二日目ええええええ!
ガタゴト響く車輪の音と、ほのかに香る女性特有の匂い。
葉月の時は、そのプレッシャーから余裕がなく気付けなかったが、今はリラックスしている為かそれに気付ける。
隣に座るラティからも香らない訳ではないが、言葉とは種類が違うというべきか、ラティからはお日様のような温かい香りが。
そして言葉の方は、微かに甘さを感じさせる花のような香りが。
どちらも好感の持てる香り。
そんな二つの香りが俺の鼻孔をくすぐる。
「あ、立派な森。モモちゃんにも見せてあげたいですね」
「あ~~、そういやモモちゃんって、木とか好きなんだよな。中庭でも木の下によく行きたがっていたし」
「ふふ、そうでしたね。中庭で抱っこしてあげている時も、手を一生懸命伸ばして木に触れようとしていましたね」
「ああ」
馬車の窓から流れる風景を眺めながら、俺と言葉はモモちゃんの話で盛り上がっていた。
俺はどちらかと言えば孤高だった。
基本的に会話をすることはあまりなく、ラティが相手でも、何かの報告や相談といった仕事的な要素がないと話が続かない。
要は、相手を楽しませる会話というモノが苦手だ。
何かを語ることもしないし、相手から話を引き出すような話術もない。
ガレオスさんとも、あっちが上手く話題を振ってくれるから話が続くだけだ。
そんな俺なのだが――。
「そういえば、モモちゃん歯がだいぶ生えそろってきていましたね」
「むっ? 前歯は知ってたけど、奥歯の方も?」
「はい、可愛らしい歯が生えてきて」
「気付かなかったな」
モモちゃんという共通の話題があり、言葉との話は続いていた。
自分でも驚くほど自然に話せている。
「だから前よりも離乳食を上手に食べれるようになって」
「そうなのか、へぇ……」
ここでふと思う、普段だったらここでサリオが喰い付いてくる。
食べ物の話が出て来たのだ、アイツだったら『スキヤキ一択です』などと言って話に割り込んでくる。
空気を読まず、『ぎゃぼー』とアイツはやってくる。
だが今日は、話の腰を折ってくるイカっ腹はいない。
( ふ、アイツはいらない子だな )
「ふふ、モモちゃんってまだ歯が痒いのか、時々スプーンとか齧るんですよ?」
「あ~~、赤ちゃんの時ってそういうのあるらしいな。そっか、モモちゃんも歯が生えそろってきたのか……」
俺は、モモちゃんが食事をする時は席を外す事が多かった。
それは乳母のナタリアさんへの配慮。
母乳をあげても乳房が隠れるような服を着てはいるが、乳母のナタリアが母乳をあげる時は席を外していたのだ。
だから俺は、モモちゃんの食事に立ち会う事は意外と少なかった。
擦り下ろした果物などをモモちゃんに食べさせた事はあるが、その時も大体が母乳の方を求め、近くに言葉が居る時は言葉に手を伸ばしていた。
そんな何とも言えない気まずさから、食事の時は席を外すのが定番になっていた。だから歯がしっかりと生えそろってきている事に気付かなかった。
「そっか、ちゃんと噛んで食べるように……」
「はい、今はまだ、まぐまぐって感じですけど」
「そっか……」
その光景を想像するだけで心が満たされる。
赤子が、その小さい口で必死に何かを食べているというのは癒される。
よく分かってない顔で、必死にアゴを動かす愛らしい姿。
――あ~~~ノトスに帰りてぇ、
何で俺は馬鹿を倒しに行かねえとなんて、
帰っちゃ駄目かな、いや、駄目だよな、あれを放置する訳には……
綾杉の件で荒んでいる心に癒しが欲しくなる。
ふと、そんな風に思考を飛ばしていると、最近聞いていなかった音が聴こえてきた。
( えっ!? )
かすかに聴こえてくる空気が漏れる音。
『ぷしゅ~』の音に僅かな濁りのような荒さがある。
これは――。
「あ……」
「…………」
横でラティさんが拗ねていた。
パッと見では判らないが、瞳の奥の更に奥に小さな不満の色が見えた。
( そりゃそうだよな…… )
いま俺が話している相手は勇者の言葉。
その言葉からは好意的な様子が見て取れるし、実際に好きだと告白された事がある。
そしてその事をラティは知っている様子。
少なくとも【心感】があるのだから、言葉の感情の色は見えている。
もし俺がラティの立場だったら、フンと拗ねて不貞寝する。
少なくとも気持ちの良いものではない。
( ああ…… )
俺が気が付いた事を察したのか、ラティは瞳を見られまいと顔を逸らす。
が、俺の袖をちんまりと摘まむラティ。その姿はとてもとても愛らしい。
しかし――。
――いやいやっ、そうじゃないだろ俺っ!?
ちょ、ちょっとどうしたらイイんだ? だって、えっと、
あれ? え、あれ? えええええええ!?
百戦錬磨の俺と言えど、こんな挟み撃ちには経験した事がない。
どうすれば、どうすれば良いのかと思考を加速させる。
――落ち着け俺っ
何か手があるはずだ、何か良い方法が……
探れ、探るんだ、なにか――あっ、
不思議そうに顔を傾げる言葉と摘まむ指に少しだけ力が入るラティ。
どんどん状況は厳しくなっていく。
――むうううっ、落ち着け俺っ!
今まで似たような事があったはずだ、その時はどうやって対処していた?
きっと何か打開策が…………あっ! サリオだ……
俺は唐突に気付き、そして絶望する。
俺の傍にはいつも心強い仲間がいた。
そうサリオが居たのだ。
サリオは空気を読まず、その場の空気を掻き回したり壊したりしていた。
あのイカっ腹がいたから、似たような状況になってもどうにかなっていたのだ。
しかしアイツはこの場にはいない……。
( くそ、サリオさえ居れば…… )
俺はその後、急に眠くなったと言って眠りに就いた。
言葉は呆気に取られながらも、『お疲れですよね。どうぞ横になってください』と言ってくれた。
ただその時に、彼女が膝を差し出そうとしたのが次の窮地。
何とかやんわりと断り、俺は壁に寄りかかる形で瞳を閉じる。
ラティからは尻尾を通して、『仕方ないですねぇ』と流れて来たが、俺は無言でタヌキ寝入りを決め込んだ。
今は撤退の一択。
次の休憩時間になったら、土下座をしてでも誰かに乗って貰おうと決めた。
候補としてはハーティ。
あの人ならば、こういった場でも上手くとりなしてくれる。
きっと呆れて溜め息でもつかれるだろうが、それでも俺は頼む事にしたのだった。
そしてそれから二日後、俺たちは元フユイシ伯爵の別荘の前へと到着した。
読んで頂きありがとうございます。
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あと、誤字脱字も教えて頂けました……