不思議の国のマシロ
タイトル通り、不思議の国のアリスのパロディです。
マシロは毎日退屈でした。
お姉さんには恋人がいるけど、自分が持っているのは古びたテディベアだけ。夢中になれるものが何もない日々。その日も庭の樫の木の下、恋人への手紙をしたためるお姉さんに寄りかかりながら、ぼんやり空を眺めていました。
「間に合わない!」
突然、少し高めの甘い声がマシロの耳を打ちました。
声のした方を見てみると、そこにはなんと柔らかそうな耳をぴょこん、ぴょこん、と動かしながら忙しなく懐中時計を見ている男の子が!
男の子といってもマシロとは体の作りが違います。マシロには、ふかふかの耳もなければ丸い尻尾もないのですから。トランプのハート模様をあしらったチュニックに赤いリボンを結んだその格好も、とても珍しいものでした。
「急がなきゃ。説教されるのはもう、ゴメンだ!」
白い耳をぴょこん、と折ったかと思うと、少年は、大きな穴めがけて素早くジャンプしました。彼の水色の髪は風に煽られ、あっという間に見えなくなりました。
「ちょっと待って!」
マシロの声は届きません。
むくむくと湧いてきた冒険心にまかせ、マシロも大きな穴めがけて走り、勢いをつけて飛び込みました。
巨大な滑り台のような長い、それは長い穴を落ちていくマシロ。
恐怖なんてありません。ただ頬を切る風に、真っ暗な闇に、どこからか聞こえてくる楽しげな音楽に。マシロの心は、かつて味わったことのないときめきを感じていたのです。
ポスン。
ようやく落ちた先は、枯葉の山。おかげで痛くはありませんでしたが、せっかくのお気に入りのワンピースが台無しです。お尻や髪についた葉っぱをむしり取りながら、慌ててあたりを見回すと、遠くに見えるのはさきほどの少年の可愛い尻尾。
「ねえ、待ってってば!」
マシロの冒険が始まりました。
体を小さくしないと潜れないドア。
記憶を失わないと入れない扉。
沢山のトラップをかいくぐり、ようやく捕まえたウサギ耳の少年はマシロを見ると目を輝かせました。
「どこから来たの。君は誰?」
「私はマシロよ。終わりのない退屈に終止符をうちにきたの」
お姉さんの読んでいた本の登場人物を真似て、マシロは精一杯大人ぶっていいました。
「へえ。カッコイイ!」
ソウ、と名乗ったその少年はマシロをひと目で気に入りました。
2人で一緒に歌を歌ったり、追いかけっこをしたり。時間を忘れて楽しく遊んでいる彼らのところへ現れたのは、ピンと立った猫耳と優美な長い尻尾を持った男の子でした。
ピンストライプのスーツを着崩した猫耳少年は、ニヤニヤ笑いながら2人を眺めます。
「どこで寄り道をしてるのかと思えば。ソウ、君の義母上が首を長くしてお待ちだよ」
「ああ、忘れてた!」
ソウは顔をしかめながらもすっくと立ち上がり、マシロを悲しそうに見つめ言いました。
「僕は行かなきゃならない。僕を縛る茨の部屋へ。そこでいつまでも帰らない父を待つ僕の義母に、執着を忘れるお茶を入れてあげなくちゃ」
「そんな……。せっかく楽しかったのに」
がっかりしたマシロの手を取ったのは、猫耳の男の子でした。
「ようこそ、俺たちのあべこべの国へ。したいことは出来なくて、したくないことをしなくちゃいけない素敵な国へ」
「それのどこが素敵なの?」
マシロは馴れ馴れしい猫耳の男の子の手を振り払いましたが、彼は無理やり彼女をお茶会へと引きずっていくのでした。
「俺の名前はコウだよ、マシロ。ちゃんと覚えてね」
「それは覚えて欲しくない、ということね?」
あべこべの国、というからにはそういうことでしょう。
コウはニヤニヤ笑って答えません。
厭らしくみえるはずのその笑い方は、何故か彼が浮かべるととても魅惑的な笑顔になるのです。なんという矛盾! マシロは呆れてしまいました。
「あなたのこと、嫌いじゃないわ」
マシロは悪戯心を起こしてそんな台詞を口にしてみました。
嫌いじゃない、というのは、嫌いという意味。
「やあ、それはとっても嬉しいな」
コウは小石を蹴って、少しだけ悲しそうな顔をしました。言葉とちぐはぐなその表情に、マシロも少し悲しくなりました。
「意地悪を言わなくて、良かったわ」
「ああ、許さないよ」
二人は見つめ合い、それからニッコリ笑いました。
お茶会で待ち受けていたのは変人ばかり。
中でも無理難題をふっかけてくる金髪碧眼の帽子屋さんに、マシロはすっかりうんざりしてしまいました。
「こんな場所は、もう沢山!」
お茶会を逃げ出したアリスは、いつの間にか大きなお城の庭に紛れ込んでいました。
お城にいる女王さまは、白いバラが大嫌い。取り戻すことの出来ない遠い過去を思わせる、清い白バラを憎んでいました。
「大変だ! ああ、なんという失敗を!」
庭師たちは赤いバラと間違えて白いバラを植えてしまい、せっせとバラを赤いペンキで塗り変えていました。
「わざわざペンキで塗るなんて変だわ」
思わず口を挟んだマシロを、彼らはぎょっとしたように見つめます。
「なんて怖いもの知らずの女の子だろう。命が惜しくはないのかい?」
ハートの意味は、「生命を操るもの」。女王は命を司っているのです。
やがて大勢のトランプ兵を従え現れたハートの女王は、不思議なことにお姉さんにそっくりでした。
「お前はだあれ?」
「私はマシロ」
純粋な白という意味の名を聞き、女王は動転してしまいました。
「今すぐここから去りなさい!でなければ、首を刎ねますよ!」
庭師たちがひれ伏す中、マシロは腰に手を当てました。
「どこにいくかは自分で決めるわ。あなたの指図は受けない」
「お願い、去って!」
ハートの女王は、ハートの王を恐れていました。
女王の心臓を城の宝物庫に隠し、自分の元に留めている王は、清らかなものに目がないのです。このままでは、少女もハートの王のものになってしまいます。
「出ておいで、ソウ、コウ!」
ハートの女王がトランプをばらまくと、あっという間に旋風が巻き起こり、やがてその場に2人の少年が姿を現しました。
「なに、コン」
「やあ、コン」
ハートの女王の今の名を呼ぶ彼らに、彼女はマシロを地上に送り返すように申し付けます。
「さあ、連れて行って。このままここに閉じ込められないように。私やお前たちのようになってしまわないように、その子を守ってあげて」
女王の頼みを断るのは、実は簡単でした。
見掛け倒しの力しかもたないお飾りの女王。誰かの首を刎ねたことなど一度もない、口だけの女王陛下です。
今にも泣き出しそうになっている女王が、元はマシロと同じ人間だったことを思い出し、ソウとコウは溜息をつきました。
「仰せのままに、陛下」
優雅に一礼し、2人はそれぞれマシロの手をとります。
そして「まだここで遊びたい!」と嫌がるマシロを、時の列車に乗せました。
「大人におなり。君だけは」
ソウは寂しげに笑いました。
「大嫌いだったよ、君のこと」
コウは小さく肩をすくめました。
ハートの王は今頃、目を皿のようにして侵入者を探していることでしょう。
彼が探しているのは、純真で無邪気な少女。
でもそんな女の子は、もう、どこにもいません――。
気が付くとマシロは、元の場所に戻ってきていました。
「おかしな夢」
クスと笑い、マシロは真紅のバラを一輪、大理石の上に丁寧に置きました。
そこには、もう永遠に年を取ることはなくなった姉が眠っています。
マシロは姉の年を、今日越したのでした。
いつもお世話になっている落果さまへの捧げ物として書いたところ、お返しにと素敵なイラストを頂いてしまいました!
とっても可愛いボクメロアリスをどうもありがとうございました。