木のテーブル
今思うと、ラティはこの森に入ってから、少し彼女らしくなかった。
普段は落ち着いているラティが何処か浅慮的な、いつも常に一歩引いて、俯瞰した視点でいる彼女が妙に前のめりだった気がする。
そう、彼女は心の中で焦っていた、俺はそれに気付いてやれなかった。
「わたしは両親の顔が思い出せないのですっ」
「‥思い出せないって?」
「此処で遊んだ記憶があります、母と話した記憶もあります、だけど‥」
――顔が思い出せない――
ラティはそう言って本当に困り切った顔を見せた。
今まで、一度たりとも見せたことの無い表情を。
その表情に、事の深刻さを遅まきながら理解する。
――へ?顔が思い出せない!?
親の顔が?それって生まれた時に捨てられたとか‥
っいや違うか、ラティは11歳まで親と暮らしてたって言ってたし、
俺はラティの言葉に軽く混乱した。
『親の顔が思い出せない』と言う意味を理解し切れず、もう一度聞き返す。
「ラティ、親の顔が思い出せないってどういう意味で?」
顔が思い出せないというのは、色々なパターンがある。
あまり会った事の無い人の顔は、人よっては覚えていない事がある。
他にも、印象の薄い人の顔は覚えてないとか、もしくは認識障害を持つ人は、親の顔すら覚えていられないという。
だがラティは、そのどれにも当てはまるとは思えない。
「あの、ご主人様。わたしは奴隷として売られ、何時からだったのかハッキリとは覚えていないのですが、両親の顔を思い出せなくなっていたのです‥」
「っあ‥‥」
俺は大事なことを失念していた。
ラティは両親に一度売られており、それが彼女にとってどれだけ心の負荷となっていたのか、それが解かっていなかった。
一瞬だが、それを自分に置き換えて想像してみる。
――11才で、寝て起きたら、売られている、
理由も分からず、誰も助けてくれず、命令される側に立たされて、
それが3年も続く? しかもラティの場合は女の子だったから‥
俺は自分をラティの立場にして考えてみた。
まず最初に思った事は”理由を知りたい”。
次は”怒り”吐き気”絶望”不安”逃げ出したい”諦め”など。
思い浮かぶのは、負の感情と呼べるモノばかり。
そして最後に浮かぶのは、親に対しての”憎しみ”。
想像するだけで吐き気もしてくる。
もし自分だったら、心が壊れてしまうだろうとも思う。
その3年間でラティが”親の顔を忘れた”と言うのを、俺は何となくだか納得が出来た。彼女なりの自己防衛だったのか、それとももっと他の理由なのか。
――俺だったら、殺してやるって思うかもな、
まず親に会ったらぶん殴ってボコボコにしてから理由を聞いて、
もし、その理由が納得出来ないモノであれば‥
俺が黒い発想を頭の中で浮かべていると、ラティが続きを語る。
「わたしは、母が亡くなったのに泣けないんです‥、親が死んだにも関わらず、顔が‥顔が思い浮かべられず、亡くなったという実感が湧かなくて‥」
それからのラティは寂しそうに言葉を紡いだ。
『親が死んだのだから悲しまないといけない』、だが『顔の分からない人の死とは、赤の他人が死んだように感じまして』など、他にも寂しそうに吐き出していた。
ラティはどうしたら良いのか分からなくなっていた。
親が死んだのだから、”悲しまないといけない”。だがそれは、知識や常識としてそれを認識しているのであって、親が死んだのだから”悲しまないといけない”その大事な感情が湧かないのだと言う。
『わたしは冷たい狼人なのですねぇ』と、自嘲するラティ。
彼女には区切りが必要だった。
自分が奴隷に落とされた理由が必要だった。
そしてその理不尽な思いをぶつけられる相手が必要なのだ。
だが、そのうちの一人、母親は既に亡くなっている。それならば――
――父親だ!
父親を捜そう! まずはそれだからだ、
「ラティ!」
「はい?」
「明日帰るのは延期だ」
「あの、それはどういうことでしょでしょうか?」
「探し出してやる‥、まずはこの森からだ!」
俺は次の日、この周辺を探ることにした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺は今、苔に足を取られないよう慎重に歩いている。
そんなたどたどしい歩みをする俺のすぐ後ろを、ラティが付いてくる。
俺は勢いで探索することにしたが、森の中というのは中々歩き難い場所。
不意な段差や滑りやすい斜面を注意しながら、俺は森の中を探索する。
昨日の夜、見張りの時にラティと話をして、俺はこの森の探索を決めた。
その目的はラティの父親を捜す事。
俺達はこのログハウスの状況から、ある仮説を立てる。
決めつけた訳ではないが、ラティの両親はきっと何者かに襲撃されただろうと推測した。
単純な物取りの強盗かとも推測をしたが、意外と貴重品やお金などが残っている事から、何か他に目的があるのだろうと考え直した。
そう、例えば他にもっと金目となるモノが無いか。
一応この森に、利権的なモノはあるかとタルンタに訊ねたが、彼はそんなモノは無いと教えてくれた。
土地としては、一応アキイシ伯爵家の領地に入るらしい。
なので、此処に住むラティの親を殺すと、罪に問われるデメリットはあっても、何か得をするようなメリットは無いだろうとタルンタは言う。
そして襲撃されたとしたならば、”ラティの父親は何処に?”。
ラティを奴隷として売ったのだから、ラティを売った時には、少なくとも両親のどちらかは生きていたはずである、それと白骨死体の状況から、かなりの時間が経過した事も分かる。
少なくとも、ここ最近に襲われたという訳ではなさそう。
そしてこの森に魔物が住み着いたのが3年程前。
それを考えるとこの襲撃は、やはりラティが奴隷として売り飛ばされた時期と重なる。なので俺は、この襲撃が原因で、ラティは奴隷として売られただろうと推測した。
そしてまずは情報を集める為に、俺は森の中の探索を開始する。
何か、ラティの父親へと繋がる手がかりはないかと――
――あ~、くそ、
あの狼型が、ラティの父親でしたって方がしっくり来るぞ、
でも黒い霧になったから魔物だろうし‥
俺は心の中で、言っても詮無い事を浮かべながら、森の中をラティと共に歩く。
ラティの家であるログハウスの周辺を、何か手がかりがないかと。
具体的にいうならば、襲撃時の痕跡でも残ってはいないだろうかと、母親が殺されていたのだから、父親の方も殺されていてもおかしくないのだ。
もしかすると、この辺りに白骨死体でもないかと探していた。探して見つからなければ生存している可能性が高い。
今日の捜索で見つからなければ、ラティが売り飛ばされたであろう、奴隷商を訪ねに行く予定だ。
因みに、その訊ねる奴隷商も決めていた。
俺がラティとサリオにその予定を説明していた時に、それを横で聞いていたタルンタが、会話に参加してきて、この森からだと、【アキイシの街】が近いと教えてくれた。
この森の位置からだと、水上都市ゼピュロスへは遠く、もし売るのが目的であれば、きっとアキイシの街だと彼は説明した。
俺はタルンタの話を思い出しながら、彼の事も思い出した。
戦闘が不得手なタルンタを捜索に参加させると、魔物が出た来た時に万が一があるといけないので、彼にはログハウスで留守番をお願いした。
魔物は基本的に視覚で襲ってくる。
なので建物の中に居れば多分襲われない。だが一人だけ残すというのは流石に危険なので、俺はタルンタの護衛としてサリオを付けた。
それはそれで危険な気もしたが‥‥
閑話休題
俺は歩きながら、ふとラティの腰にある短剣に目を向ける。
ラティの母の形見となってしまった短剣。
素人の俺であっても、一目で業物と判るほどの凄みを感じさせる短剣。
適性を持たない者が所持すると、その魔剣に呪われると言われる品。
その業物を回収せずに放置して行くほどの理由。
もしかすると、単純に気付かなかっただけかもしれないが、だがそれでも俺は気になっていた、一応仮説ではあるが、その襲撃者達の目的が何なのか。
俺が思考の深みに嵌っていると、ラティが何かを見つけたようで声を上げる。
「――っあ!?」
「ラティ? 何かあったのか?」
俺は襲撃の跡か、それとも白骨的な何か? かと、目を向けると其処には。
「でけぇ‥‥何だコレ‥‥え? これを今まで俺は気付かなかったのか?」
「あの、確かに変ですねぇ、いきなり目の前にあったような感覚ですねぇ」
俺達の目の前には、一つの切り株があった。
サリオの炎の斧ですら切れないこの森の大木。
驚くことに、それを切断して出来た切り株。
だが、一番の驚きはその大きさ。
切り株の直径が10メートル近くあり、その巨大な切り株はまるで、どこぞの円卓を想像させるようなモノで、常識を遥かに超えたサイズの切り株が、俺達の目の前にあった。
「デカ過ぎんだろコレ‥」
そもそもこの森の樹木は、他の森の樹木よりも遥かに大きい。規格外と言えた。
だがこの切り株は、それよりも遥かに大きかった。
『これは昔、伝説の樹でした』っと言われたら、信じてしまいそうな程のサイズ。俺はそれを呆然と見つめながら、木刀をその切り株に触れさせようとしていた。
まるで誘われるように、俺は木刀を切り株に触れさせたのだ。
( え…? )
気付くと視界が変わっていた。
まるで夜空にでも放り出されたような世界。
視界は動かせるのに体は動かせない、声を出したいのに、声も出せない。
( へ? 俺、いま森にいたよな? )
慌てて辺りを見渡す、左右上下をグルグルと見渡し、ある事に気が付く。
――身体がない!?
何だコレ!?新手の精神阻害魔法か何かか?
マズイ!ラティがっ
『あ~~、慌てるな慌てるな、ちょっと下側に来て貰っただけだから』
( へ? 下? 下ってなんのことだ‥‥あ、)
『やあ、二回目だね僕と会うのは』
( 前に会った? 知らないぞ?あれ? )
周囲は夜空のような空間。
だがしっかりと明かりも感じる矛盾した世界。
そんな宇宙空間のような所に、その男はいた。
両手両足を見えないガラスのようなモノに挟まれ、身動きの取れない男が俺の目の前に浮かんでいた。
その男は、俺を見つめて口を開く。
『いつか君は来ると思っていたよ』
自分でも姿の見えない俺と目を合わせ、その男は自己紹介を始める。
『僕の名はタカツキ ヒデオ。そして本当の名前は‥』
四肢を封じられ身動きの取れない男は。
『御神木 英雄、所謂、初代勇者さ」
俺の目の前に突然、初代勇者を名乗る男が現れた。
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