橘の残り香?
今回の遠征には、八人の勇者が参加していた。
葉月、言葉、早乙女、三雲、椎名、小山、赤城、霧島の八名。
橘と八十神は既に何処かに行っており、上杉、蒼月、柊の3人は、北で発生している魔物大移動の制圧へと向かっていた。
下元も本当は北へと行く予定だったのが、引き返す形で中央へ。
そして俺は……。
「ったく、あの視線は何なんだ……」
現在俺が居る場所は、ストライク・ナブラが設置したベースキャンプ。
広い部屋のようになった広場に複数の天幕が設置されている。
ベースキャンプに辿り着いた俺たちは早々に食事を終え、現在は次の予定まで自由時間となっていた。
俺は現在、割り当てられた天幕に避難中。
特にやる事がないので、取り敢えず今の状況を頭の中で反芻していた。
そして思い浮かぶのはストライク・ナブラの事。
ストライク・ナブラに不自然な動きは無かった。
むしろしっかりと動いていた。
だが――。
「……何だってんだよ、あの視線は」
判断に悩むあの視線、あの視線がどうにも言い様の無い不安を煽っていた。
ラティに改めて確認してもらったが、やはり敵意などは無く、ただ何かを探っている感情しか見えないと言われた。
確かにあの視線には蔑みや敵意といったモノは無く、ただ訝しむような探る視線だった。
もういっその事、敵意や蔑みといった視線の方が分かり易くて楽だった。
掴みようのないものだから余計に困惑してしまう。
「…………あれは、橘の影響か?」
赤城は、橘に激しく叱責されて奴らは変わったと言っていた。
勇者の楔は一種の洗脳に近い。だから元黒獣隊が橘の言葉に影響され……。
――んん?
仮に影響されたとして……どう変わるんだ?
それに橘の支配下に置かれたってんなら、もっと違う感じだよな?
自分の仮説に疑問を持ち、ふと橘を思い浮かべてみる。
アイツはいつも俺のことを睨んでいた。汚物でも見るようなそんな視線で。
最初の頃の汚物でも見るような視線の理由は分かる。
あれは、俺がラティを襲ったと誤解をしての視線だ。
しかしここ最近の視線は、汚物どころか、『死ね』といった視線を飛ばしていた気がする。
もし俺のメンタルが豆腐だったら、自殺か引き籠るかの二択だっただろう。
それだけ鋭い視線を浴びせてきていた。
同じように早乙女も鋭い瞳で睨んではくるが、橘のそれとは別種。
凄みや怖さといったモノはあるが、嫌悪感といった負の感情は感じない。
だが橘の視線には憎悪が宿っている。
怒りなどといったぬるいモノではなく、もっと心の底から……。
「……う~ん、そうなるとやっぱ違う気がすんなぁ」
――橘の支配下だったらもっと違う感じだよな?
今のアイツ等の視線は違う、そんな感じの目じゃないよな……
それに、ラティが絶対に気が付くはずだ、
首を捻り、思考がグルグルとドツボにハマり掛けた、その時――。
「陣内君、少しいいかい?」
「赤城、……解放されたのか?」
「ああ、やっと解放されたよ。まさかあそこまでやるとは……」
裏切り者、事前に教えておけ、といった目を向けてくる赤城。
赤城達は三雲に捕まっていた。
例のアレ、勇者達が入浴中に行われる正座にてのホールドアップ。
既に経験済みの俺は、即座に天幕へと避難していたのだ。
もしかすると椎名や他の連中も避難しているかもしれない。
そして何も知らない赤城達は、弓を構えた三雲に捕まったのだった。
ラティがこの場にいないのは、彼女は現在入浴中だから。
「ふう、酷い目にあったよ。まさか異世界で正座を強要されるとはね、前のダンジョンでも同じ事を? あんな風に全員を正座させて……」
「ああ、誰もが通る道だ。――で、何か用か? まさかそんな事を言いに来た訳じゃないんだろ?」
「ああ、そうだった。あの話を詳しく聞きたい。何故、ダンジョンの最奥にある要石のような魔石を求めるのか、その理由をキッチリと話して欲しい」
「…………わかった」
一瞬悩んだが、俺は正直に話す事を選択した。
赤城は、精神の宿った魔石の事を”要石のような魔石”と言った。
この事から、赤城が精神の宿った魔石の事をある程度把握している事が分かる。
それにドライゼンもそうだが、赤城も情報収集は怠らないタイプ。
下手な隠し事は無用な不信感に繋がる。そして、勇者が魔王になる危険性はまだ隠しておきたい。
仮に勘付かれていたとしても、それを正直に明かすにはまだ早い。
なので俺は、下手に隠し事をして全て暴かれるよりも、ある程度の情報を与え、今はその情報で手一杯にする事を選んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……上手くいったかな」
俺は、赤城にほとんどの事を話した。
まず最初に、精神の宿った魔石が必要な理由を説明した。
魔王を消滅させるには、世界樹の木刀と、その木刀の使い手に力が必要。
そしてその消滅させる力を得る為に、精神の宿った魔石が必要だと話した。
次はその話の流れで、魔王を消滅させる必要性を語った。
ただ倒すだけでは駄目で、完全に消滅させる必要があると説明した。
しかしこの説明は少し難しかった。勇者が増えると力が溜まってヤバイから、もう勇者召喚はやらない方が良いと説明した。
色々と説明が抜けていたが、その都度赤城が質問する事で補強し、全部話し切る事が出来た。
さすがに多少は伝わり切らない所もあったが、あのファンタジー過ぎるこの世界の構造は、直に映像として見ないと理解出来ないだろう。
そしてこの時に、俺は赤城に釘を刺して置いた。
もうこれ以上高レベル者を作り出すなと、異世界が決壊する危険性があると明かした。
赤城をこのまま放っておくと、勇者同盟のメンバーを無駄に増やしそうだと思った。
ボレアスという強力な後ろ盾を得たのだから、下手をすると万単位の超高レベル者を作り出しそうな気がしたのだ。
普通ならば勇者の恩恵があったとしても難しいが、今の赤城なら何とか可能になる方法を見つけ出しそうな気がした。
そしてもしそんな事が実現しようものなら、異世界の崩壊は待ったなしだろう。
はっきり言って魔王よりも被害が大きい。完全に世界が壊れるのだから……。
他にも色々と聞かれたが、取り敢えず魔王化の件は誤魔化せた。
そして、超高レベル者をこれ以上育てない件も了承してくれた。
本当に呆気ないほどすんなりと俺の意見が通ったのだった。
「……しかし赤城も変わったな」
意外に思う事があった。
あの赤城が、終始聞きに徹していた。
上手く話を訊ねて言葉を促し、俺から様々な話を聞き出していた。
昔の赤城なら、話を聞いている途中で否定や自分の意見などで話を遮り、話の着地点を自分の望む所に持って行こうとする傾向があった。
話を聞いているのに話を聞いていない。
そんな印象だったのだが……。
「アイツ、本当に変わったな。伊達に勇者同盟を率いていないか」
俺にも陣内組というモノがあるが、運営や具体的な指示は全部レプソルさん達がやってくれている。そう考えると……。
「あれ? 赤城って結構凄くねえか?」
ふと気付く、精神の宿った魔石回収に疑問を持った勇者は赤城だけ。
他の勇者達は、ギームルからの依頼だから疑問を持たずに従っている気がする。
特に小山などは何も考えていない。
「…………アイツ、実は勇者が魔王候補だって知ってんじゃねえのか」
それだと辻褄が合う気がした。
先程、あれだけ色々と訊ねてきたにも関わらず、魔王化の件は簡単に誤魔化す事が出来た。
あれだけ情報を聞き出していたにも関わらず、赤城がそれに触れないというのはどうにもおかしい気がしてきた。
「うえっ、何か厄介な種が増えた気がすんな」
ゴロリと横になって天幕の天井を見つめる。
物分かりが良く、妙に良い奴となった赤城。
前とは全く変わり、まるで洗脳でもされたかのような元黒獣隊。
魔物の巣窟であるダンジョン内だというのに、俺は魔物よりも味方の方に振り回されている気がした。
「何か疲れた、癒されたい……。ラティまだか」
横になりながらラティを待つ。
風呂上がりのホコホコラティでも撫でて心を癒すと決める。
そうすればきっと落ち着くだろう。
「あれ? なんか遅いな」
その日、ラティは女性陣の天幕から戻ってくる事はなかった。
何があったのか不明だが、ラティは戻ってこなかった。
こうして、地底大都市遠征初日を終えたのだった。