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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

大好きなあなた

作者: ししおどし



 深雪は、泣いている姿が一番美しい。

 そして彼女は、そのことをよく理解している。


 どれくらい眉を下げて、目尻に溜まった涙をどのタイミングで溢れさせて、どの角度ではらりと頬に水滴を伝わせればいいのか、分かっていて涙を流す。

 いかにも守ってあげたくなるような儚さを演出して、狙った獲物を引き寄せる。

 か弱い女の子を装って、遠慮がちに差し出された手に寄りかかる。

 人前で泣くとわざとらしすぎるから、実行するのは必ず、誰もいない教室で。

 けれど本当に誰もその前を通りかからない、寂れた教室では決して、泣かない。目的の相手が通りかかりやすいと、分かっている場所を選んで、器用にほとほとと涙を流す。


「深雪」

「……りっちゃん」


 勿論、いつもそれが上手くいく訳ではない。

 目的の相手に見つけてもらう前に、別の誰か――例えば、私とか――に、見つかってしまうこともあって、そうなれば彼女の思惑は容易く崩れてしまう。それ以上いくら涙を流したって、既に慰める相手のいる少女に、知り合いでもないのに横からわざわざ声をかける人はあまり多くない。特に今回彼女の狙う相手は、積極的に人に関わってゆこうとはしないタイプだ。

 だから、私が彼女に声をかけてしまった時点で、彼女の計画は破綻する。


「どうしたの?」

「ん、何でもないの。ただ、ちょっと……ね」


 ちらりと私の顔を見て、視線を落した彼女の瞳に宿ったのは、苛立ち。目的の相手じゃなかった事への、不満。


 あんたじゃない。


 例え一瞬しか見えなくても、はっきりと浮かんでいた彼女の、本心。

 それに気づいていて私は、知らぬ顔で彼女に寄り添う。

 泣いている友人を気遣う表情を表面に貼り付けて、優しく彼女の背中を撫でる。

 深雪は背中に回った私の手を、振り払いはしない。

 俯いて微かに体を震わせて、しくしくと泣いているふりをして、そっと唇を噛む。

 きっと心の中では、舌打ちの一つもしているだろう。


 ああ、分かりやすいなあ。

 私は彼女に見えないように薄く微笑んで、添えた手に少しだけ力を込めた。


 深雪は計算高い女だ。

 自分の美しさをよく理解して、その美しさで狙う男を射止めるために、計算してうまく立ち回ろうとする。何もかもを、自分の手の中で転がそうとする。

 けれど深雪はいつも、少しだけ詰めが甘い。

 たとえば、さっきみたいに一瞬、覗く感情をコントロールし切れていないところとか。

 完璧に振舞っているつもりで、指先にありありと本心が現れてしまうところとか。

 取るに足らない細かい部分は案外目立つのだと深雪は、知らないからきちんと隅まで気を配れない。

 深雪が一部の女子から嫌われているのは、深雪が美人だから嫉妬してるのでなく、深雪が彼女たちに嫌われるように立ち回ったからでもなく、そういう部分を見抜かれているからだ。

 知らない深雪は、彼女たちを上手く利用して涙を流すきっかけにしているようだけれど。

 そろそろ彼女たちだって、一方的に利用されるだけでは済ませてくれない筈だ。逆に深雪の涙を盾にして、ちくりと釘を刺してくる頃だろう。深雪よりもよっぽど上手く立ち回って、少しだけ深雪の立場を悪くするだろう。

 深雪みたいに、あからさまにやることはない。それは賢いやり方ではないから。いらぬ波風を立ててしまうから。

 彼女たちは深雪よりよっぽど、自分の見せ方をよく知っている。

 どうすれば一番、自分をよく見せるかではなく、どうすれば誰の目からも、自分を悪く見せないかを知っている。

 深雪とは、違って。


「……香坂さんたちと、仲良く、したいのに、ね……全然だめで、情けなくなっちゃった」

「……大丈夫、きっといつか伝わるよ」


 ああ、だめだよ深雪。それは悪手だよ。

 大方、香坂さんが深雪が今狙ってる、山口と仲が良いからだろうけど。

 香坂さんが、目に見えて誰にも好かれるタイプじゃないから、平気だと思ったんだろうけど。

 あの人は分かりやすく人気者じゃない代わりに、誰にも嫌われていない。誰の目にも留まらないように体を縮めて生活してるのではなく、ごくごく自然に当たり前に毎日を過ごした上で、誰にも嫌われてない。

 好かれることしか考えてない深雪にはそれは、取るに足らないものに見えるかもしれないけど、結構すごいことなんだよ、それって。当たり前のようにそれを為してる香坂さんに、深雪が太刀打ちするのはかなり難しいんじゃないかな。


 けれど私はそれをさりげなく深雪に伝えることはせず、むしろ背中をゆるりと押してやる。

 深雪が気づいてない穴にむけて、そっと深雪を押し出してやる。


 私はけして、深雪のことが嫌いではない。

 むしろ。

 計算高くて自分勝手で、我侭で猫かぶりで、周りの人間なんて自分を輝かせるための道具としか思ってないくせに、詰めの甘さで本音に気づかれてることも知らないでうまくやれてると思い込んでいて。

 何もかもうまく回せていると思っているからこそ、計画がずれたら苛立って、割り込んできた私に腹を立てているくせに、どこかで徹し切れていなくって、ゆっくりと背中を撫でてやると安心したように力を抜くその、矛盾した姿が。

 根っこの部分、さみしいさみしいと、誰でもいいから傍にいてほしいと、叫ぶ彼女の幼さが。

 傍に居てくれるなら誰でも、私でもいいと、縋るように服の端を掴む形振りかまわないそれが。


 可愛くて愛しくて、可哀想で。

 抱き潰してしまいたいくらいには、愛しているから。


「深雪は、可愛くて優しくて、いい子だもの」

「そ、そんなことないよ……」


 にこりと笑って、深雪の自尊心を擽ってやる。その外面に簡単に騙されて、馬鹿みたいに尻尾を振って深雪を慕う、友達の仮面をかぶって微笑み続ける。

 少しずつ少しずつ、逆向きに流れ始めた風に、気づかぬように深雪の前に立って、足元の穴が大きくなってゆくのに気づかないように、その目を塞いで耳障りのいい言葉で誤魔化して。

 ある日突然、全ての覆いを外してやった時に、いつの間にか何もかもが取り戻せないくらいに離れていっていることに気づいたら、深雪はどんな顔をするのだろうか。

 こんな筈じゃなかったのにと悔しがって、地団太を踏んで、あんたじゃないのにって私に苛立ちを向けて、だけどたった一つ残った私を手放すことが出来なくって、ただの繋ぎだって言い訳しながら私に縋りつく深雪の顔はきっと。

 屈辱と打算に塗れて、とても、美しく歪むことだろう。


 深雪はきっと、どうやったって私を愛することはない。

 馬鹿正直に好きだと告げたとしても、けっして彼女に響くことはない。内心では気持ち悪いと蔑む心を押し込めて、一番深雪に益のある方法で、容赦なく私を切り捨てるだろう。

 深雪はそういう女だと、よく分かっている。


 だから私は、深雪にけして、抱えた想いを告げることはない。

 深雪が手を伸ばしやすい位置にいて、利用しやすい隙を突きつけて、無防備を装った喉元を深雪に晒し続ける。

 少しずつ少しずつ深雪の周りを削っていって、私を利用せずにはいられないように仕向けてやる。


 そしていつか深雪が、私の手の中でしか泣けなくなってしまえば。

 想像するだけで、胸が甘く痺れる。


 私しか縋るものがなくって、私だけになってしまえば。

 そんなにも追い詰められて弱った深雪は、どれだけ可愛いことか。

 想うだけで、しっとりと瞳が濡れる。


 ――だけど。深雪はけっして諦めないからこそ、可愛らしい。

 ――いつまでも往生際悪くしぶとくあがき続けるから、深雪は美しい。


 策略を巡らせるくせに、近くにいる私の思惑には気づかないからこそ。

 私を利用することの何の躊躇いも抱かない、その拙さこそ。

 何にも気づかないまま、もっともっとと求め続ける愚かさこそ。


 いつまでもいつまでも、深雪を愛らしく輝かせる。

 だからこそ私は、深雪のことを、愛さずにはいられない。


 もしも深雪が本当に私の手の中に堕ちてきたら。

 私は柔らかく笑って、深雪を突き放すだろう。

 私が好きなのは、私だけを見つめる瞳ではなくて。

 身の丈以上の何かを追わずにはいられない、欲に濡れた瞳だから。



(ああ、でも今だけは)


 狭い部屋の中に、閉じ込めてしまいたい。

 けして手を出すことなく、広い世界であがく姿を見つめていたい。


 矛盾する感情を抱きつつ、私は。

 すすり泣く深雪の背中を、優しく撫でて。


「大丈夫、大丈夫。深雪なら、全部うまくやれるわ」


 何の根拠もない、甘い言葉を囁きながら。


 けして気づかれないよう、その綺麗な髪に一瞬。

 ありったけの愛情をこめて、柔らかく唇を押し当てた。

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