逃走!気付かれずに……
空が青いのは、大量の大気によって光が屈折されれるから。
その日はいつもと違っていた。
まあ、前日にあれだけの事があったのだから仕方ない。
誰もが不安を感じていた。
だが、不安に思うだけでは好転はしない。
何をするべきか考え、そして何かを行わないといけない。
場合によっては、何かを選ばないといけない。
そうでないと村を維持出来ないのだから。
早朝のうちに自分は呼び出された。
『ベオルフ、お前に話があるワシの家まで来てくれ』
『は、はい村長さん……』
自分は村長に呼ばれて、彼の家までついて行った。
そしてその村長の家に入ると、その中には、村の重鎮と呼んでも差し支えの無い人たちが集まっていた。
物々しい雰囲気の中、自分は決定した事だけを伝えられた。
それは、例の少女の引き渡し。
男爵に連れて行かれたとしても、何も殺される訳ではない、もしかしたらこの村よりも良い生活を送れる可能性だってあるのだ、――と言う。
今回の件を穏便に済ませる為に、それは必要だと。
そして、場合によっては村娘リナも差し出すと。
今回もっとも重要なのはジンナイの確保、彼だけはこのまま村に残らせると決定していた。
ジンナイが村の守り人になるのであれば、村娘リナは不要。
今まで、明らかにジンナイの捜索だと思わしき者が来ても、そんな者は村に来ていないと誤魔化し、ジンナイを隠し続けたのだと教えられた。
そして今日にもインカ男爵はやって来る。
だからジンナイには森へと行ってもらい、男爵には彼は逃げたと伝え、そして少女を税として納めれば、全て丸く収まると画策していた。
村長はそう決断を下した。
だから後は上手く立ち回れば良いと。
村人全員に根回しをするのは大変なので、知っている者を絞り、それを決行するべきだと。
言っている事は分かった。
そして村人の全員に伝えないというのは、大変だからなのではなく、不信感を持たれないようする為だとも……。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
村長の予想通り、インカ男爵は村へとやって来た。
後は渡すモノを渡し、速やかに帰ってもらいたかったのだが。
「ほほう、奴は逃げたと……で、その娘らは?」
「この子だけでは駄目でしょうか……?」
親の姿は見当たらず、小さい少女だけが居た。
諦めの表情を浮かべる少女、もしかすると、既にこの子には何かしら伝えてあるのかもしれない。
正直、胸が痛む。だがこれは仕方ないの事。
そして少女と同じ表情を浮かべるリナ。
自分はリナの事が好きだ。だが、だが命を張れるかと問われれば、否。
好きだから命を張れるなどは幻想、仮に命を張ったとしても、それが報われるとは限らない、報われない場合だってある。
だから自分は選択する。ここは堪えるべきところであり、我慢して耐えるべき時だと、自分は村娘リナを諦めた。
そしてインカ男爵が顔を醜く歪め、彼女らの手を取ろうとした時――
「そんな事は許しません、女の子を無理矢理に連れ去るなど、決して許される事ではありませんっ」
「誰だ!? この男爵たる儂の邪魔をするの……は?」
突然響いた声は、よく通る綺麗な声であり、そして強い意思を感じさせる言葉だった。
声のする方に目を向けると其処には。
見た事もない上等な白い生地に、輝き出しそうな程に鮮やかな赤色の意匠を、袖や裾に惜しみなく凝らしてある法衣を纏った美しい女性が立っていた。
そしてその身なりと雰囲気から、この女性はインカ男爵よりも上の人だと感じ取れた。
自分でも感じ取れる程なのだから、貴族であるインカ男爵もそれを感じ取ったようであり、口をパクパクとさせて狼狽えている。
「貴方のやってきた事は聞いております、大人しく捕まってください」
「な、なにを言う小娘があああ!!」
「私たちは貴方を裁きに来ました!」
怒声に退くことなく、凛然とした態度で言葉を紡ぐ白い法衣の女性。
彼女の言葉を聞いていると、不思議な安心感ともいえるモノが心を満たし、彼女の発言は一切間違ってはおらず、自分の全てを委ねたくなる、そんな感覚に支配されていた。
「う、五月蠅い! わ、ワシは男爵だぞ――!」
彼女の言葉を、何とか振り切るような、そんな葛藤をインカ男爵は見せ、白い法衣の女性へと掴み掛りに行った。
一瞬、危ないと思ったのだが、次の瞬間にはそれが変わっていた。
最初は深紅、次は亜麻色、視認が出来る一陣の風。
本当にそうとしか表現が出来ないように、一人の少女が現れた。そしてその少女は、まるで自ら躓いて転んだかのように、インカ男爵を地へと伏せさせていた。
その少女が何かをした様子だったが、あまりにも流れるような自然な動きだった為、何をしてインカ男爵を転ばせたのかは分からなかった。
「ぐう、いたたた。おい貴様! 誰に何をしたのか分かっておるのか!」
「…………」
深紅色の外套を纏った少女は、インカ男爵を興味無さげに見つめるだけで、何も語らずに立ったままで、インカ男爵の言葉を無視していた。
深紅色の外套を纏う、亜麻色の髪の少女。
頭に生えているピンと張った獣耳の形から、彼女が狼人だと分かる。
それは忌避すべき存在。――だが、猛烈に惹かれる。
白い法衣の女性は、自分の心に安らぎを満たしてきた。
だが、この狼人の少女は、自分の心にチリチリ疼くような渇望を与えてくる。
頭に浮かぶのは『欲しい』の一言。
見えない何かが目に侵食をしてきて、それが自分の目を鷲掴みにして視線を固定させられる。
瞳に彼女を映せば映すほど心が渇き、そして潤いを欲してくる。
あの少女が欲しい、この腕に囲いたい、貪り付きたい、自分のモノにしたい、ただただ彼女が欲しい。欲しいと言う欲望が湧き溢れ出る。
彼女は狼人なのだから、身勝手に奪ってしまえば良いという想いが鎌首をもたげる。
『ああ、そうだ、自分のモノにしてしまえば良い』と、そんな結論に達した時、新たに一人の男が姿を現した。
歳は60程、威厳があるというよりも、威厳しかない顔と風貌。
その身なりから、明らかにインカ男爵よりも上の貴族様。
その初老の男性が、インカ男爵に罪状を告げていった。
だが自分は、狼人の少女へと意識を持っていかれているので、その内容をしっかりと把握出来なかった。
だが、要は悪い事をしているから、男爵をノトス公爵の元へ連れて行くとだけは理解できた。
その男の言に、必死に何かを懇願している男爵。
いままでの威張り散らした態度は欠片も見えず、それは屠殺される前の豚のよう。
そして暫くすると。
インカ男爵は無駄な悪足掻きは止めて、そのまま力なく崩れ落ち地に伏した。
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「なんで、なんでこの村にラティが……」
ラティがいた。
まだ上があったのかと思わせる程の俺の理想が立っていた。
暫くの間見ていなかった為か、少し背が伸びたようにも見える。
装備品である外套や鎧は、一度しっかりと整備でもされたのか、前よりも綺麗になっており、それがよりラティを引き立てていた。
そしてその彼女の足元には、出荷前のブタのような男が横たわっており、何かの指示のようなモノが聞こえた後、ブタが罪人のように連れて行かれた。
どういった経緯なのかは不明だが、自ら連れてきた兵士に連行されていく。兵士達に庇われているや、保護されているといった様子では無かった。
一体何が起きているのか。本当ならそれを把握しなくてはならないのだが、俺はラティから目が離せなくなっていた。
心の中は、ラティを見れた事での喜びで満ちている。
『思考が飛んでいた』としか言いようのない状況、俺は呆けるようにラティを見つめ続ける。
きっと時間にして10秒程度。
俺はすぐに自分のおかれている状況を思い出す。自分は逃亡者なのだと。
逃げねばと、そう気付いた時、俺はある違和感を感じた。
正確に言うならば、もっと前からその違和感はあった。
自分の感情ではないモノが流れ込んで来る、そんな不思議な感覚。
先程の、心に満たされていく喜びの感情が、自分のモノだけではない
と。
無くしたモノを見つけて嬉しいといった感情が、俺の心の中に流れ込んで来ていた。
( この感覚は…… )
流れ込んで来るモノの正体に心当たりがある。
それは【心感】と狼人の尻尾が合わさり生み出されるモノ。
――ッマズイ!?
これはラティの感情だ! ラティの強い感情が俺に流れて来てるっ、
くっそ、アホか俺は、この距離じゃ……
その刹那、俺は逃げる為に駆け出した。
相手はあのラティ、彼女の半径50メートル内に入って察知されない訳がない。
俺の中に流れ込んで来た強い感情は、俺を見付けた事への喜び。
俺の位置は既に察知されていたのだ。
俺はその事に気付き、咄嗟に駆け出していたのだが、すぐ後ろの退路は半透明の障壁が展開されており、逃走経路の一つが塞がれていた。
「くっそ! ならその横をっ」
俺は魔法で作られた障壁を避けて、横へと逃げようとしたのだが――
「さっせないよ!」
巨大な白刃が振り下ろされ、俺の行く手を遮った。
目の前に振り下ろされた大剣、俺はそれを止まる事で回避した。しかし。
二手、俺は二手も足止めされたのだ。
そして二手も足止めされたのであれば、それはもう――
「やっと見つけました、ご主人様……」
「ああ……うん」
背後からお腹の上に回された少女の腕、そして背中に柔らかく押し付けられる髪の感触。俺は呆気なく捕獲されてしまった。
ラティの手によって……。
「やっと……」
「ラティ」
俺は後ろから回された手の上に、そっと自分の手を重ねる。
ラティは小手などはしておらず、彼女の体温が沁み込んで来る、俺の手の平とお腹にじわりじわりと。
俺は呆けるようにして、その温かさに酔いしれていると――
「そろそろいいかな~陣内君?」
「え? って伊吹!?」
横から俺の顔を覗き込むようにして、大剣を持った勇者伊吹が立っていた。
「陣内君、私達もいるんだけど、なんで気が付いてくれないのかなぁ~?」
「あ、葉月! この魔法障壁はおまえのか」
後ろからは葉月もやって来ていた。
そして何かに反応したのか、俺を後ろから抱き締めるラティの腕に、少しだけ力が入る。
( ん? なんだ )
ラティのらしくない行動に、俺が首を傾げていると、葉月が話し掛けてきた。
「やっと見つけたよ。ホント、家出少年を探すのは大変だったなぁ~」
「いや、家出って、どっちかって言うと逃亡――ッ!?」
俺は再び自分の立場を思い出す。
ラティに抱き締められ、そして彼女から流れてくる感情に囚われてはいたが、俺は勇者殺しの罪で逃げていたのだ。
これはすぐに逃げねばと、俺は思考を切り替え逃げようとしたのだが、聞き覚えのある声に引き留められる。
「もう逃げなくとも平気だ! 貴様はもう無罪放免だ、捕まる事は無い」
「な……この声はギームル!?」
俺は葉月の後ろにいる、初老の男へと目を向けた。
ラティだけに気を取られ、俺は奴に気付いていなかった。
宰相のギームルの存在に。
「……どういう事だ? 何で無罪になってんだ?」
俺はギームルに疑問を問いただした。
何故俺が許されているのか、それが気になったのだ。
ラティの行動と態度から、ギームルの言っている事に嘘は無いと判断出来た。
仮に奴がラティを騙して、そしてラティを使って俺を捕らえようとしたとしても、彼女には【心感】がある、もしそれが偽りであれば見抜かれるはず。
そしてラティが俺を罰する為に、このギームルに協力をするはずも無い。
だから――
「一体何があったんだ」
俺はギームルに再度、そう問いただしたのだった。
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あと脱字なども……




