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アンコール(紅編アフター)~リクエストSSその6

紅編後日談。

プロになった真白を見たいというリクエストと、星川さんは何者? なリクエストを合わせました。

星川視点です。





 ポストの中に柔らかな封筒を見つけ、星川は口角を引き上げた。

 指を痛めないように、と成田 真白が招待チケットを寄越す時は、いつもこのふにゃふにゃの羊皮紙みたいな封筒に入れてくるのだ。


「レターナイフで開けにくいから、普通のやつでいいっつーの」


 毒づきながらも、目元は和んでいる。

 

 星川が初めて真白に会ったのは、18歳の夏。

 セミナーで一緒になった時の第一印象は『ちょっとピアノが上手いからって勘違いしてるふわふわ女』という酷いものだった。

 瞳をキラキラと輝かせ、ライバルである自分やもう一人の参加者へ人懐っこい笑みを浮かべて近づいてきた女子高生は、ところがどうして食えない奴だった。

 リハでは可もなく不可もないテクニックだけのショパンを披露した癖に、本番ではガラリと音を変えてきた。無理やり心臓を暴き、鷲掴みにしてくるような、暴力的なまでの吸引力。

 星川は息を飲み、ピアノの前で自由自在に飛び回る腕と力強い眼差しにただ圧倒された。

 『ふわふわ女』という評価が一瞬にして霧散する。

 いつか世界に出てくる奴だ、と心に刻んだ。


 星川の嫌な予感は当たり、ショパンコンクールで再び顔を合わせることになった。

 かのコンクールは5年に一度しか開催されない。同年代のめぼしいピアニスト達が一堂に会するのも当然なのだが、相変わらず暢気そうな彼女の顔を見た途端、盛大な溜息をついてしまう。

 書類・ビデオ審査と予備予選を経てコンクールに出場できたのは85名。

 そのうち本選に進めるのは8名だけだ。

 ショパンコンクールの審査は独特で、採点制度だけではない。次のステージに進んでもいいかを「イエス」「ノー」で選ぶ方式が加わるのだ。瑕のないお手本のような演奏をしても、特筆すべき魅力がなければ、予選を勝ち抜いてはいけない。

 テクニックは大前提。その上で、ショパンの音楽に宿る精神をいかに自分のものとして再現するかにかかっている。

 聴衆の耳は肥えている。ポーランド人にとって、ショパンは特別な作曲家でもある。完全にアウェイな雰囲気に気圧され、普段の実力を発揮できないコンテスタントも少なくないのだ。


「やっぱり星川さんも一緒だったんですね。演奏、楽しみにしてます」


 真白は星川を見つけると、にっこり微笑んでそう言った。

 彼女の後ろには、師である松島亜由美、そしてかつての入賞者である美坂みさかのぼるがいる。真白は独特の空気に怖気づいた様子もなく、好奇心で瞳を輝かせ辺りを見回していた。

 首にカメラをぶら下げた観光客さながらの浮ついた様子に、星川は額を押さえた。


「久しぶり。相変わらずふわふわしてんな、お前」

「相変わらず感じ悪いですね、星川さんは!」

 

 今度はむぅと分かりやすく眉間に皺を寄せる。

 記念受験のようなお気楽な態度だが、見かけ通りの女ではないことを知っている星川は、「ま、せいぜい頑張って」と捨て台詞を残し、踵を返した。

 このまま一緒にいれば、ペースを崩されるのは自分の方だ。


 星川は三次で敗退したが、真白は初めての挑戦で本選へと進んでしまった。

 たった一日のオケとの音合わせを経て、ワルシャワの聴衆の前で彼女が披露した協奏曲は、圧巻だった。

 今まで何を経験すれば、あれほど深い音が出せるのだろう。

 平和で恵まれた日本でぬくぬくと育ってきたはずの真白が奏でるショパンは、厳しい試練を受けてなお折れない不屈の精神と希望に満ちていた。

 星川は他人の演奏で、初めて涙をこぼした。

 悔しさを、感動が軽々と凌駕していく。

 切々と訴え、愛らしく歌い上げ、圧倒的な迫力で苦しみを描き出す真白のピアノに、観衆は総立ちになった。


 立派な肩書きのついた若き女性ピアニストは、精力的に演奏活動を続けている。

 結婚し、子供を産んでからは世界ツアーは控え、活動の中心を日本に移しているが、彼女のコンサートはすぐにチケットが完売してしまう。

 星川も今ではプロとなり、そこそこ有名なピアニストになった。

 お互いにコンサートが決まると、手紙をつけずにチケットを送り合う習慣が生まれたのはいつだったか。とにかく今でも続いている。

 

 都合があえば足を運び、来た証拠に楽屋にチラと顔をのぞかせてから帰る。

 そんなことを数年繰り返しているうちに、星川はあることに気がついた。


 アンコールの際、真白は聴衆をざっと見回し、その場にあった曲を披露する。

 年配のクラシックファンが多い時は、テクニックではなく解釈で聴かせる曲を。若い女性が多い時は、ドラマなどで使われている有名な曲を。

 ところが、時々彼女は二回続けて弾くことがあるのだ。

 それは本当に気まぐれに発生するので、ファンの間では一種のお楽しみになっていた。


「今日やっと聞けた! 噂通りだったよ、すっごく素敵だったなぁ」

「CDに入れて欲しいよね。もう何枚も出てるのに、どれにも入ってないんだもん。コンサートで聞くしかないのが残念」


 興奮冷めやらぬ聴衆に紛れ、ホールを出て楽屋に向かう。警備員は許可証を見せる前に、星川の顔をみとめ通してくれた。大劇場を顔パスで通行できるくらいは、星川も売れている。

 

 ――今日はきっとあいつがきてるはずだ


 星川は呆れの入り混じった諦念を胸に、控え室をノックした。


「はーい。どうぞ」


 のんびりした声が返ってくるのもいつものこと。

 星川がドアを開けると、案の定そこには真白の家族が来ていた。


「こんばんは。お招きどうも」

「こんばんは。来てくださったんですね」


 真白の代わりに、夫である成田紅が立ち上がり、星川から差し入れの手提げ袋を受け取る。


「わわ。今日はなに?」


 後からやってきた真白が、ひょいと手提袋を覗いた。

 目を細め、振り返った紅との距離は、非常に近い。

 無自覚にイチャつく夫婦に、星川はげんなりした。


 手足が長く、腰の位置が高く、かといってひょろっとはしておらず適度な筋肉で覆われた厚みのある体つきの紅は、男性モデルだと紹介されても全く違和感がない。しかも、顔までとんでもなくいい。

 童顔で愛らしいと評されることの多い星川は、劣等感を刺激してくるこの男が苦手だった。

 心の中で「だが女の趣味が悪い」とつぶやき、密かに溜飲を下げる。


「先月はヨーロッパだったから、お子さんにお土産。チェブラーシカの玩具だけど、好き?」

「好き好き! しょっちゅうアニメみてるよ。ありがとね」


 満面の笑みを浮かべた真白の隣で「気にかけて下さってありがとうございます」と紅も礼を述べる。

 

 真白は嬉しそうに袋を抱え、「今日はどうだった?」と聞いてきた。

 こうして軽い寸評を交わすのも、彼らのお決まりの儀式だ。


「選曲良かったよ。構成も。一曲目のリストが割と好きだった」

「やった! 前は散々な言われようだったから、今回は悩んで決めたんだ」

「あのさ」


 星川はしかめっ面を作って、苦言を呈した。


「いい加減あの曲、普通のレパートリーに加えたら? 幻の、ってやつ狙ってるわけじゃないんでしょ」

「ないない」


 真白は笑って手を振る。

 それから、柔らかな表情で隣に立つ紅を見上げた。


「でもJe te veuxは、この人の為にしか弾かないって決めてるから、売り物にするのは申し訳ないじゃない」

「真白……」


 強烈な口説き文句に、紅の耳が赤くなる。

 げー、と言いたいのを必死で堪え、星川は「あっそ。ご馳走様」とだけ絞り出した。

 それからそそくさと楽屋を後にする。


 甘ったるく優しいJe te veuxのメロディが蘇ってくる。

 

 結婚して何年経つんだよ。

 子供もいるんだろ。

 万年新婚夫婦、爆ぜろ!


 女性客に特に人気なアンコール曲は、紅が聞きにきてる時しか弾かない。

 真白のスタイルは彼女が現役の間中、変わらなかった。




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