覇月様
親指の付け根、手の甲側に約3センチほどのささくれが出来ました。
塞ぐのに7針も……
「そして……ラティちゃんは陣内君のことが……好き?」
二人だけの部屋に、その言葉が重く漂った。
だが、何も難しい言葉ではない、はいかいいえで答えられる質問。
だが彼女は――
「あの、わたしはご主人様の奴隷ですので……」
一つの、最悪な返答の一つをラティは選んでしまう。
『そうなんだ』などと、絶対に納得をしてもらえない返答を彼女はした。
周囲の温度が一瞬下がるような感覚、だが目の前には炎が燃え盛っているような、そんな矛盾した感覚がラティを襲う。
「ねぇラティちゃん。自分がズルいって思わないかなぁ?」
「あの、ズルいとは……」
今度は空気が重くなったような重圧。
「うん、困るとそれに頼っていると思わない?」
「あの、頼るなどは……そんなことは……」
明らかに苛立ちを見せながらも、葉月が静かに口を開く。
深淵のような感情の色を見せながら――
「ラティちゃん……今日さ、隠れる場所を探していたよね?」
「え? あの、隠れる場所をですか?」
「うん、そう。男の人が話し掛けてくる度に、探していたよね?」
「あ、あの……」
「いつも守ってくれる陣内君を」
「――ッ!?」
葉月が何を言っているのか、ラティにはわからなかった。
それなのに、何故か葉月の言っている事は正しいと、心がそう感じてしまっていた。頭の中では否定をしているのに。
葉月がおもむろに手を伸ばして来る。
ラティの手を握ろうと、両手がゆっくりと彼女に近寄ってくる。
避ける事などは楽なはずなのに、ラティはそれを避けず、葉月の両の手に捕まることを選択した。
何故かラティは、その手を避ける事が逃げと感じた。
そして逃げると勝てなくなる、もう彼女に勝てなくなる、そんな気がしたのだ。
ラティの手を上から握ったまま、視線を強くした葉月が尋ねてくる。
「今日、何回も隠れようとしていたよね? そしてブラッグスさんが陣内君じゃなかったから、何回もガッカリしていたよね?」
葉月にそう言われ、ラティは大きく目を見開いた。
彼女自身、全く自覚していなかった事を、いま自覚したかのように。
「あの……」
言葉の続きが出なかった。
必死に言葉を探すが、ラティは何を言ったら良いのか全く浮かばなかった。
だからまた頼ろうとする――
「あの、わたしはご主人様の奴隷ですので、だから――」
「――ッそれに逃げないで! ズルいよラティちゃん」
奴隷と言う立場を言い訳にしようするラティを、葉月は逃がさなかった。
ラティがいま言おうとしていた、奴隷としての立場なのだから、まず主を立てるという考えは間違いではない。決して間違いではないが――葉月はそれを言い訳にするなと言外に言う。
「わたしは……本当に……」
「うん、たぶん最初は本当に陣内君を立てるつもりだったんだと思うよ。でも今はもう違うよね? 今は……彼に甘えているだけだよね」
煽りとも取れるような言葉。
だが葉月の表情には、挑発のような嘲る色は一切なく。何かを言い聞かせるような真面目な顔をしている。
そして掴まれた両手からは、逃がすまいと言う意思を。
そんな正面から向かってきた葉月に対し、ラティは――
「甘えていませんっ! わたしは戦闘でも常に先陣を切り、決して甘えるような真似などはしておりませんっ」
ラティは胸を張ってそう言った。
それを言えるだけの自信があるのだから、危険と隣り合わせの迅盾をこなし、主に危険が無いように常に気を張って周囲を索敵して、決してぬるい事はしていないと、甘えてなどはいないと葉月に主張をしたが――
「ラティちゃん、私が言っている甘えってその事じゃないよね。本当は分かっているよね? 今、誤魔化そうとしたよね?」
「あ、あの……」
「うん、回りくどいのは止めるね。ラティちゃん、貴方は恐れているモノから逃げているよね? だからさっき私がした質問、『好き』に答えられないんだよね」
「あの、ですから、それはわたしが奴隷だ――」
「ッまた逃げる!!」
葉月はラティの返答を強い声音で遮った。
「ラティちゃん、奴隷だから何? 奴隷は好きも嫌いも言っちゃ駄目ってこと? もしかしたらそう言うモノなのかも知れないけど、でもラティちゃんは違うよね」
葉月は静かながらにも、苛烈というモノを纏い、正面に座るラティに言葉をぶつけ続ける。
言葉をぶつけられたラティは、本当は逃げ出したい思いだが、両の手を掴まれ逃げ出せなくなっていた。
力を入れて振り切れば手から逃れる事は出来る。だが、それは駄目だとそう心が理解していた。
「これは勘なんだけどね、ラティちゃんって陣内君の気持ちが分かるよね? 自分が大事にされているって、そして彼に好かれている事を知っているよね」
「あ……」
【心感】の事などは知らないはずなのに、葉月はそう断定をしてきた。
根拠は勘と言うモノだけで。
「ラティちゃんは本当に甘え過ぎだよ陣内君に、彼の気持ちを知っているのに、先に進むのが怖いからって、今のぬるま湯に浸かったままなんだよね」
「ち、違います……」
「じゃあさ、陣内君の想いに応えてあげようとした事は、ある?」
「あの、あります。ご主人様が撫でたいと言えば耳も尻尾も差し出しています」
「それを想いだって言うのかなぁラティちゃんは? それが想いに応えていると、貴方は胸を張ってそう言えるの?」
「あの、だって……」
苛烈さを増す葉月。しかし、両の手の楔がラティを逃がさない。
視線を逸らす事も、距離を取ることも、身体を捩る事も出来ず、ラティは葉月と対峙させられ続けた。
「そんなのは要求に応えているだけだよ! 要求と想いは違うよラティちゃん」
「ああ……」
「これも勘なんだけど、お芝居の最後のシーンみたいにキスとかしたことはない? キスと言っても多分、寝ている陣内君に気付かれないようにって感じかなぁ? 他には……例えばお酒とかの力を借りて彼に甘えた事とかない?」
「あの、それは勘ですか?」
「うん、女の勘。それでラティちゃんは自分から都合良く陣内君に甘えていって、いざ彼が何かを聞きに来た時とか、そういう都合の悪い時は逃げてたりしていないかなぁ?」
「い、いえ……あの……」
「でも陣内君は優しいから、ラティちゃんが困っていたらきっと訊ねるのとかを止めてくれたよね? ねぇ違う?」
「…………」
ラティは何も言えなくなっていた。
本当に何も言えなかった。
そして、奴隷という免罪符の無い自分の弱さを知った。
「ラティちゃん、何もエッチな事に応じてとか言っているんじゃないの。ラティちゃんが嫌な事を経験したのはさっき聞いた、その……私も電車って言うので、知らないおじさんに触られた事があるから、すっごい嫌って気持ちは分かるの、たぶんラティちゃんの方が、何倍も嫌な思いをしてきたと思うけど……」
何も言えなくなり、俯いてしまったラティに対し、葉月は幼子に諭すように語りかけた。
「ラティちゃん、逃げないで。彼に、陣内君と向き合ってあげて……」
「……ハヅキ様、何故そのような事をわたしに……」
「……うん、何でだろうね……ホント何でだろうねぇ……」
困った顔を見せる葉月。
ラティはその困った顔の奥を覗くべく、彼女の感情に目を向けるが、やはり感情の色は複数視えて、その感情を知ることは出来なかった。
ただ、先程までとは違い、感情の色が混ざった形ではなく、虹のように整った色合いを形どっていた。
それはまるで、彼女が落ち着いたかのように視えた。
そしてこの話は、これで終わりともとれた気がした。
だからだろうか、ラティはふと疑問に思ったことを口にする。
「あの、ハヅキ様」
「うん? なにラティちゃん?」
「先程から言っていた、『女の勘』とは何でしょうか? ハヅキ様はそのような名の【固有能力】は持ってはおりませんでしたが……予知と言うより予測? まるで千里眼のようなモノを感じまして……」
ラティにそう言われた葉月は、一瞬きょとんとした顔をして、次にとても良い笑顔を浮かべて楽しそうに語った。
「ラティちゃん、『女の勘』ってのはね、多少の差はあるけど、女の子なら誰でも持っている【固有能力】みたいなモノだよ」
葉月からは、そんな恐ろしい返答が返って来たのだった。
そしてその後。
吐き出すだけ吐き出した葉月は、コロっと雰囲気を変えて、『もう寝よっか』と言って横になってしまった。
こうして、夜の尋問は終了したのだった。
読んで頂きありがとう御座います。
宜しければ、感想やご指摘など頂けましたら嬉しいです。
あと、誤字脱字のご指摘も……




