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僕の場所(共通ルートアフター)~リクエストSSその7

中学編に出てきたノボル先生と亜由美先生の馴れ初めと結末。

ノボル視点です。

(※不憫注意)





 どうして彼女じゃないといけなかったのか。

 僕の答えは決まっている。

「どうしてクラシック音楽じゃないといけなかったの? って聞かれるのと同じくらい答えにくい質問だな」


 

 僕はものすごく恵まれている。

 実家のネームバリューそして財力といったら、それはすごいものだ。お陰で16の時から本場ヨーロッパでこれぞと思う教授についてレッスンを受けることが出来たし、生活に困ったこともなかった。

 テーブルに座れば好みの食事が出てくるし、アパートメントに戻れば脱ぎ散らかした服は綺麗に洗濯され、しまわれている。埃がたまったこともない。

 僕の生活能力が乏しいのは、完璧にサポートされた生活しか知らないからだろう。


 光あるところに影もできる。

 僕はものすごく妬まれた。

 生まれつき気儘な性格のせいももちろんあるけど、それ以上に「苦労しらずのお坊ちゃま」として扱われ、まともな友人がいた試しはなかった。寄ってくるのは、何とかおこぼれの恩恵に与れないかと舌舐りしてるような人間だけ。

 ぼんやりしてる自覚はあるけど、自分への感情がどんな類のものかくらいは見抜ける。

 年を重ねるごとに、失望は増していった。

 探せばきっと見つかるはずのまっとうな友人を探せない僕自身にも、うんざりした。


 すっかり人嫌いになりかけていた頃、僕は松島亜由美に出会った。


 彼女もまたかなりのお嬢様育ちだったが、金持ち特有の傲慢さはどこにもなく、まるで無垢だった。亜由美を守っていたのは、賢さとピアノへの熱意だ。

 彼女の世界の大半を占める音楽が、亜由美を世俗の厭らしさから遠ざかけていた。ぶっちゃけて言えば、「そんな暇がない」というやつだ。


 同じ師についたことで、彼女と顔を合わせる機会が増え、僕は内心ドキドキした。

 

 友達になれないだろうか。

 ピアノについて忌憚なく話せる親密な友人に。

 

 だけど僕は、今まできちんと人と関わってこなかったしっぺ返しをくらい、まともに話しかけることが出来なかった。

 俯き、口ごもり、どもってしまう。


「えっと。あの、ぼ、ぼくは――」


 20(はたち)を越えた大の男が、冷や汗を拭いながら必死に話しかけようとする様は、さぞ滑稽だったことだろう。実際、通りがかった幾人かの顔見知りはこれみよがしに嘲笑っていた。


 亜由美は辛抱強く待ってくれただけじゃなく、なんとか自己紹介を終えた僕に向かって花開くような笑みを浮かべてくれた。


「私のことはアユミでいいわよ。名前で呼んでも構わないかしら? ノボル」


 世界が一気に色づいた瞬間だった。

 その時の僕は、一瞬にして心を満たした甘い旋律の出処がわからず、まごまごと戸惑った。心臓が早鐘を打ちすぎて痛いほどだ。


「ずっとあなたと話してみたかった。ノボルのピアノ、大好きなの」


 亜由美は悪戯っぽい口調で言い、目を細めた。

 美しい血統書付きの猫を思わせるエレガントな仕草に、僕は完全に言葉を失った。

 阿呆みたいにコクコクと頷く僕をみて、亜由美はくすくす笑った。

 笑い声まで素敵で、頭がぼうっとしてくる。

 そして彼女は言った。


「お友達になれて嬉しいわ」



 亜由美の中で僕は正しく友人だったし、きっとこれからもそうだろう。

 

 大学を卒業しお互いプロ活動を始めても、その距離は一ミリも変わらなかった。遠ざかることもなければ、近づくこともない。

 亜由美は僕にいつも親切で、頼みごとも聞いてくれた。

 たとえばデートに誘っても、よほどの用事がなければ時間を空けてくれる。彼女の恋人はピアノなのに、友人の僕を蔑ろにしたことは一度もなかった。

 亜由美の方も、時々僕を頼ってくれた。

 彼女に頼まれごとをされると、全身の細胞が歓喜で泡立った。

 僕がもし犬だったら、ちぎれんばかりに尻尾を振ってたことだろう。


 ピアノと、そして亜由美がいれば、僕は満足だった。

 その先を望んだことが一度もないとは言わない。僕も男だから、普通に欲はある。

 本当は彼女を独り占めし、抱いて、愛してると縋って欲しい。

 

 そんな大それた願いをひっそり温めることすら許さないのは、僕の家名だ。

 当たって砕けることさえ出来ない。

 

 祖父と交渉してもぎ取った僕の自由は、35歳まで。

 そのあとは、美坂家にふさわしい出自と教養と、これが一番重要らしいんだけど、自分を捨てて家の為に尽くしてくれる女性と結婚しなければならない。

 

 義務と権利から逃げ出すことを何度も考えた。

 だけど僕が放棄したら、そのとばっちりは全て、可愛い妹の細い肩へかかることになる。


 妹が高校卒業するのと同時に、僕の婚約が決まった。


 釣書を見ただけの、10も年下の女性と婚約を交わす為に帰国した僕は、真っ先に亜由美と連絡を取った。

 

 亜由美が今も独身なのは、家に縛られたくないから。

 

 あれは彼女の30歳の誕生日。

 お祝いをしたいから、と無理をいって一緒に出かけた。

 二人の間に流れる和やかで優しい空気に勇気づけられ、僕は彼女が特定の恋人を作らない理由を尋ねてみた。答えにほんの少しでも、僕への特別な感情が隠れていないか、全神経を尖らせて。

 

 亜由美は困ったように眉をさげ、「ノボルにだから言えるけど」と前置きした。


「誰かの奥様になって家におさまるなんて、私には無理よ。両親が早々に諦めてくれて、本当に良かった」


 それから「だから、お互い割り切った期限付きの恋人しか持たないことにしてる」とも教えてくれた。


「今もそういう人が?」

「ええ。でも、そろそろ潮時ね。ノボルに紹介するまでもない人よ」


 亜由美の声や態度からは、僕への全幅の信頼が読み取れた。

 僕だけは彼女の特別な枠にいる。

 確信すると共に、一生叶わない恋なのだと知った。


 

 久しぶりに会った亜由美をハグしないのは、初めてだ。

 亜由美は不思議そうにしていた。


「実は結婚が決まったんだ。だから、もう亜由美をハグできない」


 僕の精一杯の告白を、亜由美は柔らかな微笑みで受け止めた。


「おめでとう! そうね。奥様に勘違いされたら大変ですもの」


 亜由美は僕の慶事を、心から喜んでくれた。

 祝いの品を贈りたいけど、奥様の好みもあるだろうから、紹介して貰ってからにするわね。浮き立つような弾む口調で話しかけてくる。


 僕の世界は、相変わらず色づいたままだ。

 亜由美を失うことはこの先、ずっとないんだから。


「ありがとう」


 心からの感謝を捧げ、胸の中を覗き込む。

 

 【愛しいひと】という枠からそっと亜由美を掬い上げ、【親友枠】へと落とし込む。

 この作業にどれくらいの時間がかかるのか、僕にはまだ分からない。

 



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