彼女の意地
すいません、遅れました。
小さな体に見合わぬ大きな傷。
牙や爪とは違う、刃物で袈裟切りでもされたような切り口。
だが、流れ出る血はもう止まりかけている。
「ああ……」
「すまねえジンナイ。オレが油断して……、まさか壁這い野郎がいるとは思わなくて、上を全く警戒していなかったんだ。それでロウのヤツがリーシャを庇ってよう……ああ、なんで北にいるコイツがここにいんだよ」
「え……」
( おい、まさか…… )
「すまねえ、魔王を倒したって聞いて、それで飛び出しちまって……。オレがついているから大丈夫だって思ってよう……そうしたら上から――くそっ、いるって判っていりゃ、そうしたら、そうしたら……」
( 襲ってきた魔物って……まさか…… )
「ちくしょう……モモに何て言ったらいいんだよオレは……」
目の前でドミニクさんが涙を流しながら謝罪しているが……。
( ああ、俺は……伝えて……いなかった )
あの時、魔王の黒い塊によって出た被害の大きさに、俺は北のダンジョンに居る魔物が湧いていることを、しっかりと伝えていなかった。
侵入した魔物に対して指示を出していたガーイルなら、その件を把握していたかもしれないが、指揮下の兵士ではなく、中央に呼ばれた冒険者側は把握していなかったかもしれない。
少なくとも、蘇生に向かった言葉たちには伝えていなかった。
魔物が湧いているだけとしか伝えていなかった。
もし、あの時にしっかりと伝えていれば、ドミニクさんにも伝わっていたかもしれないし、言葉の護衛についていた二人が、上をもっと注意して魔物を発見し、そして倒していたかもしれない。
全ては可能性の話、かもしれないという話だが……。
――くそっ、それでも、
それでもっ、もしかしたらロウが助かったかもしれない、
俺がしっかりと伝えていれば……違ったかもしれない、
ぐったりとしているロウの顔色は、体温を感じさせる赤みが一切ない白色。
その顔色が、俺の心を深く抉る。
切れた糸のように力なく垂れている尾が、今のロウを表わしている。
ウルフンさんが、哀しそうな表情を浮かべて立っている気がする。
キョトンとしているモモちゃんが、火がついたように激しく泣くのではなく、くしゃりと顔を歪めて静かに泣く光景が浮かぶ。
声をあげることも出来ず、ただ悲痛な表情のモモちゃんが……。
「――ご主人様っ! ご主人様!」
「っがは! ハァ、ハァハァ……」
受け入れがたい現実に、どれだけの間、意識を持っていかれたのかは分からないが、俺は息が苦しくなるほど呼吸が止まっていた。
心配そうな顔をしたラティが、酸素を取り入れようとしている俺を横から覗き込んでくる。
「大丈夫ですか、ご主人様?」
「ああ、ラティ、俺は――!?」
『大丈夫』だと伝えようとしたが、何故か上手く喉が動かない。
ラティの顔が歪んで見えて、何故か彼女の顔がよく見えない。
――俺は……
モモちゃんに、ウルフンさんに何て言えばいいんだっ、
なんて伝えたらいいんだよっ!
「信じましょう、ご主人様」
「へ……?」
気が付くと、ラティが俺の正面に回って膝をついていた。
彼女の両手が、俺の頬を包み優しく撫でる。
親指の腹側で、そっと俺の涙を拭ってくれる。
「今、ミクモ様が向かいました。だから、あの方たちを信じましょう」
「あ、え……?」
ラティの言葉が、ラティの手のひらの体温が、俺の中に沁み込んでくる。
混乱し詰まっていた思考が動き出す。
「きっと……」
「ああ……そうだな」
それから数分後、三雲によって言葉と葉月がやって来た。
その後ろには、サリオや陣内組と三雲組までもがついて来ていた。
時間が惜しく、短いやり取りも無しでロウの蘇生が開始された。
だが――
「くっ、ぅぅう」
「言葉……」
「沙織」
ロウの傷口に手を添えて、懸命に蘇生を試みる言葉。
額には玉のような汗を浮かべ、治癒の力を、手のひらに掻き集めるかのように集中させている。
淡い神秘色の光が、注ぎ込まれるようにして傷口へと流れていく。
「っん、んん……」
だが、明らかに輝きが弱い。
言葉の回復魔法による治癒の光は、普段はもっと強い光を放っていた。
――くそっ、やっぱりMP不足か、
犠牲者の蘇生と魔王戦でのフォロー……
くそっ、くそ、
言葉が消費したMPに無駄があったとは思わない。
黒い塊による犠牲者の蘇生や、魔王戦時の小山のフォローなど、全てが必要だった。
無駄に消費したMPは無い――はずなのに。
それでも――。
「くそぉ、あの時の……」
身勝手な想いが零れてしまう。
あの時、八十神が蘇生に向かった方が良いと言った時、俺もそれに同意したはずなのに、それを願ったはずなのに……。
「あの時……のが無ければ……」
俺は酷く身勝手な事を考えてしまう。
考えてはいけないモノを、感情が勝手に拾ってしまう。
人の命に差はない。
だが、その人の捉え方やその場の状況によって、差が、価値が変わってくる。
道徳的、倫理的などではない、もっと根本的な感情によって。
死を覚悟している冒険者たち。
死んだ方が良いと思える屑。
自己犠牲に身を投じる者。
そして、名前も知らない赤の他人よりも、名前を知っている大事な人を優先したい気持ち。
「くそぉぉ……」
俺は今、きっと最低な事を考えているのだろう。
だがそれを正すことが出来ない。
ぐるぐると最低な事を考えてしまう。
言葉の放つ治癒の光が弱くなっていく。
その光が途絶える時、それは蘇生の失敗を意味するのだろう。
ハーティからの、MP回復補助魔法では追い付かないのかもしれない。
俺に【鑑定】の【固有能力】は無いが、それでも言葉のMPが枯渇しかかっているのが分かる。
言葉の隣、蘇生が成功したらすぐに傷を塞ぐ為に待機している葉月が、その整った眉を顰める。
もう失敗してしまう寸前なのかもしれない。
しかもたった今、失敗することを暗示でもするかのように、サリオの作った巨大な”アカリ”が灯を止めた。
一瞬にして深い闇が降って来る。
もう無理なのかもしれない――
「諦めないっ!」
か細くも、力強く意志のある声が響く。
その『諦めない』と宣言をしたのは、今もっともキツそうな顔をしている言葉だった。
その宣言の意志を示すかのように、消えかかっていた治癒の光が、眩しいぐらいの光を放ち始めた。
「え!?」
「凄いですよです……すごいです……完全に枯渇しかかっていたのにです……」
「これは……?」
唐突に訪れた闇の中で、その光は、全ての絶望を打ち払うかのように輝きを放ち――
「葉月さん、あとはお願いします……」
「うん、あとは任せて言葉さん。絶対に治してみせる」
一つの光が消える瞬間、その光の意思を継ぐかのように、新たな光が生まれた。
そしてその光は、狼人少年ロウの傷を瞬く間に塞いだのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
周りが慌ただしい中、俺は呆けるようにして壁に寄りかかっていた。
辺りは”アカリ”で照らされ、少し薄暗いが辺りはハッキリと見える。
俺の眼前には、街中にもかかわらず天幕のようなテントが、広めの道に急遽建てられていた。
言葉の疲労があまりに激しい為、何処かに運ぶよりもこの場で休ませるとの判断だ。
天幕の中には、蘇生したばかりのロウも寝かされている。
蘇生したとはいえ、大量の血を流した後。一回は目を覚ましたのだが、すぐに眠りについてしまった。
さっき覗いた時、リーシャがロウの手を祈るようにして握っていた。
因みに、言葉とロウが横になっている二つのベッドは、三雲が【宝箱】から取り出したもので、勇者の持つ【宝箱】の凄さを改めて思い知らされる。
そして言葉を天幕に運び込んだ後は、ロウを襲った魔物は倒してはいるが、まだ他に潜んでいるかもしれないと、陣内組と三雲が捜索に向かった。
【索敵】持ちということで、現在はラティもそちらに行っている。
今は俺だけがこの場に残っている。
慌ただしく様々な物が、言葉の眠る天幕へと運び込まれて行くのを、ただ眺めている。
「……俺だけサボっているみたいだな」
今の自分の状況を見て、ポツリとそんな言葉が零れる。
何かしないといけないのに、周りに気を使われて俺だけが残された。天幕周辺の警戒という建前で。
だが正直なところ、今は完全に気が抜けているので、その気遣いが有り難かった。
「アンタ、少しはマシな顔をしなさいよ」
「……三雲」
気が付くと目の前に、『むんっ』といった感じで三雲が立っていた。
コイツだけは別な様子。
「あの狼人の子は助かったんだから、何を何時までもしけた顔をしているのよ」
「……ああ、だけど言葉が。また言葉に負担を掛けちまって……」
「沙織が望んでやった事よ。それ以上うじうじ言ったら射貫くわよ」
そう言って【宝箱】から弓を取り出す三雲。
俺に発破をかけに来たのだろうけど、相変わらず過激な感じ。
「だけどよう三雲、あんな倒れるまでって。……ロウは俺が引き取ったんだから俺には責任があるけど、でも言葉には……」
「殺すわよ陣内?」
「いや、流石にそれは勘弁してくれ」
今の俺にそこまでの元気はない。
魔王戦がやっと終わり、その直後での、この出来事。
今は、三雲に何かを言い返す気力すらも無くなっているのだ。
「沙織はアンタの為に頑張ったんでしょうが。そりゃあ、あの子を救ってあげたいって気持ちもあっただろうし、その想いも本物。だけどね……」
「……うん? だけど?」
「陣内、アンタよ、アンタの為に沙織は”蘇生”っていう奇跡みたいなモノを、MPが枯渇した状態でも使うっていう奇跡を起こしたんでしょうが。そうよ、全部アンタの為にやったんでしょうが」
「ああ……、そうか……」
三雲の言葉がスッと入ってきた。
好きな誰かの為に自分の限界を超えてみせる。
心当たりがある。――だからとても納得が出来た。
「それに、ある事でちょっと焦っていたから、尚更余計に無理したのかも……」
「うん? ある事?」
「……前に女子で集まった時があったのよ、それでその時に言ったのよ。アンタの事を好きってあの葉月がね」
「へ? え?」
「あ~~~悔しい。なんかコレ、あの葉月にわたしから言わされたみたいだわ。……まさかあの子、これを見越して……? そんな訳ないか……」
「おい三雲、一体何が」
「ああああああっ、もう今のは忘れてっ! 無し無し全部無し!」
「お、おい」
「言葉はアンタの為に頑張ったのよ、もうそれだけ。じゃあわたし行くからっ! さっきのは忘れて」
「お、おい三雲!」
俺を振り切るようにして天幕へと入っていく三雲。
現在天幕の中は、眠っているロウを除いて男子禁制。当然俺は中には入れない。
それに――。
「葉月も中にいるよな……」
間違っても今は入れない。色々と……。
「あの時……女子の集まりって前の女子会か?」
誰も答えてくれる者はいないが、それでも俺はそう呟いていた。
読んで頂きありがとう御座います。
宜しければ、感想など頂けましたら嬉しいです。
全てに返信出来ない状態ですが、全て読ませて貰っています。
あと、誤字脱字なども……