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さよならを待ってて(蒼編IFルート)~リクエストSSその3

コンクールのあとに、真白が留学していたら……?

蒼編IFルートです。


※バッドエンドです

 悪辣なトビーが見たい方はどうぞ




 コンクールの副賞である海外留学を、私は受けることになった。

 トビーの熱心な説得に、両親がついに折れたのだ。「私費であることが気になるのなら、娘さんの為に奨学金制度を作ります」とまで言われ、父さんは目を白黒させていた。


 一年間、ザルツブルグの音楽大学が主催しているセミナーに参加し、現地で様々なカリキュラムを履修する。詳しい内容を聞けば聞くほど、留学への憧れが増していく。

 ぐらぐらと揺れる私の背中を押してくれたのは、蒼だった。


「不安材料は、俺なんだろ?」


 蒼は困ったように微笑み、言葉を失くした私の頭を優しく撫でた。大きな手の温かな感触に心が緩む。

 蒼の手で優しく触れられるのが好きだった。怖いものなんて何もないような気持ちになってくる。


「ちがうよ。私だよ。一年も離れるのが寂しいのは、私だもん」

「真白」


 言い訳めいた口調で言い募ろうとする私に、蒼は根気よく言い聞かせる。


「俺には分かるよ。真白はホントは、留学したいって思ってる。色んな刺激を受けて、もっともっと上手くなりたいって」

「――蒼は不安じゃないの?」

「不安に決まってる」


 蒼は見栄を張ったりせず、素直に気持ちを打ち明けてくれた。


「たぶん、送り出したことを次の日には後悔するだろうな」

「じゃあ、なんで」

「真白に後悔して欲しくないから」


 蒼の眼差しは、揺るがなかった。まっすぐに私を射抜いていた。


「あの時留学してたら良かった、って思わせたくない。俺がいなければ、なんて一秒だって思われたくないんだ」


 一秒だって、の部分を強調されたら、黙り込むしかない。蒼に対して真摯であるべきだ、ともうひとりの私が囁いてくる。


「……行ってみたいな、とは思ってる」


 ようやく絞り出した一言に、蒼は唇の端を曲げた。

 

「行ってこいよ。ちゃんと待ってるから」


 すっかり大人びた蒼の力強い言葉に背中を押され、私は留学を決めた。


 ――今でも瞼に浮かぶのは、あの時の蒼の表情だ。

 寂しいけど我慢しなきゃって、自分を抑え込むような顔。


 だから、私も悪いんだってわきまえてる。

 あの時「一秒の後悔くらい許してよ」って笑い飛ばしてあげられなかった私の弱さが、この結末を招いたんだって。


 だけど、直接引き金を引いたのは、トビーだ。

 誰が許しても、私だけは彼を許さない。



 トビーは恐ろしいほど、用意周到な男だった。

 そして私は、自分で思ってる以上に子供だった。


 受け入れてくれるホストファミリーは何故か見つからず、私は海外からの留学生が集まる学生用アパートに単身放り込まれた。

 日本人はただの一人もいない。しかも皆、成人済みの大人ばかり。セキュリティはしっかりしていたし、設備も豪華だった。その代わり、私は『人の温もりに触れる機会』を失った。隣人と交流を深めようにも、生活リズムが違い過ぎるのか、誰とも顔を合わせることがない。

 

 最初の三ヶ月で、私はすっかり弱った。

 カリキュラムは充実していたが、手配されるはずの通訳がつけられず、カタコトのドイツ語で必死に意思疎通を図るしかなかった。

 事務局に問い合わせようにも、出される課題が多すぎて消化するのに必死な毎日。窓口が開いている時間は、気づけばいつも過ぎている。

 教授陣はみな早口で、授業についていくのが精一杯。激しく刺激される劣等感と焦燥感で、じりじりと心身が削られていく。

 

 蒼からの連絡には、「元気でやっている。何も心配はいらない」と精一杯の虚勢を張った。心配させたくなかった。ううん、違う。

 蒼は昔から私を尊敬の眼差しで見てたから、ガッカリされたくなかった。毎日いっぱいいっぱいで、ダメ出しの嵐だなんて、知られたくなかった。

 ぼそぼそと馴染みのない食事を口に押し込み、ピアノに向かう。弾いても弾いても、首を振られる毎日だった。


 ボロボロになった私を助けてくれたのは、トビーだ。


 忙しいはずなのに、合間を縫っては様子を見に来てくれる。

 たったそれだけのことで泣いてしまうほど、私は人との交流に飢えていた。日本語が通じるというだけで、嬉しくてたまらなくなる。


 信用してはいけない人だ、という警戒心はもちろんあった。

 だから部屋に入れたことは一度もない。外のカフェでほんの30分ほど、状況報告をする。それくらいなら大丈夫だと、自分の判断を過信してしまった。



 狂った歯車のきっかけは、蒼への電話に美登里ちゃんが出たこと。

 休日の夜更けというプライベートな時間帯が、私を打ちのめした。何度も時計を確認し、時差を計算してみたが、間違いはなかった。

 その時間を彼と共に過ごす相手は、私だけだと思っていたのに。

 どういうことなのか、と混乱する私の前に、タイミングよくトビーが姿を現す。そのタイミングの良さを疑う気力は、もう残っていなかった。


「言いにくかったから黙ってたんだけど、ソウは婚約者とよりを戻したようだよ」


 トビーは自分の端末を操作し、美登里ちゃんの肩を抱き寄せ、髪に口づける蒼の写真を呼び出した。

 震える私の手に端末を握らせ、「ちゃんと見て」と押しつける。手に持っていられたのは、ほんのわずかな時間だった。

 端末を置き、込み上げる嗚咽をこらえようと両手で口を塞いだ私に、その時トビーは初めて触れた。

 普段の強引さはどこにもない。ただ背中をそっとさすられただけ。


 たったそれだけのことで、馬鹿な私はトビーへの認識を改めた。警戒を解いてしまった。

 

 蒼の突然の心変わりを信じられず、ますます不安定になった私を、トビーは保護者代わりという安全な立ち位置から見守ってくれた。

 

 美登里ちゃんとの写真を見せられた後も、私は何度か蒼に電話をかけてみた。

 いつのまにか番号を変えたみたいで、どこにも繋がらなくなる。


 たった半年。たった半年で、蒼は私を裏切った。

 その時の私の怒りと絶望は、言葉ではとても言い表せない。

 憎しみに凝り固まりそうになるたび、トビーがやってきて「仕方がない」と慰めてくれる。


「マシロを心から愛していたからこそ、わずかな不在にさえ耐えられなかったんだと思いなさい」


 トビーは、蒼のことをただの一度も悪く言わなかった。


 後から思えば、それも全て計算づくだったのだろう。

 すっかり油断した私はトビーを部屋に招き、彼のヴァイオリンと音を合わせたりもした。

 「録音しても?」

 許可を求められたので、快く頷く。

 トビーは私の悩みを聞き、甘えさせ、手助けしてくれる恩人だ。しかも金銭的な援助すらしてくれる。トビーには、私も不思議と弱みを見せられた。

 通訳がいないことを打ち明けると、憤慨してすぐに手配してくれた。授業やレッスンは格段に楽になり、私は彼に心から感謝した。


 残りの半年はあっという間に過ぎ、いよいよ日本へ帰る日が近づいてくる。

 不実な蒼と向き合わなければならないと思うと、帰るのが怖かった。


 そんなある日、私は一本の電話を受けた。

 紅からだ。

 懐かしさに浸りながら電話に出る。

 紅は、明らかに泣いていると分かる声で、私に告げた。


 ――『蒼が、死んだ』と


 原因は事故死。

 夜中、彼はパスポートと財布を握って寮を抜け出し、大通りに向かったらしい。信号のない横断歩道を渡っていた最中に車が通りかかり、蒼はあっけなく撥ねられた。泥酔していたドライバーは慌ててブレーキを踏もうとし、間違えてアクセルに足を乗せたのだという。スピードが出ていたせいで、即死だった。


 錯乱した私は飛行場に向かい、着の身着のまま日本へ飛んだ。

 迎えに来てくれた紅の車の中で、私は真実を知った。


 蒼はずっと、私を待っていたこと。

 途中から私と連絡が取れなくなり、焦っていたこと。

 美登里ちゃんとは、何でもないこと。


 紅の話を聞いた途端、とある仮定がぷかり、と胸の奥に浮かんだ。

 

 スマホの電話帳を開き、短縮ではなく、蒼のプロフィールを開く。

 登録して以来、一度も開いていないページ。それから、紅に蒼の電話番号とアドレスを確認する。

 最初はたしかに合っていたはずの番号とアルファベットは、まるっきり違うものになっていた。


 繋がらないはずだ。

 

 深夜、蒼への電話に美登里ちゃんが出た時は、美登里ちゃんの番号に変えられていたのかもしれない。


 あの頃、私の持ち物に触れることができたのは、ただ一人。

 トビーだけ。

 

 どこからどこまでが仕組まれていたんだろう。

 おそらく、留学先で私が孤立するところから全部だ。それなのに、通訳がついたことをあんなに喜んで感謝したなんて。

 


 はくはく、と声にならない言葉が喉から漏れる。

 涙は一滴も出なかった。

 事実を正しく認識することで精一杯。他には何も考えられなかった。


 ――『行ってこいよ。ちゃんと待ってるから』


 耳に、甘いアルトの声が蘇る。

 

 蒼。


 蒼。

 

 もう二度と会えないなんて、そんなの嘘だよね?


 


 紅は私を実家に送り届けてくれた。

 喪服に着替え、城山家へと向かう。


 参列者の中には、紅も、美登里ちゃんもいた。

 彼らは私を見ると、痛ましげに視線を落とした。

 

 柩におさまった蒼の顔に、そっと触れる。

 硬くてびっくりした。

 綺麗な寝顔は、結ばれたあの日と変わらないのに、皮膚の感触だけが違う。

 それから、胸の上で組まされた長い指に触れた。

 触れた瞬間、チェロの音がどこからともなく立ちのぼってきた。深くてどこか寂しげな響き。蒼の音だ。

 

 さよならを言ってるの?

 

 待ってて、蒼。

 私も、そっちに行くから。


 だけど、すぐにはいけないの。

 ほら、あなたをこんな目に合わせた人をそのままにはしておけないでしょう?

 だから、少しだけ待っててね。


 

 麗美さんは、私に蒼の遺品をくれた。

 スマホもそこには含まれていた。

 

「パスワードのロックがかかってるから中は見られないけど、手元に置いておきたいかと思って」


 麗美さんは青褪めた表情で、淡々と話しかけてくる。

 ありがとうございます、とすぐ近くで声がした。自分の声だと分かるまで、少し時間がかかって可笑しかった。


 パスワードはすぐに解除できた。

 私の誕生日。予想があたり、嬉しくなる。私のスマホの解除パスワードは蒼の誕生日だ。

 

 ごめんね、蒼。

 黙って見るの、許して。


 冷たい指をぎこちなく滑らせ、メール欄を開く。

 そこにトビーからのメールを見つけ、私は細長く息を吐いた。


 メールには添付ファイルが添えられている。ひとつは、音声ファイルだった。

 ピアノとヴァイオリンの二重奏。私が録音の許可を出したんだった。

 

 そしてもう一つは、画像ファイル。

 ぐっすり眠り込んでいる私を撮ったものだった。

 パジャマの胸のボタンはいくつか外され、髪も乱れている。乱暴されたわけではないとすぐに分かる、安らかで満たされた寝顔。

 送信日時を確認し、電源を落とす。


 この画像を見て、蒼は寮を飛び出したのだと分かれば、今は十分だ。



 私に届かなかった沢山の送信エラーメールは、あとでゆっくり読ませてもらうね。


 スマホをポケットに入れ、私はゆっくりと立ち上がった。




◆◆◆◆◆◆


 

 主人公ヒロインの最終結果



 攻略対象:城山 蒼

 

 BADEND:さよならを待ってて





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