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私の可愛い王子様~リクエストSSその4

トビーと理沙の裏話(理沙視点です)


※胸糞注意!










 私はどうやら歪にねじ曲がっているらしい。

 そのことに気づいたのは、天使みたいな男の子がボロボロと大粒の涙を流しながら、私をなじった時だった。


 

 まっすぐに、まっとうに育つということがどんなことか、私にはそもそも分からない。

 両親ともに揃っていた。孤児ではなかった。殴ったり蹴られたりもしていない。虐待を受けて育ったというには弱いのではないだろうか。

 

 父は家庭自体に無関心な人だったが、それが悪いことだとも思えない。

 真面目に働いていたし、少なくとも私と母を飢えさせることはしなかった。

 ただ家にいる時は不機嫌なことが多くて、私と母は息を潜めるように暮らしていた。怒鳴り声の大きな人、という印象が一番強い。

 父が怒鳴るのは、主に母に対してだった。おそらく母はどうしようもない人間だったのだと思う。じゃなきゃ、あんなに頻繁に怒られたりしないだろう。

 

 ある程度大きくなる頃には、私は心の中で母を馬鹿にしていた。

 人生のパートナーであるはずの父に「役立たず! 穀潰し!」と貶される母を尊敬しろなんて、到底無理な話だ。


 言葉や態度に出さずとも、気持ちは伝わってしまうもの。

 自分を軽視する娘を可愛がることが出来なかったのは、母のせいではない。

 私がしたいこと、欲しいもの。その全てを拒否することで、母は溜飲を下げていた。少しでも失敗すると、母は父そっくりの口調で「愚図! 馬鹿じゃないの!」と私を罵った。


 つらつらと挙げてみたが、結局私たちは似たもの親子で、全員がクズだったということだろう。


 

 ピアノに触れたきっかけは、近所のピアノ教室の体験入学会だ。

 小学二年の春だった。

 同じ登校班の友達と連れ立って出かけ、私は上品なお香の匂いがする玄関を開けた。

 綺麗に掃き清められた三和土たたき。瑞々しく活けられた生花。

 先生の声は優しく小さかったが、響きは豊かでよく耳に届いた。がなり声や、気詰まりな沈黙はどこにも見当たらない。静かな愛情に満ちた、丁寧な暮らしがそこにはあった。


 こんな世界があるのか、と――


 私はその日生まれて初めて、自分を哀れんだ。


 帰ってすぐに、ピアノを習いたいと母に頼んだ。土下座までして、お願いします、何でも頑張るから、と母の足に縋り付く。

 母は勝ち誇ったように、唇を吊り上げた。

 

 「そんなお金、どこにあるの」「あんたみたいな腐った性根の子供にかけるお金は一円もないよ」

 

 それでも諦めきれずまとわりつく私を見て、母は般若のような顔になり、「クズが! うっとおしいんだよ!」と金切り声をあげた。

 せっかく耳に残っていた柔らかなピアノの音が、憎しみに満ちた大声で塗りつぶされていく。

 

 死ねばいいのに。

 心の底から願い、そんな自分にゾッとした。

 自分を産んでくれた母を死ねと呪う子供に、ロクな未来なんてない。

 うっすらとした予感は、現実のものになった。


 私に訪れた未来は、束の間の栄光。そして、長い、長い孤独と失望の日々。

 あの時こうなると分かっていたら、私は考えを変えただろうか。行動を改めただろうか。

 いくら考えてみても、「そうはならなかった」としか思えない。

 一度腐ってしまった生き物が、蘇ることなんてきっとない。


 

 ピアノを習うことは出来なかったが、私はピアノ教室に毎日通った。

 先生の家の裏手にあるコンクリート塀の隙間にうずくまり、かすかに漏れ聞こえるピアノの音を拾う。

 一緒に体験した近所の子はみんな習うことになったので、学校で楽譜をみせてもらったり、指の動かし方を習ったりした。

 

 「理沙ちゃんも習わせてもらえばいいのに」

 

 無邪気な指摘に、どうしようもなく惨めな気持ちになりながら、それでも私は笑って誤魔化した。母が習わせてくれないとは言いたくなくて、もっともらしい嘘をつく。


 「バレエの方にしたら? って言われて」「塾に行くことになったから」

 

 嘘つきな子供は、やがて友達の輪から外された。

 

 自分を大きく見せる嘘ばかりつくようになった私は、いつの間にか本当のことを言うことが出来なくなっていた。どんな些細なことにも、虚構を織り交ぜてしまう。

 

 嘘が本当ならいいのに。

 どうしてこう、世界はままならないのだろう。

 私はもっと、大事にされていい人間のはずなのに。


 嫉妬にも似た恨み節に突き動かされ、学校の音楽室でピアノを叩く。

 見よう見まねで弾けることに気づいてからは、ますます自分の空想にのめり込んだ。


 私は本当はお金持ちの家の子供で、事情があって今の家に預けられているんだ。

 いつかきっと本当の両親がやってきて、私の前に跪き、今までの苦労を詫びてくれる。

 

 「可愛い子」「あなたは私たちの宝よ」

 そんな風に褒めて、ぎゅっと抱きしめてくれる。


 いつか来る本当の両親を思い、他人にも優しく出来るようになるはずの完璧な自分を思って奏でるピアノは、美しかった。

 周りに評価され始めたのは、中学に入ってから。

 14になった時、私は2人の男と出会った。


 ひとりは城山 恭司。もうひとりが、山吹 鳶。

 待っても待っても迎えにきてくれない両親の代わりに現れた彼らを、私は平等に好きになった。

 

 自分を認め、評価してくれる人間なんて初めてだ。

 言葉は違えど、彼らは同じようなことを言った。


 「君のような稀有な才能の持ち主を見たことがない」「美しい私の(僕の)ミューズ」


 舞い上がるような高揚感を、恋だと錯覚したのだろう。

 2人同時好きになることの歪さに気づくことなく、私は彼らが望む「理沙」を演じていった。


 

 真っ黒な嫉妬の塊ではない「優しく正しい自分」は、すでに何度も夢想し、完璧に準備済みだ。

 嘘をつくのも得意だ。

 

 ――ちがう、嘘なんかじゃない


 努力を、希望を、切望を、受け入れようとしない頑な現実こそが、虚構なんだ。

 自分ではどうしようもない生まれを、育ちに反映させようとするシステムなんて糞くらえ!


 

 恭司は私の欺瞞を見抜いていたと思う。

 彼は大人だったから。

 偽りの土台の上に形作られた蜃気楼のようなピアノと仮初の人間性を、それでも憐れみを込めて愛してくれた。

 恭司には別に好きな人がいる。

 きっと、彼なら共犯になってくれる。

 鳶を捨てたくないからこそ決めた結婚だったのに、鳶は信じられないというように瞳を見開き、大きく歪ませた。




 子犬のように私を慕ってくれた可愛い金髪の王子様。

 優しいヴァイオリンを奏で、決して声を荒げず、砂糖菓子のような甘い言葉ばかりを私に捧げてくれた愛しい人の眦が、ぎりぎりと吊り上がっていく。


「僕を騙したの? リサ」


 自分の発した言葉に耐え切れず瞬きした鳶の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちていく。



 ――『愚図!』『馬鹿じゃないの!』『性根が腐ってんのよ、アンタは!』


 母と父のわめき散らす声が、耳の奥に蘇り。

 土の匂いのする湿った狭い隙間でしゃがみこみ、盗人のようにピアノを聞いていた幼い自分が、脳裏に浮かんだ。


 性根が腐ってる馬鹿で愚図な女だから、今、あなたが泣いている理由が分からないのかな?



 私は優しい貴方が本当に好きだった。

 貴方から受ける純粋な賛美が、貴方と共に奏でる二重奏が、本当に大切だった。


 だけど、貴方はまだ子供で、私を守る力はないから。

 私と一緒に、恭司の力強い翼の下で、ぬくぬくと過ごせばいいと思ったの。


 鳶は裏切られたといわんばかりの傷ついた表情で、私を否定した。


「ずっと君だけを想ってきた僕は、なんて馬鹿だったんだろう」


 自嘲じみた彼の声に、耳を塞ぎたくなる。

 

 『リサ! ねえ、この曲僕も弾けるようになったよ!』

 『リサはとっても綺麗だね。綺麗でピアノが上手くて、最高のお姫様だ』

 『育ちなんて関係ない。リサはリサだ。誰より尊い、僕のリサだよ』

 

 『――愛してるよ、リサ。君だけを、これからもずっと愛してる』


 年を重ねるごとに大人びていった鳶の中身は、純真なままだった。こんな人が世界にいるなんて、奇跡のようだと私も思った。

 貴方のくれた、全ての言葉を覚えてる。

 無邪気で、優しく、まっすぐな私の光。


 あなたが照らしてくれるから、私の世界は、嘘の闇に沈みきってしまわなかったのだと、ようやく分かった。


 鼻先を、上品な香の匂いが掠める。

 小学二年の春、初めて知った優しい世界が、目の前でその扉を閉じていく。



「幸せに、なんて言えない。一生、君を憎むよ」


 鳶はぐい、と涙を袖で拭い、私の前から去っていった。


 一生という言葉に、麻痺した心が動き出す。

 歪んだ優越感で、ぽっかり空いた胸の穴を塞ごう。


 それからのピアノは、全て私の可愛い王子様の為に奏でた。

 一生憎むと言ってくれた、私の堕ちた太陽に。


 やがて子供を孕み、産み落とした。

 鳶に似てるといいと願ったのに、恭司そっくりの男児だった。

 恭司も意外だという顔をした。

 

 可哀想だとは思う。

 こんな両親を持って。


 だけど、私だって同じだった。

 しかも、犠牲を払ってる。

 私は二度とピアノを弾けなくなった。

 

「ママっ――ママーーーッ!!」


 ぐしゃぐしゃに泣きながら雪の中追ってきた子供を、心底煩わしいと感じる。


 『うっとおしいんだよ!!』


 昔叫んだ母は、心からそう思っていたんだと納得し、うっそりと唇の端をあげた。


 



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