母の誇り
葉月に案内され、俺は言葉がいる部屋の前までやってきた。
目の前の扉の先には、多分言葉がベッドに横になっているだろう。
だがもしかすると、寝汗などを拭う為に、彼女が身体を拭いているかもしれない。
そう、可能性はゼロではない、ノックもせずに扉を開けるとト○ブルかもしれない。
と――少々邪念を過ぎらせたが、そんな真似をする訳にはいかない。流石にそこまでアホなつもりではないのだが……。
「って、なにしてんだ……」
「あの、何でしょうか、ご主人様?」
「うん? なにかなぁ、陽一君?」
何故かラティが、俺の右手前を遮るように身を進め。
葉月の方は、俺の行く手を塞ぐようにして、扉の前を確保したのだった。
二人のその動きはまるで、俺の思考を読み切ったような位置取りだった。
閑話休題
俺たちはノックをして扉を開けてもらい、部屋の中へと入った。
葉月のノックに対応してくれたのは、この部屋に配属されていた侍女達だった。
彼女たちは廊下に繋がる部屋に待機しており、その部屋と繋がる奥の部屋が、言葉の寝ている寝室だった。
やってきた俺たちに気付いたのか、奥の部屋から三雲が姿を現した。
扉を大きく開けず、顔だけ覗かせた状態の三雲が話し掛けてくる。
「あ、アンタたち来てくれたんだ。あ、ちょっと待っててね、いま沙織が身体を拭いているから。えっと、コニーさん、ちょっと沙織を手伝ってあげて。わたしはコイツらの相手をするから」
「はい、かしこまりましたミクモ様」
三雲がこちらに来て、メイド姿のコニーさんが奥の部屋へと向かう。
コニーさんが奥の部屋に入る時、扉が少し開いたので、何となく、本当に何となくだが、開いた扉の先に目を向けた。のだが――。
ラティと葉月によるブラインドで防がれる。
微塵にも突破出来る気がしない。
やってきた三雲と少しの間話をしていると、言葉から、部屋に来てほしいとの伝言を受けたコニーさんがやって来た。
俺たちはそれに従い、奥の寝室へと踏み入る。
「えっと、言葉、身体の方は平気か? ウチのロウを助け――ッ!?」
俺は言葉を見て、言葉を失い思わず目を見開いてしまった。
正確には、彼女の髪を見て俺は固まってしまった。
なんとか声を絞り出すようにして問い掛ける。
「そ、それは……無理させたからか……?」
「…………たぶん、そうかな? でも気にしないで陽一さん」
豪奢な天蓋付きのベッドに、横になりながら身を起こしている言葉の髪の一部が、一筋の銀糸のように輝いていたのだ。
普段流している髪とは逆側、右の横髪の一部が、黒ではなく銀色に変わっていた。
それはまるで、黒の色素が抜け落ちてしまったかのように。
「すまねぇ……マジですまん……あ、く……」
一時的なモノなのか、それとも恒久的なモノなのかは不明だが、女性の髪に疵をつけてしまった。
上手く言葉が出て来ない。
何も言えないとはこの事かと思い知らされる。
葉月は事前にこの事を知っていたのか、俺のように取り乱してはいなかった。
ラティの方も、特に揺らいでいる様子はない。
「気にしないで下さい陽一さん。これは私にとって、ロウくんを助けられた誇りのようなモノです」
「ああ……」
――何が誇りだよ……
そんな証があるとすれば、それは生きているロウだろうが、
俺に気を使わせないように、そんなことを言って……すまん、
「それに――私はモモちゃんのお母さんですから。だからそのお兄さんを助けるのは当然です。だから本当に気にしないで下さい」
「へ?」
「…………」
「…………」
「沙織……アンタ何を言って……」
――はい? え? いやいやいや!?
あれ? 言葉ってモモちゃんのお母さんだっけ?
あ、でも確かにそれっぽい感じで呼ばれたか、それに凄く懐いていたし、
って、ちげぇよ!
「だからこの髪は私の誇りなんです。あの子たちを守った誇り……」
言葉はそう言って、銀糸のようになった髪を優しく梳いた。
( ああ…… )
その姿は、一瞬だが息がくっと詰まるほど綺麗であった。
艶かしいとは違う、子供が母に惹かれるような、触れてみたいと思うよりも、優しく抱き締められたいと思う感覚。
「ねぇ言葉さん? 私もモモちゃんを自分の赤ちゃんのように思っているんだけど。一緒によくお散歩もしているし」
「あの、モモさんはわたしと同じ狼人ですので……」
突然、謎の張り合いを始める葉月とラティ。
取り敢えず俺としては、モモちゃんは俺の娘と主張したいところだが、それを今すると、とてもマズイというか泥沼というか、要は嫌な予感がしたので控えた。
ならば話を変えるべく、何か他に話題はないかと考えた時、俺は大事なことを思い出した。
「あ、そうだ! あの鼠顔のヤツは来なかっただろうな?」
「はい? 鼠顔? 陣内、アンタ何を突然言い出して……まさか鼠顔って」
「えっとだな――」
俺は、鼠顔のことを言葉と三雲に話した。
ほとんど憶測の域を出ない話だが、この二人になら十分に伝わると思えた。ほんの二ヵ月ほど前に、言葉と三雲はそれに巻き込まれていたのだから。
そして、宰相の危険性も語った。
今回のヤツの行動や不手際、それと俺たち陣内組に対する対応、そして先程の城門でのやり取り等々。
俺は言葉と三雲に、城から出るようにと話す。
下手をすれば、エウロスの街の二の舞になるかもしれないのだから。
「――と、いう訳なんだ。宿の手配なら俺たちも協力をするから」
「陣内っ! アンタ大事なことが抜けてるよ」
「へ? 何が抜けてるってんだよ三雲」
「はぁああああ、この男は……。ああ、そうか、当事者だから逆に気付かないのか」
頭痛でもするかのように頭を振る三雲。
何処か俺を馬鹿にした感があり、少々腹立たしい。
「陣内、いい? 沙織は蘇生を使って何人も助けたのよ? それの意味が分かる?」
「――っあ!? そうか……そうだよな……」
三雲の言葉に、俺は頭を殴られたような思いになる。
彼女の言う通りである、俺はそれを懸念していたのに、ロウの事で吹っ飛んでいた。
誰だって考えつくことなのに……。
俺の様子から、それに気が付いた事を察したのか、三雲は幾分は優しい口調で続きを語る。
「いまハーティさん達が調べてくれているから、今はその報告待ちなの。迂闊に外に出て行って、なんでもかんでも助けてくださいって殺到されても困るからね」
「ああ、だからハーティさんはいないのか」
三雲の説明によると、昨日言葉がロウや街の住人を蘇生させた話が広がり、他の人たちも殺到してくるのではと、そう予想したらしい。
助けてあげたいとは思うが、言葉の蘇生にも限界があるそうで、酷い状態の遺体や、既に灰となっている火葬済みでは蘇生は出来ないらしい。
だが、灰からでも復活が出来るという、謎の認識が異世界にはあるそうで、今は言葉を城の外に出しても平気かどうか、それをハーティが調べているのだという。
少なくとも、城の中にまで乗り込んで来る住人はいない。
仮に居たとしてもそれは貴族達、流石に全てを排除する事は出来ないので、その対応として三雲が残っているのだと。
「でも、あの宰相の人がエウロス出身か……。だから見舞いに来た時に沙織のことをガン見していたのか……あのクソ野郎め」
「マジか!? やっぱアイツが来たのかよ」
「唯ちゃん、そんな風に言っちゃ……」
「うん、王女さまがお見舞いに来てくれた時に、その付き添いとして居たのよ。あの男だけだったら断ったんだけどね」
――がああああっ!
やっぱ狙ってんじゃねえのか?
くそっ、だからって外も問題か、せめて言葉の体調が万全なら……
今すぐといった、緊急性のある問題ではないが、あまり長くいると拙そうだった。
異世界の住人は、誰もが勇者たちに惹かれる。
自制が効いていたとしても、魔が差すような馬鹿な真似をするヤツがいる。
どうすべきかと、そんな風に頭を悩ませていると。
「あの、もしかすると先程の侍女の方たちは、その宰相の方が遣わしたのでは?」
「あっ!? そうかも……。と、いうことは信用ならないわね」
ラティがこうやって意見を言うのは珍しい。
危険が迫っているのならば言うかもしれないが、普段ならばまず言わない。
だが、それを口にしたという事は、【心感】で何かを感じ取ったのだろう。
そして、ラティが言い出す程なのだから――。
「三雲、ハーティさんに言って三雲組から護衛を派遣して貰え」
「え? あ、でも……ウチの女性陣ってみんな後衛役ばかりだから、何かあった時の揉め事にはちょっと弱いかも。城の中だから武器も持ち込めないし……だからって部屋に男を置くのも……」
――あ、そうか、
見舞いに来る程度ならいいけど、さすがに野郎に常駐されんのはアレか……
それなら、
「判った、ウチの陣内組からテイシを寄越す。彼女なら武器とか持ってなくても十分強いし、後れを取る事はまずないはずだ」
言葉が寝ている場所は城の一室。
だから入城する時には、手持ちの武器を全て預けさせられる。俺とラティも、木刀以外の武器は全て預けてある。
ただ木刀だけは、神聖な儀式用のモノという建前で、強引に許可を貰っている。
本当は預ける際に、受け取り役が木刀を重くて持てなかった為、俺が難癖をつけて預けなかったのだ。
刃が付いている訳でもないし、それに、丸腰で城の中に入るほどヌルくはない。
あと、何故か一時も手放したくないのだ。
「あ、助かる。テイシってあの猫人の斧使いだよね? あとは身の回りの世話を出来る人が欲しいかも。コニーさん達に頼るのを止める訳だし」
「ああ、それならリーシャも寄越そう。アイツならきっと喜んで来るはずだ。何せ、ロウの命の恩人の世話が出来るんだからな」
――くく、これでリーシャと一緒にいる時間を潰せるな、
ロウ、お前にはまだ早いんだ、女の子とイチャコラしようなどまだ早いっ!
ウルフンさんが許したとしても、この俺が許さんっ!!
「ご主人様……」
ラティから咎めるような声音で呟かれたが、俺はそれを無視した。
閑話休題
その後、俺とラティだけで城を出て、自分たちの泊まっている宿へと向かった。
その目的は、リーシャとテイシに訳を話し、彼女たちには城へと行ってもらう為。
葉月は、言葉の身が心配なのか、あのまま部屋に残ってくれたのだった。
彼女もその手のことで、所属していた教会から酷い目に遭っている。
だからきっと親身になって協力してくれるのだろう。
それと城を出た時に、俺たちを待っていたのか、勇者赤城から忠告された。
その内容は、ハーフエルフの子をしっかりと見ておけというモノだった。
確かに色々とやらかしそうなヤツだ、だがそこまで心配する必要はないと思うのだが、あの赤城がわざわざ言ってくるのだから、俺は一応気に留める事にした。
賑やかな広い道を、俺はラティと一緒に歩く。
頭の中にモヤモヤと、言葉が言った言葉が浮かんでくる。
『私はモモちゃんのお母さんですから』
その言葉自体がモヤモヤとする訳では無い。
その言葉を自分に当てはめてみて、俺は思わずモヤモヤとしてしまっていたのだ。
そう、俺に子供が出来るのかという未来に。
ゼピュロスでオッドが俺に言い放っていた、人間と狼人の間では子供が出来ないと叫んでいた。
あれだけ堂々と言い放ったのだから、それは嘘などではないのだろう。
だから――俺とラティの間には子供が出来ない。
――ああ……
ラティはモモちゃんのお母さんになってくれるかな……
そうすれば……そうすれば俺たちにも――ッ!?
俺の右手の小指がキュっと握られていた。
彼女は普段こんな事をしない。
普段なら絶対にしてこない。
だからこれは、ラティからの返事だと思えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
それからしばらく歩くと、自分たちの泊まっている宿が見えてきた。
宿が視界に入ると、ラティはスッと指を解いた。
正直、もっとこのままでいたいところだが、もしこれが目撃されようモノなら嫉妬組が黙っていない。
奴らはニトロのような存在、ちょっとした刺激で過剰な反応を見せる時がある。
だから仕方ないと、俺はラティから離れたその時、宿屋から勢いよく飛び出してくる者がいた。
咄嗟に身構えたが、飛び出してきた男は、粗野な冒険者とは違う整った身なり。
一般人とは明らかに違う高そうな服装。
( ん? 貴族か? )
その貴族らしき男は、そのまま逃げるようにして去っていた。
「なんだ今のは?」
「あの、物凄く怯えている様子でしたねぇ」
俺は、少々不思議なモノを見たという気持ちで宿の入り口を潜ると、そこには、もっと不思議な光景が飛び込んできた。
「ふん、何処をほっつき歩いておったんじゃ」
「あ、お帰りなさいですよジンナイ様」
「へ? ギームル……と、サリオ?」
俺の目の前で、ギームルとサリオが並んで座っていたのだった。
読んで頂きありがとう御座います。
宜しければ、感想やご指摘、質問など頂けましたら嬉しいです。
あと、誤字脱字なども教えて頂けましたら……