことだ。
俺は事前に決めていた合図、ロープを3回引っ張る合図を上へと送り、俺たちが生存していることを知らせたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺は横穴で一息ついた。
何度も落ちたことはあるが、暗闇へと落ちていくのは慣れるものではない。
こうして地面に足がつくと、安堵の気持ちが溢れてくる。
そして、俺を助けるために飛び降りてきた二人には、本当に頭が下がる思いだった。
「二人とも本当にありがとう。助かったよ」
「あの、わたしは遅れましたし、何より当然のことをしただけです。ですが……」
ラティはそう言って秋音に目を向けた。
確かにラティなら来てくれると思っていた。
いまラティが言ったように、彼女にとってこれは当然のことなのだろう。
だが秋音の場合は違う。
飛び降りて俺を追うなどは、ほとんど命懸けに近い行為だったはずだ。
底が見えない崖を駆け下りて助けに来るなど、普通のヤツだったら絶対にやらないことだ。
だからラティは秋音へと視線を向けているのだろう。
真意を知りたいと――
「ふむ、助けた動機が気になるのか。簡単なことだ。必要だから助けた、それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「……そうですか。必要だから、助けたと……」
少し珍しい空気が漂っていた。
あのラティが、探るような視線で秋音を見ていた。
彼女がこうやって誰かを見ることは滅多に無いことだった。
しかし一方、見つめられている秋音の方は、とても彼女らしく『どこ吹く風』といった様子。
俺は、秋音の【偽装】に惑わされず彼女を見ることが出来るが、ラティからの視点だと、俺とは違い何かを見せられているのかもしれない。
険しい視線で秋音を見つめるラティ。
そしてそれをサラリと受け流す秋音ハル。
二人とも無言のままで空気が重くなってくる。
――お、重い、
何か話して少しでも軽くしないと……あ、そうだっ
「な、なあ秋音。さっき言ってた【駆技】のことだけど、本当に壁とか走れんのか? 他のヤツが同じことやってんの見たこと無ぇんだけど」
「……さあな、必要だから出来るようになった。それだけだ」
「……なるほど」
詳しい説明をする様子はなく、秋音はそのまま外へと目を向けてしまった。
「ラティさんや、ラティも持っていたよな【駆技】を」
「あの、少なくともわたしには無理ですねぇ。あれは地面に立っている時に滑ったりなどの転倒を防ぐ【固有能力】ですので――っ!? 何か奥に居ます!」
「何っ!」
「む、魔物が湧いたか?」
俺たちは一斉に身構えた。
奥に魔物が潜んでいないことは確認済みだった。
だがラティがこうして察知したということは、何か魔物が湧いたのかもしれない。
俺たちは警戒したまま奥へと向かうと、そこには――
「………………」
一人の男が浮き上がっていた。
その男は、三雲組のメイン盾であるドルドレーに匹敵する大きな体躯で、巌のような、そんな言葉がしっくりとくる風貌。だが――
「半分が無い……」
「あの、これは……」
「……ほう」
浮かび上がっている巨漢の男は、左肩からザックリと縦に斬り捨てられたかのように、半身が無くなっていたのだった。