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前篇

[夢幻と現実の狭間で…]での学園編~現実世界編にあたります。


この世界は大きな木ユグドラシルに支えられたツリーハウスのようなものだということを、子供のころから教えられてきた。

私たちの暮らす夢幻世界と、その隣に存在する現実世界。元々は一つの世界だった二つの世界は、私たちは夢幻を、現実世界は『カガク』を追い求めることで二つに分かれてしまったらしい。

『カガク』というモノを私はよく知らない。お爺様が言うには私たちの使う夢幻の力とは異なり、個人の資質に関係なく、知識さえあれば誰でも平等に使える技術らしい。それは素晴らしいことだと思う。

誰でも平等に使えるなら資質による差別は生まれないだろうし、皆が安定した生活ができるのだから。

でも、私たちの世界には『カガク』は存在しない。かわりに夢幻の力と呼ばれる法則を使って生活している。魔法、超能力、霊能力、気功、呼び方は幾らでもあるけれど、それらの超常の力を総じて私たちは夢幻の力と呼んでいる。

お爺様は『カガク』は夢幻の力ほど万能ではないと言っていた。夢幻の力は『カガク』では説明できない現象をたやすく発生させられる。だけど、それは万能ではあっても平等ではない。

私は魔法使いの家系の生まれだ。魔法を使うには魔力と呼ばれるエネルギーを消費する。しかし、一人の魔法使いが使える魔力の量は個々人で違いが出る。私なんか比べ物にならない程の大魔法使いと呼ばれたお爺様。彼の扱える魔力の量は実は見習い魔法使いである私の半分程度でしかない。それなのにお爺様が大魔法使いなのに対して私が見習いなのは、私の魔法使いとしての技量が比較にならないほど劣るからだ。それでも扱える魔力の量次第で私はお爺様を超える大魔法使いになれる可能性は残されている。

話がそれてしまったが、扱える魔力の量は生まれた時の資質によって左右される。他の夢幻の力でもそれは言えることだが、生まれた時の資質で生活のレベル、人生が決められるのが夢幻世界だ。

大きな資質を持てばそれに見合った生活ができるし、小さな資質しか持たない者は質素な生活をせざるをえない。この世界に存在する道具も『カガク』と違い平等ではない。魔法使いの使う魔道具は魔力を注がないと使えない。だから、小さな資質しか持たない者は道具にすら頼ることができない。

そんな万能と不平等の夢幻世界で私は一際大きな素質を持って生まれた。生まれてから苦労を経験したこともないし、生活に困ったこともない。そんな私だからこそ現実世界に憬れを抱いてしまった。

大きな資質を持つということは良いことばかりではない。嫉妬や妬みが常に付きまとう環境で生きていかなくてはならない。生まれ持った資質。誰が悪いわけではない、こればかりはどうしようもないことだ。

だからこそ私は誰もが平等に生活できる現実世界に憬れた。夢幻世界と現実世界を行き来する方法は存在する。しかし、それには国王様の許可が必要になる。その許可を得るには大変な困難があり、お爺様ですら一度だけ、しかもわずか一週間しか許可されなかったらしい。そのわずか一週間の許可を得るためにお爺様が支払った時間と労力は十年間に及ぶ国家への無償奉仕だったらしい。さすがにそんな事は私にはできないし、私のような見習い魔法使いではどんな対価を支払わなくてはならないのかわからない。

だから私は別の方法を選んだ。私の通っている魔法学校では、上位の成績で卒業した者の願いを何でも叶えてくれるという伝統がある。私はそこに賭けている。「現実世界を見て回る」その願いを叶える。そのために私は魔法学校に入学したのだから。




薄暗い部屋、木からそのまま彫りぬいたような机と椅子、ぼんやりと光る天井、びっしりと隙間なく本で埋め尽くされた棚。棚に入りきらなかった本が何冊も床に積まれている。

「ふぅ、やっと終わったよ~」

赤色の髪を肩まで伸ばした少女、カチュア・メイザースは、椅子の背もたれにもたれ掛りながら大きく伸びをする。彼女は魔法学校の課題である魔法史のレポートを寮の自室で書き終えたところだった。

彼女の通う魔法学校では多くのことを教えている。夢幻世界の歴史や魔法の成り立ち、生活に役立つ魔法や護身用の魔法など、幅広く教えている。六歳から十二歳までの子供が常識などを学ぶための場として用意されたのが魔法学校だからだ。

しかし、基礎的な魔法や多くのテンプレート化された魔法などは教えられても、専門的な、個々人の適正に見合った魔法や攻撃、相手を傷つける魔法などは教えていない。なぜならば、魔法はそれぞれの家で継承されるものが多く、テンプレート化された魔法ならともかく、それぞれの家系によっては異なる理論で魔法を教えることがあるからである。

また、家伝の魔法は基本的に秘匿されることが多く、カチュアも母方の家系に伝わる人形使いの魔法を教わっているが、魔法学校にある図書室で人形使いの魔法を調べようにも資料は存在しない。魔法学校は歴史や一般常識などを教える場であり、基礎やテンプレート化された魔法などを教えるのはついでであり、それぞれの家系に伝わる魔法を発展させていくための足掛かりになるように教えているだけである。それは魔法学校だけでなく、超能力、霊能力、気功術などの他の夢幻の力に関わる者の通う学校でも同様である。

また、攻撃魔法は基礎すら教えていない。これは法律に『故意に他者を傷つけることを禁ずる』という文面があるからである。他者を攻撃する力を持った場合、急な感情の爆発で攻撃魔法を行使してしまうかもしれない。現に魔法学校創立してすぐの頃には攻撃魔法の基礎が教えられており、調子にのって学友や小動物を傷つけてしまったという事件が何件もおきている。そのため、現在の魔法学校では防御や拘束などの魔法は護身用に教えていても攻撃魔法は教えていない。

「さて、今のうちに明日の予習をしておかないと」

軽く伸びをした後、机の上に分厚い本を広げる。カチュアはあと三か月で魔法学校を卒業することになっている。そのため、来月に行われる最後の試験のために必死に勉強していた。

最期の試験の結果が卒業生の成績の序列を決定する。今年度の上位成績者の三名には魔法学校がどんな願いでも叶えてくれることになっている。カチュアには叶えたい願いがあり、その上位三名に入ることを目的にしていた。

今までの試験でカチュアは常に上位に成績を残してきた。しかしどんな願いも叶えてもらえるという報酬を目当てに、最後の試験に好成績を残す者が多数出るのは毎年のことなので油断は絶対できない。そして最後の試験は今までの試験とは異なり一つの課題が出される。

「そういえば最後のパフォーマンス試験はどうしようかな」

それがパフォーマンス試験である。今まで魔法学校で学んだ魔法、家伝の魔法、まったく新しく創作された魔法などのジャンルは問われないが、今まで学んできた魔法の成果を発表するための試験である。

この試験には一般のお客さんや国の重鎮、様々な企業の重役などが見学できるようになっており、通常の試験の結果以上にこのパフォーマンス試験の結果が将来の就職に関係してくる。高度な魔法を見せれば就職先の選択肢は広がり、ここで失敗すれば就職活動は困難なものになってくる。

しかも今まで経験したことのない魔法のパフォーマンスにカチュアは頭を悩ませていた。通常の試験なら学力や習った魔法の応用を見せれば評価されるが、パフォーマンスは何をして感心されるかが重要である。

カチュアの使う人形使いの魔法は正直地味な魔法の部類だ。そのため、パフォーマンス試験ではどう表現すれば良いのか使いどころに悩むのだ。

「はぁ、何も思いつかないよ」

カチュアは机の上に突っ伏して頭を抱えた。




翌朝、カチュアは学校の廊下をなんとなしに歩いていた。試験まで時間もないため、本来ならば時間を無駄に浪費しているだけの行為であるが、気分転換をすることで今まで出せなかったアイデアが出るかもしれないと考えてだ。

この時期の最終学年の生徒がパフォーマンス試験に向けて何らかの行動をとる。資料を見返す者もいれば、気晴らしに出歩いたり運動したりする者もいる。カチュアの場合は後者である。カチュアは考えるよりも行動するタイプの人間である。思いたったら一直線な所がたまに傷だが、今まではそれで良い結果を出してきた。

過去の資料を読み返すのは参考にはなるが、大きな意味を持たない。細かく分析するよりも自分にできる最高の魔法を披露することがベストだと考えているからだ。そのため、カチュアはこの時期、資料を調べるよりも気分転換を優先にした。

廊下の曲がり角に差し掛かったとき、ぼぉーっとしていたカチュアは誰かが走って来ることに気が付かなかった。

「きゃっ」

「うわっ」

 走ってきた人影はとっさにカチュアに気が付き、ぶつかる直前に体をそらし、衝突を免れた。しかし、突然のことに驚いたため、体制を崩してしりもちをついてしまった。

「ご、ごめん。だ、大丈夫だった? メイザースさん」

走ってきた人影、グレン・ハートフィリアは座り込んでいるカチュアに手を差し伸べながら申し訳なさそうな心配そうな顔で覗き込んだ。

「あはは、こっちこそぼぉーっとしていて気が付かなかったから」

素直にグレンの手をとり、カチュアは苦笑しながら立ち上がった。

「それにしてもハートフィリアくんが廊下を走るなんて珍しいね。何かあったの?」

グレンは模範生として有名であり、カチュアの記憶にある限り彼が廊下を走ったなんて見たこともなければ聞いたこともない。そんな彼が廊下を走り、なおかつ他人にぶつかりかけるなんて幻でも見ているようだ、とカチュアは思った。グレンは目に見えて動揺する。

「い、いや、何でもないよ。トイレにいきたくって、つい走っちゃっただけだよ」

現実世界には目が泳ぐということわざがあるって、お爺様が言っていたなぁ、とグレンの目を見ながらカチュアは思い出した。

一番近いトイレはグレンが走ってきた反対側にある。

それを指摘しても良いが、あそこのトイレを使いたくないからと言われるだけだろうし、何か隠しているのはわかるので、わざわざ暴こうとはカチュアは思わなかった。

別段カチュアはグレンと仲が良いわけではない。むしろめったに話さない相手である。仲が悪いわけではない。あまり話をしないクラスメート程度の付き合いである。

「へぇ、そうなんだ。引き留めてごめんね」

そのため、この場でカチュアはそう返事をすることを選んだ。

「いや、別にいいよ。こちらこそごめんね」

カチュアが深く聞こうとしないことにグレンはあきらかにホッとしながら、今度は走らず、しかし速足で去って行った。

グレンが何を慌てているのだろうかカチュアは少し考えるが、すぐにかぶりを振って考えるのをやめる。他人の秘密を詮索するのはあまりよくないし、何より今考えるべきことはそれではない。

「ひっ!」

不意に背筋に怖気が走るのを感じ、慌てて振り向く。しかし、そこには誰も居ない。気のせいだろうか? そう首を傾げて前に向き直る。

「わっぷ」

再び誰かにぶつかってしまった。今度は本当の衝突である。カチュアは相手の胸に顔をぶつけてしまったのだ。

「ご、ごめんなさい。リカード先生」

ぶつかった相手は魔法学校の教師の制服である青いコートに身を包み、片眼鏡をかけている男性で、カチュアの受講している魔法史の教師、リカード・テイラーであった。

「いえいえ、こちらこそすみませんね、ミス・メイザース」

リカードは穏やかな笑みを浮かべてカチュアに謝罪した。それに恐縮しながら自分の不注意を主張するが、お互いに気を付けましょうとリカードが言ったことで、そうしますとしか言えなくなった。

「ところで、ミス・メイザースは何故こんなところに? もう最終試験について勉強は終わったのですか?」

言葉通りなら最終試験も一ヶ月後に迫ったこの時期にフラフラ出歩いていることへの嫌味だが、リカードが本気で心配して言っていることはカチュアにはわかった。

そもそも、生徒思いの先生としてリカードは有名である。カチュアもわからない所を聞きに行ったときに丁寧に教えてくれたことを覚えている。

「一応構想はできているので今は考えをまとめている所です」

少し考えてから正直に答える。別に隠すことでもない。構想はできている。あとはどうアレンジしていくかだ。

「そうですか、それは良かった。なにぶん、この時期は悩みを抱える生徒が多いものでしてね」

リカードは悩ましげに言う。きっと全ての生徒に救いを差し伸べることができないことが悔しいのだろうと、カチュアは思った。

魔法学校に通う生徒は千を軽く超えている。カチュアと同じ学年には百五十人の生徒が居る。それだけの人数を一人一人相手するのはいかに生徒思いとはいえリカード一人では不可能だ。

さらに言えば素質の乏しい生徒も当然通っている。そんな生徒を優秀な成績で卒業させることはとても難しい。毎年何人も卒業の基準を超えることができなかった生徒が居る。そういった生徒は学校をやめさせられる。

卒業の基準は就職するために必要な成績の最低ラインを指定している。それを下回る者は社会不適合者扱いされる。くどいようだが学校は基礎や知識を教える場である。最終試験も学力だけでも卒業させてくれる。

資質も乏しく、さりとてそれを知識で補う努力をしない者は留年しても同じことを翌年繰り返す。そういった考えからこの学校には卒業できない者は退学にされてしまうのだ。

そういった生徒を正しく導くことができないことがリカードの悩みなのだろう。

カチュアは優秀な部類の生徒であるため、教師に心配される事はあまりないため、こういったリカードの気遣いは嬉しいと感じた。

「ではミス・メイザース、何かあったら私の所に来てくださいね」

しばらくしてリカードはため息を一つ吐いてから、カチュアに言う。何か思うところがあっても生徒の前で考えることではないと思ったのだろう。

「はい、わかりました」

とくにリカードに用が無いので、カチュアは社交辞令と受け取り軽く返した。自分の研究室に向かって歩くリカードの背中を見送り、カチュアは自室に戻るために歩き出した。




自室に戻ったカチュアは椅子に勢いよくもたれ掛る。一見一つの木からくり抜かれたような見た目の椅子だが、見かけよりもかなり軽く、柔らかい。森にあるもの全てが柔らかく軽いモノでできているという、フカフカ森の木から作られたお気に入りの椅子である。

しばらくその柔らかさに癒されていると、机の上に手紙が置いてあることに気が付いた。

「お爺様からのテレター? 珍しい、何の用だろう」

テレター、正式名称テレポーテーション・レター。そのままの意味で瞬間移動する手紙だ。書き終えた手紙に魔法陣の書かれた切符を貼って机に置くだけで、次の瞬間には宛先に届いているという、この世界での連絡手段の一つだ。

カチュアも両親宛に利用している。しかしお爺様から送られてくることは魔法学校に入学してから片手で数えられる程しかない。そのため、不思議に思いながら封筒を開いた。



―― 不穏な風に気を付けよ ――



手紙にはその一文しか書かれていなかった。

どういう意味なのか皆目見当もつかない。これまで祖父はカチュアに意味のないことを言ったことがあっただろうか。いや、ない。つまり、不穏な風というモノが何らかの悪さをするということで、それに対して気をつけろと言いたいのだろう。

「いくらなんでもわけがわからないよ」

そうこぼしながら机の中に手紙をしまう。こんな一文で何に対して気をつけろというのだろう。重要なことならもう少し詳しく書いてあるだろう。そう思っての行動だった。後から考えればもう少し危機感を持っていればと思う行為だったが、今のカチュアには何でもないことだった。




そして時間は流れ、パフォーマンス試験の時間が訪れた。会場は現実世界の資料にあったコロッセオに似ている。事実、コロッセオとして使用された歴史のある舞台である。現在でこそパフォーマンス試験や魔法の演習などに利用されているが、先人の戦いの爪痕の残る場所である。

大勢の観客の前で闘技台に一人で立ち、パフォーマンスをする。それだけであるが、多くの観客の前にて一人でパフォーマンスを行うのは大勢に見られるということに慣れていない生徒にはプレッシャーである。

不思議と緊張はしていなかった。ガチガチに緊張している相手を見ると逆に緊張しなくなる。そんな感覚だろう。事実、カチュアの周りには緊張で体を強張らせている生徒が何人もいる。それでも人形を持つ手に力がこもるのは仕方のないことだろう。

もう数人でカチュアの出番となる。そんなとき、待機室に緑色の短髪の少年が入ってきた。カチュアの友人であるリック・ダイソンだ。向こうもカチュアに気が付いたのか、片腕を上げて笑顔で近づいてきた。

「よぉ、調子はどうだ?」

「う~ん、まぁそこそこかな」

そんな挨拶を交わし、力が入っていた体を緩める。こういった会話をするだけで気が楽になる。それは向こうも同じだったようで、カチュアを最初に見つけた時、明らかにホッとしているように見えた。

初めておこなうパフォーマンス試験のプレッシャーや人前に立って魔法を披露する気恥ずかしさが殆どの生徒の実力を殺してきたのだ。しかしプレッシャーを和らげることができれば、逆に自分の力になる。ほどよいプレッシャーが緊迫感を生み、集中力を上げる。羞恥心は自制心となり、過度なアピールを減らすきっかけとなるからだ。

パフォーマンス試験ではアピールを繰り返せばいいだけでなく、全体のバランスが良いかも審査基準となる。無論、失敗などすれば大減点だ。

過去に炎の魔法の使い手が最後のしめに巨大な火柱を出そうとしたことがある。彼のパフォーマンスの内容は炎で花園を再現するというものだった。それなのに火柱をだすことは花園と無関係のため、減点され。そもそも火柱を出すときに魔力を込めすぎて自分まで黒こげになるという失敗を犯したため、実力はあっても落第点にされた生徒が居た。当初、彼の計画には火柱を出す予定は無かったが、自分の前の生徒のパフォーマンスを見て焦りを覚え、自分の実力を最後に大々的にアピールしようと考えて最後に付け加えたそうだ。彼の失敗談は反面教師となると考えられ、失敗例の一つとして教えられた。

事実、彼のように焦って過度なアピールや方向違いのアピールをする生徒は毎年大勢居る。今年も何人かそういう生徒が居るようだ。大勢に見られる中、一人でアピールするというプレッシャーが焦りを加速させ、行動に移してしまうのだろう。

だからこそ、カチュアはプレッシャーに押しつぶされるのではなく、逆に緊張感を保つための感覚にしてしまおうと考えており、リックが話しかけてくれたことがありがたかった。




しばらくしてカチュアの名前が呼ばれた。

「頑張ってこいよ」

激励の言葉をかけるリックに、カチュアは軽く拳を掲げて返す。

待機室から出て石造りの通路をしばらく歩き、目の前に闘技場につながる出口が見えてきた。まだ、カチュアの出番ではなく、カチュアの前の人物のパフォーマンスが始まるところである。入口から闘技場を除き見ると、そこには赤髪の少年が立っていた。

「ハートフィリアくん」

ぽつりと呟く。一か月前にぶつかりかけたグレンがそこに居た。思い返せば自分の前は彼だったか、カチュアはそう考えながらグレンのパフォーマンスを見る。

 グレンは一冊の書物を持っていた。彼の実家であるハートフィリア家の魔道書で、魔法発動の触媒だったとカチュアは記憶している。本の中に予め魔法陣が刻まれており、ページをめくって魔力をこめるだけで魔法発動を可能にするのがハートフィリア家の魔法だ。

 グレンは会釈を一度するとバッと魔道書を開いた。何をするのだろか、と興味深く見ていると魔道書から水でできた人魚が飛び出してきた。その水の人魚は天に向かって手をかざし、水の球を作り出す。水の球はだんだん大きくなり、突然爆ぜて闘技場に雨が降り注いだ。

グレンは雨が自分にかかる前に別のページを開いていた。次の瞬間には炎の円盤がグレンの頭上に現れて傘の代わりをする。雨粒が全て蒸発すると、グレンは炎の円盤を消すために竜巻をおこして吹き消した。その竜巻もグレンの出した雷で霧散した。

カチュアはグレンが力を誇示するアピールをしていることに気が付いた。パフォーマンス試験は力を誇示する場ではない。むしろ昨今の夢幻世界では攻撃魔法は野蛮だと言われるほど、忌避される傾向にあるため、マイナスにしかならないのではないかと心配になった。

そこでふと一ヶ月前のことを思い出す。あの時、妙にグレンは焦っていた。普段は走らない廊下を走ったり、少し聞いてみただけで誤魔化すことすらろくにできていなかった。もしかしたらまだ問題が解決していないことが原因で、今回のパフォーマンスをおこなったのだろうか?

カチュアが思考を巡らせていると、グレンのパフォーマンスが終わったのか、一礼して反対側にある出口に歩いていく様子が見えた。自分の番だとわかり、慌てて闘技場へと向かう。今は自分のことに集中しなくてはならない。そう考え、闘技場に立つ。

大勢の視線がカチュアに突き刺さる。グレンのパフォーマンスで場の空気が盛り下がったのもあるが、カチュアが大魔法使いと呼ばれた人物の孫であるということも大きい。

大魔法使いの孫。それはカチュアが魔法学校に入学して以来、言われ続けてきたことである。大魔法使いの称号は夢幻世界に居る数多の魔法使いの中でもほんの一握り、歴史上でも十人居るか、というほどだ。そんな人物の孫である自分が注目されることは嫌でも理解していた。

しかし、努力しても大魔法使いの孫なのだから当然と思われることは辛く感じていた。そのうえ、才能だけは高かったものだから、周囲からの嫉妬や過度な期待が重く圧し掛かってくるため、お爺様のことは尊敬していても、大魔法使いとしてのお爺様は嫌いであった。

カチュアは大魔法使いの孫だから、ではなく。自分だから、と言われる魔法使いになりたいと考え努力を重ねてきた。無論、現実世界に行きたいという考えが強いが、この場では自分を認めさせることに利用するためにパフォーマンスをおこなう。

パフォーマンス試験では、最初に一礼してから始めることになっている。これは魔法使い同士の決闘での流儀を参考にしている。相手は居ないが、礼儀作法だ。何より、自分自身に勝つために気持ちを切り替えることができ、観客からも始まりがわかりやすいということもあり、現在でも続けられている。

一礼したあと、カチュアは持っていた人形を放り投げる。カチュアは人形遣いである。当然、投げた人形はただの人形ではない。魔法をかけた糸で作られた人形である。人形は宙を舞いながら巨大化し、カチュアの背後に二本の足で降り立つ。見た目にお腹に大きな縫い目のあるクマのぬいぐるみである。それが本物のクマと同じ大きさまで巨大化し、少女の背後に居るのだ。可愛らしくデフォルメされている分、シュールな光景である。

カチュアの魔法はただ人形を大きくするだけではない。巨大化したクマは自分のお腹にある縫い目に手をかけて左右に縫合後を引きちぎりなだら開く。すると中から大量の人形が雪崩のように闘技場に流れだし、一面を埋め尽くす。いかにクマが巨大化したとしてもあきらかに体積を超える人形たちの数。実はクマの中に大量の人形を隠していたわけではなく、別の場所にある人形をクマの腹部に作ったゲートを使用して召喚したのだ。

そしてカチュアは闘技場を埋め尽くす人形全てに魔法をかけ、空へと浮かべた。狭い闘技場の上ではスペースに問題があった為、浮かせてしまえばいいと考えてのことだ。宙を舞う人形たちはその全てが楽器を持っている。ギターやオルガンなど、まるでオーケストラのような楽器の数々を人形たちが構える。

カチュアは闘技場の真ん中で指揮者のように両手を上げ、振り下ろす。そると人形たちがそれぞれの楽器を演奏し始めた。指揮など経験のないカチュアは振り下ろした後に、魔法に粗が無いかを確認する作業をおこなっているが、人形たちはオーケストラさながらに楽器を演奏し続ける。

そろそろ持ち時間が無くなるころ、ようやく演奏が終わった。すると宙に浮かんでいた人形たちが幻のように消えていく。実は演奏の最中に気が付かれないように音だけ残して一体ずつ送還していき、演奏終了時には最初のクマ以外は居なくっているように調整したからである。

パフォーマンス試験で道具を使う場合はその出し方や片づけ方まで評価対象に含まれる。そのための作戦であった。クマもいつの間にか元のサイズに戻っており、カチュアは最後にこれで終わりという合図の意味を持つ一礼をして、入ってきた反対側の出口へと足を向けた。

手ごたえはあった。自分のできる精一杯のパフォーマンスができた。

「よしっ」

 カチュアは小さく拳を握り、笑みを浮かべた。




パフォーマンス試験から時間が流れ、卒業式の日が訪れた。多くの卒業生が石造りの講堂に整列し、静かに始まるのを待っていた。その中にカチュアの姿がある。

「これより卒業式を開始する」

魔法によってステージに火が灯り、その中から現れた長い顎鬚を生やした老人、学園長のアドルフ・シルバ・ミルフェーリが卒業式の開会を宣言する。

アドルフは、カチュアのお爺様と同じく大魔法使いと呼ばれる男であり、御年三百歳を超えていると噂されている。派手好きで悪戯好きなことで有名で、入学式の時は突然の爆発の中から現れたことをカチュアは今も覚えている。毎年の卒業式でも何らかのサプライズを行うと、去年卒業した先輩から聞いている。そんなアドルフの開幕の挨拶から卒業式が始まる。ただ見ているだけならカチュアもアドルフが卒業式に何をするのか楽しめたが、この卒業式では警戒が必要である。

「次に、卒業生代表の挨拶。卒業生代表、カチュア・メイザース」

「はい」

カチュアは卒業生代表に選ばれていたからだ。カチュアは最終試験とパフォーマンス試験の結果、学年主席として卒業することができた。そのため、卒業生代表に選ばれることになってしまった。ただの一卒業生として参加するならまだしも、卒業生代表として挨拶するのはアドルフの悪戯の標的にされるかもしれない。今までの卒業式でも何度か卒業生代表が標的にされてきた。

 しかし、警戒していても卒業生代表になった責任を果たさなくてはならないと、カチュアは前に出て一礼した。

「春うららかなこの日…」

 挨拶の言葉を話しながら、この六年間のことを振り返る。新しい人形の魔法を覚えるには向かない学校だったが、基礎の魔法はばっちり学べたし、何より友達も何人もできた。

魔法使いは己の魔法の研究に夢中になる人種が多いため、半ば引きこもりのようになることが多いため、他家との交流を持てる魔法学校はありがたかった。

無論、生活のために就職する者も多いが、カチュアのように才能のある魔法使いには国から援助金が出され、それだけで食べていけるうえ、カチュア自身の実家も大きいため、カチュアは卒業すれば就職せず実家で生活するだろうと考えている。

だからこそ、魔法学校でできた交友関係を魔法使いたちは大切にする。引きこもりがちな魔法使いでも他者と話すだけで新しいアイデアも考えられるし、何より研究だけでない娯楽も必要だからだ。友人と気楽に話すことが魔法使いにとっては一番の娯楽である。

カチュアは友人との思いで、これからの人生で友人とどう関わっていくか夢をはせる。卒業してしまってリカードを初めとする先生たちと気軽に会うことができなくなることや蔵書の多い図書館に通えなくなってしまうのは淋しいが、これからの人生、何より現実世界に思いをはせる。




結局、今年の卒業式ではアドルフのサプライズは最初の登場だけだった。卒業式が終わった後、友人たちと何かあったのかを話してみたが、皆目見当もつかなかった。わかっているのは、終始難しい顔で何かを考えている様子だったと、アドルフに席の近い生徒が話していただけである。

それよりもカチュアは今晩が待ち遠しかった。何故なら今夜七時に上位成績者三名への願いの確認が学園長室で行われるからだ。七時になったのは政府から偉い人が確認にやってくるためである。現在は午後の二時、あと五時間は何をしていようか、はやる気持ちを隠しきれずに笑みを浮かべてカチュアは思う。

すでに学生寮から荷物は実家に送られているため、部屋の掃除は必要ない。六年間暮らしていた学生寮から去ることになるのは寂しく思うが、用事もないため、学校内を探索しようかと思い、歩き出す。

カチュアは六年の間、魔法学校で学んできたが、まだまだ知らない場所、行っていない場所は多数存在する。先生でないと入れない区画は仕方なくても、通るのに一定以上の魔法の腕が必要な通路や、今まで用事がなくて入らなかった扉などなどだ。マッピングの魔法を得意とする家から入学した生徒ですら魔法学校の全貌は掴めなかったそうだ。普段のカチュアはそこまで好奇心を持って行動しない。そういった探求欲が全て魔法への探究欲に変わっているからだ。

だからこれはカチュアの些細な気まぐれであった。その気まぐれが、事件に巻き込まれるきっかけになるとは、このときカチュアは知らなかった。




 それに気が付いたのは偶然だった。地下に続く階段の前を通りかかった時、地下の方から言い合うような声が聞こえてきた。地下には校則違反者を閉じ込めるための反省室や儀式用の道具保管庫しかなく、何故言い合うような声が聞こえるのか不思議だった。

反省室は防音の魔法がかけられているため、地上まで声が聞こえてくるはずがない。初級の防音魔法ですら二メートル先の声を聞こえなくすることができるうえに、反省室にかけられた防音魔法は音の魔法のエキスパートの家出身の先生がかけた高位の防音魔法である。たとえ地下で巨大な爆発が起きても何の音も聞こえない。そのため、反省室に入れられた生徒が先生と言い合っているという可能性は低い。

反省室に入れられる前に先生と言い合っているのだろうかとも考えたが、そもそも今日は卒業式である。そんな日に生徒を反省室に閉じ込めるはずがない。卒業式には全校生徒の参列が義務付けられているうえ、何か悪さをする生徒が居たとは聞いていない。教頭も挨拶のときに話していた。

『在校生を含め、誰一人欠けることなく卒業式を迎えられたことを嬉しく思います』

と、だから欠席者は居なかった筈だ。ならばいったい誰が言い合っているのだろうか。そんな興味から、カチュアは音を立てないように、地下室へと足を向けた。




地下へと続く石造りの階段を下り、地下への入り口が見えてきた。カチュアはサッと入口に駆け寄ると影に隠れて地下の様子をうかがう。そこには丸いボールが一つ転がっており、そこから声が出ていた。聞き覚えのある声のようだが思い出せない。会話の内容も無理やり音量を増幅しているためか、不鮮明で聞き取れない。何とか会話していることだけわかるようだ。カチュアは入口から顔を出して他に誰も居ないかを確認してボールに近寄る。

ボールを観察すると金属で造られており、銀色で、真ん中に三つの穴が開いていることがわかる。どうやら声は穴から出ているようだ。カチュアはボールが誰かの魔法で造られた魔道具だと考え、それがどこと繋がっているかを知ろうと思い、ボールに触れようとした。

その瞬間、ボールは自分の意思があるかのようにカチュアの手から跳ねるように逃れ、カチュアから数メートル離れた場所に着地すると、ゆっくりと転がり始めた。カチュアは唖然として固まってしまったが、ボールが見えなくなりかけたため、慌てて後をおって歩き出した。




ボールはカチュアの歩幅にあわせるように動いており、カチュアを置いてきそうになるとゆっくりになる、反対にカチュアが追いつきそうになるとスピードを上げる。すでに三つの穴から出ていた声は消えており、ただただ石造りの通路を転がっていく。

カチュア自身、地下室には入ったことは無かった為、物珍しそうにあたりを見渡しながらも置いていかれないように後を追う。地下室と表記しているが、まるで迷路のような造りをしており、初めて訪れればまず間違いなく迷子になってしまうだろうと思いながら、帰りをどうしよう、早まったかもしれない、と不安を覚え始めた。

ちょっとした探検気分から学校内での遭難とはシャレにならない。風で聞いた噂では、学校の地下室は昔、学校に何かあった時の抜け道として作られたものであるということらしい。そのため、侵入者を迷わす迷路にもなっており、先生以外には正しい道順が教えられていないということだ。カチュアはこの噂はあながち間違いではないと考えている。迷路を改造して反省室を造り、道具を置くようになって今の形になったのかもしれない。

そんな考察をしていると、突然、ボールは一つの部屋の前に差し掛かる直前で動きを止めると、溶けるように崩れて地面に吸い込まれていった。おそらくボールは役割を終えて魔力へと戻ったのだろう。何故ならその部屋だけ明かりがついており、外に光が漏れていたからだ。カチュアはボールを作った何者かがこの部屋に案内したくて先ほどのボールを作ったと判断する。そうしてゆっくりと入口から中の様子をうかがう。

部屋の中では二人の男が言い合いをし、その向こう側に鉄格子が見える。よく見ると鉄格子の向こう側にも誰かが居るようだった。鉄格子の向こう側には明かりが届かないのか、暗くてよく見えなかったが、言い合いをしている人物二人は大人と子どもほどの身長差があり、両方ともカチュアのよく知る人物だった。グレン・ハートフィリアとリカード・テイラー。魔法学校の教師と卒業生が何故こんな所で言い争いを? 疑問に思ったが口に出さず、様子をうかがうことに決める。

「彼を閉じ込めるなんて何を考えているんですか」

「仕方がないでしょう、彼には聞かれてしまった。秘密を知られたからには野放しにはできませんよ。それは君も分かっているはずです」

「でもっ。あ、貴方ならわざわざ捕まえなくても記憶を操作すればどうとでもなるじゃないですか、わざわざ捕まえておく方が不利益な筈です」

「なるほど、そういうことですか。ならば答えましょう。別に彼をどうこうするつもりが今は無いだけです。今はデリケートな時期なので、彼の記憶を弄って周囲に怪しまれるような行動をされては困るので逆に隠しているのです。君ならこの意味がわかりますね?」

「…記憶を弄って周りに不思議がられるよりも、失踪の方なら証拠が出にくいということですね」

「えぇ、そうです。いやぁ、物わかりの良い生徒を持てて私は幸せですね」

「……」

「では、そろそろ時間なので行きましょう。何、ずっと彼を閉じ込めてはいません、我々の願いが成就されれば解放しますよ。それに彼に危害を加えるつもりも死なせるつもりもありません。彼も私の可愛い生徒ですからね」

「…そうですね」

はっきり言って会話の内容が理解できなかった。あの優しいリカードが生徒を監禁しているなんて信じられなかった。会話の内容から生徒の誰かに秘密を知られ、その生徒を監禁していることはわかった。しかし、なんであの二人が。もしかしてグレンの様子がおかしかったのもこれが原因なのかもしれない。

ぐるぐると頭の中を謎が渦巻く。その時、グレンがこちらを見たような気がしてカチュアは慌てて頭をひっこめ、このままではグレンもリカードも出てくると気が付き、姿隠しの魔法を小声で唱えた。姿隠しの魔法はその名の通りに透明になる魔法なので、匂いや気配は勿論、触られてしまったらその瞬間に見つかってしまう。だからカチュアはその場に身をかがめて息をひそめた。

「それでこの後…」

「…ですね。なら…」

幸いなことに、魔法の発動が間に合い、先生であるリカードにも気づかれることなくその場をやり過ごせた。遠くに二人の姿が見えなくなってからカチュアはようやく立ち上がり、部屋の中に入る。この部屋は鉄格子があるだけで他には何もない部屋だった。まるでお城の牢獄のようだとカチュアは思う。

カチュア自身は優等生であり、問題行動も起こしていないため人伝手に聞いただけだが、部屋の特徴から考えるに、この部屋が生徒を閉じ込める反省室なのだと分かった。

姿隠しの魔法を維持しながら、足音を立てないように鉄格子に近寄る。鉄格子には防音の魔法がかけられているが、向こうからは教師の説教が聞こえるようにとこちらの音が聞こえるため、万が一見つからないように注意し様子をうかがうと、緑の髪をした少年、リック・ダイソンが膝を抱えながら座っていた。

「リック!」

カチュアは思わず姿隠しの魔法を解いて鉄格子に駆け寄る。何で彼がこんなところに。そんな疑問ばかりが頭の中を駆け巡る。

「――――」

リックもカチュアに気が付き、慌てて声をかけるが、防音の魔法に阻まれてカチュアの耳には届かない。唯一伝わる身振り手振りで、カチュアに出ていくように伝えようとするが、それも通じなかった。

「どうすれば」

 こちらから何かを話すだけならまだしも、向こうからの反応がわからなくては意味がない。リカードとグレンの話ではリックが悪さをしたわけではないことなので、最終手段をとることにした。

「リック、うけとって」

カチュアはそういってポケットに圧縮魔法で小さくしてしまっていた人形を取り出してリックに投げ渡す。人形は綺麗な放物線を描き、リックの腕の中に納まると、ボンッという音と共にリックと同じ大きさの人形へと変わった。

「いい、リック。その人形は身代わり人形と言って持ち主と人形の立ち位置を入れ替えることができるの。その子は未契約なの。だから血液を垂らすことで持ち主になることができるようになっているからその子と契約してもう一度こっち側に投げて」

カチュアの考えは契約した人形をこちら側に戻して、入れ替わらせるという簡単なものだった。過去に反省室を脱出しようとした生徒も居たが、曲がりなりにも魔法学校の教師が造りだした反省室である。簡単に出られないように結界魔法が張られているため。学生のレベルでは突破できないだろうレベルの結界魔法を難しい脱出魔法を組み立て破ろうとするが、扱いに失敗して誤爆するという失敗談がある。だからこそ逆に単純な行動が成功を導き出した。

実はこの結界魔法は転移系の魔法には対応していても身代わり系の魔法には対応していなかった。

転移はそのまま空間Aから空間Bに移動する魔法であるが、AとBの間に魔法で通路のようなモノを作って移動している。通路と言っても入口から出口まで一瞬のため、門という考え方もある。今回は通路で説明するが、反省室にある結界魔法は通路を通行止めにするための魔法である。そのため、転移魔法は軒並み防がれ失敗してしまった。

身代わりは物体Aと物体Bを置き換える魔法である。今回の場合はリックと身代わり人形がその役割を果たした。転移同様に移動しているが、AとBの間に通路ではなくラインがあるという違いがある。ラインとはAとBを繋げる紐のようなモノであり、通路よりも細く頑丈である。結界の隙間を縫うようにラインは繋がっているため、いつでも置き換えを可能にしている。その結果、簡単にリックを脱出させることができたのだった。




「助かった、カチュア」

反省室から出たリックは体を解しながらカチュアにお礼を言う。

「う、うん。それは良いんだけど、何で捕まっていたの? リカード先生が何か秘密をリックに見られたって言っていたんだけど」

リックのお礼に軽く返して、思っていた疑問を口にする。その瞬間、リックは動きを止め、真剣な顔でカチュアを見る。

「助けてくれたことはありがたい。でもお前は関わるな」

そう、短く言うと、カチュアの横を抜けて出ていこうとする。

「ちょ、まってよ。どうしてそんなことを言うの?」

あまりにもあんまりな台詞にカチュアは思わずリックの手首をつかんで聞いた。

「…悪い、話せない」

リックは振り返らずに短く言う。

「何で、リックがここまで呼んだんでしょ?」

カチュアは自身をここまで誘導してきたボールを思い出してそう言った。あのボールはカチュア自身を標的していたわけではなく、地下室に訪れた人間なら誰でも誘導していただろうことをカチュアは理解している。それでもあれはリックが誰かに助けを求めて、協力者を欲して行ったことだと信じて聞いた。

「呼んだ? いったい何のことだ?」

 しかし、リックから帰ってきた答えは疑問だった。リックがウソをつけない人間であることは六年間の付き合いで理解していた。この疑問は本当に知らないということだろう。ならば誰があのボールを?

「とにかく、お前は本当に関係ないんだ。ほら、単なる、あれだ、男子の卒業生でやっているイベントだよ。学校使った鬼ごっこだ。お前が知らなかったのは、あれだ、女子には内緒ってなってるからだ、うん、そうだ。俺はヘマして捕まっているだけで、ホント、何でもないんだ」

 リックが言っていることがウソだということをカチュアは考えるまでもなく理解した。何故なら、リックはウソをつくときに盛大に目が泳ぎ、普段に比べて長々と話す癖があるからだ。しかし、リックがウソをつくということは本当のことを誰にも話す気が無いということだとカチュアは知っている。リックは意外に頑固で、一度口を紡ぐと、口を割るのに苦労する。

「ふぅ、わかった。もう聞かない」

いくら記憶を消すだの言っても、あの生徒に優しいリカード先生や模範生のグレンが悪いことをするわけがない。もしかしたらリックの言うように本当にイベントとして反省室にリックを入れていたのかもしれない。

「悪いな、ホントに女子には内緒だったんだ」

まだ言うか。カチュアは心の中で思ったが口にはしなかった。言えばリックが長々と言い訳を言ってくることが目に見えているし、早く地上に戻りたくなったのだ。そこでふと思う。

「ところでリック。ちょっと聞きたいんだけど」

「なんだよ、イベントのことなら」

「そうじゃなくてね、地上への出方ってわかってる?」

「……あ」

「はぁ~」

今さらながら地下室が迷路であることを思い出してカチュアは頭が痛くなった。好奇心で行動してしまった過去の自分を本気でどうにかしたいと思った。

 カチュアはコンクリートで舗装された道をタイ焼きを口に咥えながら歩いていた。周りには巨大なビルが立ち並び、多くの人間が忙しなく歩いている。

カチュアが居るのは現実世界のとある町の駅前通りである。学園長室で現実世界を見て回りたいという願いを叶えてもらい、二週間の旅行が認められたのだ。その結界、カチュアは現実世界でもおかしくない黒いベストにピンクのスカートという格好になっている。髪の色も魔法で茶色に染まっており、全体的に地味な出で立ちで街中を歩いていた。髪まで染めている理由は勿論ある。夢幻世界では夢幻の力の影響で緑や赤などの派手な色彩をした頭髪の人間が多いため、カチュアの赤い髪も目立たないが、現実世界には少数しか存在しないので、滞在期間は茶色に染めているのだ。

 現実世界を見て回る願いはすんなりと通ったのだが、少しだけ条件を与えられた。その一つに魔法の封印がある。現実世界で夢幻の力を行使した場合、現実世界の法則に反する現象をおこしてしまい、夢幻世界と現実世界の両世界に影響が出てしまうからだ。現実世界では『カガク』以外の力を行使するのはご法度なのだ。そのため、現在カチュアにかけられている髪を染める魔法と翻訳の魔法は夢幻世界を出る前にかけられたのだ。

 生まれてから今まで、当たり前のように身近にあった魔法が使えない状態になったことで、カチュアは妙な喪失感を感じてならなかった。夢幻世界に帰れば封印は解けるし、自分の中から夢幻の力が無くなったわけではない。それでも自分の手足が無くなったような虚無感は否定できなかった。だが、それよりも今は未知の世界である現実世界の光景に関心が向いていた。はやく現実世界を見て回りたいという高揚感の方が強かったのだ。

 



まず驚いたのが人の多さだった。見渡す限りに人、人、人。これだけ大きな道にあふれ出さんばかりに人が居る光景にカチュアは目を奪われた。これで首都ではなく一都市であるのだからまた驚きである。

カチュアの出身国の人口よりこの町の人口の方が多いことを事前に聞いていたが、ここまで人がごった返していて国家として成立していることが不思議でならなかった。人口が圧倒的に少ない故郷の国ですら人間同士の衝突で国を維持することが精いっぱいであるとカチュアはお爺様から教わっていた。なので、これだけの人口を抱えていて国家を維持できる現実世界を羨ましく感じていた。

次に高いビルの数々に目を奪われた。見上げなければ天辺の見えない四角形のビルの数々。どれを見ても王城よりも高い建物であった。最初はこの国の貴族層の住居かとも考えたが、事前に調べた情報に、この国では身分制度が廃止されていると載っていたことを思い出し、この高い建物が庶民のものであることに驚いた。

他にも車や電車。道路の広さやその平らさ。食べ物一つとってもカチュアの常識では考えられないモノの数々に、知識欲がどんどんわいてきた。

魔法使いは知識を得れば得るほど強大な魔法を行使できるため、知識欲が強いと言われている。カチャアもその例外ではなく、現実世界の『カガク』いや、科学で造られた道具に強い興味を持った。多くの道具が夢幻の力ではなく、電気によって動いている。それが不思議だった。夢幻の力で生活することが当たり前の夢幻世界では、電気は夢幻の力で発生させられた現象の一つであり、当たると痺れたり焼けたりする程度の認識しかもっていなかった。夢幻の力で起こしてきた現象を電気の力一つで起こせる科学に、改めてカチュアは感心した。

飢えもなく争いの存在しないユートピアのような世界だとカチュアは思った。これから二週間何を見て回ろうか。楽しみで仕方なかった。

「こんな所に居たのか。探したぞ、メイザース」

 タイ焼きを食べ終わり、ブラブラと歩いていると、背後から声をかけられ振り返る。そこにはサングラスに黒いスーツ姿の褐色の肌に黒髪の男性が居た。黒のワイシャツまで着ている気合の入った全身黒ずくめの男は現実世界に不慣れなカチュアを案内役 兼 護衛役であるケリィ・ブラックモアである。彼の二メートル近い長身から見下ろされるのは、同年代に比べて成長が遅いことを密かに気にしていたカチュアは余計に自分が小さく思えてきて苦手だった。だから彼に許可を取らずに勝手に出歩いていたのだが、それが見つかってしまったようだ。

「ごめんなさい、我慢できなくて」

せっかく現実世界に来られたのに彼を連れて歩くのは何だか監視されているようで苦手だったのだ

「ふぅ、現実世界に初めて来た連中はこれだから困る。いいか、この世界は夢幻世界と常識が異なる世界だ。君たちの常識はまるで適用されない。そんな君たちが一人で出歩くなど自殺行為だ。そもそも君はこの世界では子供として扱われる年齢だ。それにこの国では君の容姿は外国人。外国の子供が一人で出歩くなど危険行為だ。補導されかねん」

クドクドと説教を始めるケリィにうんざりするが、カチュアはまじめに聞くことにした。自分の年齢で子供扱いされるや、補導されるなど、ケリィの説教の中にこの世界の常識を知るヒントが隠されていることに気が付いたからだ。

実はケリィはわざとヒントを織り交ぜて説教をしていた。多くの夢幻世界人の案内役をしてきたケリィは、知識欲の強い魔法使いならこの説教をきっかけにある程度の常識を身に着けてくれると、経験から知っているからだ。そもそも、この説教から何の常識も学び取れない者は説教自体を聞き流しているということである。人の忠告に耳を傾けないような相手をケリィは世話する気がない。勝手に出歩いて不審人物として逮捕されればいいとすら考えている。

そんなケリィの考えを知らないカチュアは真面目に説教を聞きながら、重要そうな単語を記憶に刻みつけて意味を考えていた。これから二週間は滞在することになる。お爺様が現実世界に郷に入れば郷に従えという格言があると教えてくれたことを思い出す。

「そういうことだから、メイザース。くれぐれも一人で行動しようとするな」

「はい、わかりましたブラックモアさん」

ケリィの説教から得た情報から、自分がこの世界で子供扱いされることを学びとったカチュアは保護者であるケリィと一緒にいることは大切だと考えている。夢幻世界では学校を卒業してしまえば一人前の大人として扱われるため、どんな時でも自己責任が伴われる。しかし、この世界ではカチュアは子供として扱われ、カチュアが犯した罪の責任は保護者であるケリィに行く。会ってまだ数時間だが、ケリィに責任を押し付けるのは嫌だと考えている。

カチュアは元々人に責任をなすりつける行為は嫌いだ。自分が知人になすりつけるなど考えたくもない。それがカチュアの元々の考え方である。そのうえ、カチュアはケリィが悪い人間ではないことも理解している。皮肉やで素直でないが、所々でカチュアを気遣ってくれていることに気付いていた。そんな人物に責任が行くのはカチュアには耐えられない。だから素直に説教を言うことを聞くことを決めた。

カチュアがケリィに苦手意識をもったのは身長のこともだが、大人の男性に不慣れな所があるからだ。無論、魔法学校にもリカードを含めて男性教員は大勢いたし、何人かの先生には直接教わっている。しかし、彼らはあくまで先生であり、彼らにとってカチュアは大多数の中の一である。一対一で会話することもあるが、現在のケリィとカチュアのように四六時中顔を合わせているわけではない。

カチュアにとってケリィは家族と先生以外で初めて行動を共にする大人の男性である。夢幻世界から現実世界に移動する直前に出会ってから、まだ数時間しか経過していない。そんなわけで、人となりは多少知ることはできても慣れない状態は変わらない。別にカチュアはケリィを異性として気にしているわけでも男性恐怖症なわけでもない。今まで接してきた同年代の男子との違いを雰囲気から察してしまい、どう接したら良いのかわからないのだ。

その点はケリィにも当てはまるだろう。彼は長い間現実世界への旅行者の案内役を務めてきた。しかしカチュアのような幼い少女を相手した経験がまるでなかった。今までの旅行者はカチュアの祖父のような大魔法使いには数歩劣るものの、高位の魔法使いたちである。そんな連中はケリィより年上が多く、高位の術者だけに頭の回転も良い連中である。だからある程度目を話しても自分で何とかできるので、面倒は少なかった。

しかし、今回は魔法学校を卒業したばかりの少女である。ケリィは夢幻世界出身だが、現実世界よりの考え方を持っている。そんなケリィからしたらカチュアは小学校を卒業したばかりの子供である。男の子相手ならケリィ自身の経験から何がしたいのかはある程度予測できると考えているが、女の子はどうなのだろうかまるで分らなかった。ケリィの中では思春期の少女の頭の中は未知の世界である。

「そうか、わかったなら良い。メイザース。観光は明日からだ。まずはこの世界での常識を覚えてもらう。今日はホテルに戻るぞ」

「あ、はい」

カチュアもケリィもお互いに思うところはあったが、どちらにせよ二週間は顔を突き合わせることになるのだ。もう少し時間をかけてお互いを知っていけばいいと思い。まずはカチュアが現実世界で普通に生活できるように常識を教えることから始めた。




カチュアの現実世界での拠点はそれなりに上流のホテルだった。ケリィが住んでいる町に一番のホテルでありお値段もそれなりである。最初は電気のつけ方すらわからなかったが、ケリィに教わりながら使ううちに、今ではケリィは居なくてもユニットバスを一人でお湯をはって入ることができるようになっていた。部屋の中で一番興味深かったのはテレビだった。夢幻世界にも遠くの映像を見ることができる魔法具はあったが、あまり一般には出回らない高価なものだった。しかし、現実世界では一家に一台は存在するほど普及しており、様々な番組が見えるのではしゃぎながら局を変えまくってケリィに怒られてしまった。

部屋に来るまでに使用したエレベーターも、似たようなものがあったが、カチュアは乗ったことが無かったので、もう何度か乗りたいと思っている。

ケリィが帰宅してしまい、一人になった部屋でカチュアは現実世界の常識の書かれた本を読んでいた。まるで夢のような世界だと思っていた現実世界にも細かな決まりがあり、それを守ることができなくては社会不適合者扱いされ、最悪犯罪者になってしまうとケリィは言っていた。

「法律や規則なんかは夢幻世界より細かいな」

思わず愚痴をこぼしてしまう。夢幻世界の法律はモラルを守るための法律と、貴族や王族などの権力者が自身に有利になるように決めた法律の二つから決められている。モラルはともかく、権力者に有利になる状況は時代によって変化するため、法律そのものはコロコロ変わりやすくなっている。それに比べて現実世界の法律はあまり変化することがないというのに驚いた。その姿勢を夢幻世界でも取り入れて欲しいものだと、カチュアは思った。

一通り目を通してからユニットバスに入る。使い方を覚えるのに苦労したが、魔法を使わないだけで、使い方は夢幻世界と同じだったのはありがたかった。これだけ異なる発展の仕方をしていても発想が似てくることがあるのだとカチュアは感心した。

お風呂から出て髪の毛をタオルで拭きながら、テレビを見ることにした。現実世界では新聞だけでなくテレビでもニュースを知ることができるとケリィが言っていた。

『現実世界を知りたいならテレビを利用すると良い』

そう言い残して帰宅していったので、ケリィは自分で知る努力をしろという意味で教えてくれたのだと考える。リモコンを操作して何局か移動しながら見ていると、ちょうどニュース番組がやっていた。天気予報だ。

「現実世界でも天気占いなんてあるんだ」

そう呟いてから、イヤイヤと、頭をふるう。現実世界には夢幻の力の行使者は存在しない。仮にいたとしてもこんな大っぴらに使うことはないし、誰も信じない。夢幻の力を信じない人間によって現実世界は生まれたといっても過言ではないのに、いまさら夢幻の力に頼ろうとするなんてことはない。

「それは科学によって明日の天気を計算している」

突然、背後から声をかけられて、驚くが、知っている声だったので首だけ振り向いた。

「すまんな。言っておかなくてはならないことがあったので慌てて戻ってきた」

そこに居たのはケリィ・ブラックモアだった。昼間はかけていたサングラスをとって、黒い瞳でカチュアを見下ろしている。

「言っておかなくてはならないこと?」

「あぁ。だが、その前に、なんて恰好をしているんだ」

「?」

呆れたように言うケリィに首を傾げて自分の恰好を見る。そういえばお風呂上りでバスタオルを体に巻いたままだった。思わずカァッと顔が熱くなるのを感じて、慌てて脱衣所に駆け込んで寝巻に着替える。

「ご、ごめんなさい。着替えてきました」

「そうか、いくら今の季節でも風呂上りにあんな恰好でいつまでも居たら風邪をひいてしまう。気を付けることだ」

「…わかりました」

人の部屋に勝手に入ってきて言うことがそれだけか? そうカチュアは言いたかったがやめにした。悪気はないのだろう。半裸を見られたが、自分のような子どもの身体に欲情するような人物ではなさそうなので、向こうも自分も気にしないことにする。そう気にしないことにする。

「それで言い忘れたことってなんですか?」

「あぁ、実は夢幻世界から君を預かるときに、君の御爺さんから伝言を預かっている。本来ならもっと早く伝えておくべきだったが、すまんな。色々とあって伝えそびれていた」

「お爺様からの伝言。あ、いえ、私も勝手に行動してしまったのでお互い様ですよ」

何故、お爺様が伝言を? 何故、わざわざ案内役であるケリィに伝えて自分に直接言わなかったのだろうか。疑問に思ったが、自分が最初に勝手に出歩いてしまったせいでケリィのたてたスケジュールを乱してしまったことを思い出し、謝罪しなくてもいいことを伝える。

「いや、君が勝手に出歩いたことはこの事にはなんら関係ないことだ。伝えようと思えば道中いつでも伝えられたことだ。口頭で一言伝えるだけのことにこれだけ遅くなってしまってすまない」

「もう良いですから。それよりお爺様は何と仰っていたんですか?」

少しネガティブなケリィの様子にヤキモキして、はやく言うようにせがむ。

「それもそうだな。君の御爺さんからの伝言はこうだ」

 


―― 風が騒いでいる。しばらく魔法学校に近寄るべからず ――



「以上だ。私自身何のことだかわからない。君に直接伝えずに私を通して伝言にした理由も、この伝言の意味もだ。わかるのは魔法学校。おそらくは君の母校に近寄ると何らかの危険に巻き込まれる。ということだろう」

ケリィは考えを混ぜながら、お爺様の伝言を話した。たぶん、ケリィの言ったことは外れていない。魔法学校に近寄るのは危険だというのだろう。ケリィを通して伝えたのは私がお爺様に聞き返すことができない状況を作るためだろう。完全にお爺様に自分の性格が読まれているとカチュアは痛感した。それをふまえて伝言の意味を考える。


―― 不穏な風に気を付けよ ――


以前、お爺様が送ってきたテレターの内容だ。今回の伝言にある風とは、この不穏な風のことだろう。いよいよ『風』が動きだしたから注意するようにというメッセージなのだろうことはわかった。

では何故今なのか? 現実世界には二週間滞在することが決まっており、途中で帰ることはさすがにできない。私の旅行と『風』とは恐らく関係がないだろう。だったら帰ってきてから伝えるべきだと思う。もしかしたら帰ってきたときにはお爺様は身動きがとれなくなっているだろうと予想しての伝言かもしれない。

 あれやこれ頭の中を予想が飛び交うが、正しいだろう答えがみつからない。いったい、どれが正解なのだろう。昔から、お爺様はややこしいことばかり言ってくる。

「メイザース。少し良いか?」

 最終ときにはお爺様に対する愚痴になってきたときに、ケリィがそう声をかけてくれたことで、ようやく正気に戻る。

「あ、はい、なんでしょうか」

「メイザース、これだけの文章で答えを導き出すことはできない。難しく考えずに文章そのままと理解すればいいのではないか? 君の御爺さんは危険だから魔法学校に近寄るな。そう伝えたかっただけだとね」

そんな単純なことなのかとカチュアは思う。普段は考えるよりも行動するタイプのカチュアだが、お爺様相手だとどうしても難しく考えすぎてしまう。難解な言い回しを好むお爺様の伝言に何か意味があるかと難しく考えすぎていた。もしかしたらお爺様は私を心配しているだけなのかもしれない。

「そう、ですね。ありがとうございます」

「何のお礼だね?」

「いえ、少し難しく考えすぎていたかもしれないと思っただけです」

「そうか。そういうことなら素直に礼を言われておこう」

ケリィは軽く笑みを浮かべて言うと、カチュアの頭を軽く撫でる。

「難しく考えるなとは言わない。君は魔法使いだ。考えることが仕事だともいえる。だが、同時に子どもでもある。素直に物事を考えることができるのは子どもの時だけだ。その力を無くさないようにすることも大切だ」

「はい、そうですね」

子どもだからできる素直な考え方。なるほど、確かにそうだろう。難しく考えることも大切だが、素直な考えができないのも問題だ。柔軟な考え方ができれば一番良いのだろう。

ケリィは暫くカチュアを撫でていたが、用事ができたと言って去って行った。ケリィと会えたことは自分にとって幸運だったかもしれないとカチュアは考えた。この旅行が終わったら、家に籠って魔法漬けの日々を送ることになる。そうなる前に考え方を変えることができたのだ。幸運と言わざるを負えないだろう。

ふと気が付くと、テレビのニュースは終わっていた。見ることができなかったのは残念だったが、仕方ない。まだ二週間ある。それまでに見る機会はあるだろうと、部屋の電気を消して布団にくるまった。




あれから一瞬間、カチュアはケリィと共に現実世界を見て回った。夢幻世界では味わえない料理の数々や、科学技術で造られた未知の機械の数々。遊園地という夢幻世界にはないタイプのテーマパークにも顔を出し、生態系の違いを知るために動物園や植物園なども見て回った。あまりに過密なスケジュールにさすがに疲労の色が出ていたのか、ケリィに今日一日休むようにと言われて、今はベッドに横になっている。

「楽しかったな」

昨日行った映画館を思い出しながらカチュアは呟いた。魔法使いの少年が活躍する冒険譚の映画で、現実世界では使い古された設定だったが、夢幻世界から来たカチュアからすれば想像でしかない魔法についてよくあれだけ設定が作れていると感心する作品だった。

最初は夢幻世界に行ったことがある人間が制作したのではないかとケリィに聞いたが、答えは否だったので驚いてしまった。現実世界は科学を選択した人間だけが居るのかと思ったが、魔法に憬れる人間も居ることをカチュアは知った。映画館を出た後にケリィに連れてこられた漫画図書館では魔法や超能力などの夢幻を題材にした漫画が読み切れないほど置かれていた。全てが同じ設定ではなく、魔法ひとつとっても別々の法則が存在していた。本物の魔法使いであるカチュアから見ても驚くほど緻密な設定もあった。

『なんで、科学があるのに魔法に憬れるんだろう』

思わずケリィの前で呟いてしまったが、ケリィの言葉に納得した。

『隣の芝生は青く感じるモノだ。自分にないモノを羨ましがるのは人間の心理だ。夢幻世界でも現実世界でもそれは変わらない。お前が現実世界に来たがっていた理由にも通ずるのではないか?』

 なるほどと思った。カチュアが夢幻世界に来たがっていた理由。資質に関係なく平等に生活できる環境が羨ましいと思ったのだ。隣の芝生は青いということなのだろう。

 自分にないモノを欲することが人間の心理。だからカチュアは嫉妬されてきたのだ。夢幻世界でも類まれなる素質に恵まれ、大魔法使いの孫である自分は確かに他の大多数の魔法使いから見れば恵まれており、自分が成り代わりたいと思えるような立場だろう。実際に自分は恵まれている。それにカチュアの家はそれなりに古くから続く伝統のある家系で家がそもそもお金持ちと言える貴族だ。

家督を継ぐのは男子という決まりのある古い仕来りを守る家なので、次期党首は四年前に生まれたカチュアの弟である。さすがに許嫁を決めてそこに嫁に行けと政略結婚させられることはないが、いつかは家を出て結婚しなくてはならないと考えてはいる。

 そんな家にたぐいまれなる素質を持って生まれたカチュアは妬みの対象として申し分ないだろう。魔法学校では魔法の成績や素質からクラス分けがされていたので、カチュアには劣るものの高い素質と力を持った見習い魔法使いと生活を共にしていたため、あまり妬みの対象にはされなかったが、下のクラスの生徒からクラス全体が妬まれていたのは言うまでもないだろう。直接聞いた話ではないが、いじめのようなことも起こったらしい。

 だからカチュアは科学によって素質に関係なく生活できる現実世界に来たいと思ったのだ。そのことをケリィに言ってみたらため息をつかれた。

『いいか、メイザース。どこでも人間の本質は一緒だ。夢幻世界だけが特別なわけではない。現実世界にも才能の差は存在する。夢幻世界ほど目に見えた差ではないがな。頭のよさ、運動神経の良さ、容姿。上げればきりがないがな。人間は平等に生まれないのは現実世界でも変わらないのだ』

頭脳、運動神経、容姿。たしかにそれは夢幻世界でも差がある。カチュア自身運動神経が良い方とはいえないし、容姿も……うん、まぁ、顔は悪くないかもしれないけど発育が少々残念ではある。下のクラスの子でも驚くほど発育の良い子や、運動神経だけで上のクラスの子に勝る子も居た。カチュアより素質が低くても頭の良さだけで上のクラスに入れた子も居る。その子たちを妬ましいと思う気持ちがカチュアに無かったかと聞かれれば否定できない。夢幻の力を第一に考える夢幻世界ではあるが、夢幻の力に関係ない嫉妬も存在した。

そう考えると夢幻の力がないだけ、そういった方面に嫉妬が行きやすいのかもしれない。もしかしたら現実世界も平等というわけではないのかもしれない。

『君が何を聞いたかは知らないが、現実世界は夢の国ではない。いや、むしろ夢幻世界よりよほどシビアな世界だ。全てが法則に従って動いており、細かくルールが定められている。大人になれば社会の歯車として働かなくてはならない。身分の差がなく、平等に働く機会が与えられるが、逆に働かなくては食べていけなくなるということだ。君たち魔法使いのように家で研究に明け暮れるだけの生活はまず送れないだろう』

夢は夢でしかないと痛感した言葉だった。

『まぁ、しかし、現実世界には現実世界で良いところが勿論ある。君が今まで見てきたような科学や遊戯などは夢幻世界より発展している。残り一週間。後半は現実世界の文化を見て回るとしよう』

そう言った時のケリィのバツの悪そうな顔にカチュアは思わず笑ってしまった。正直、現実世界に憬れていただけにケリィの言葉は辛かった。夢を見すぎていたのは確かに自分だが、長年憬れていただけに思わず落ち込んでしまっていたのだ。

しかし、夢の世界でないことがわかっても未知の世界であることには変わりはないとカチュアは考えた。恐らくもう二度と来られないだろう現実世界での経験をこれからの人生の糧にできるように学んで帰ろうと。じっくりは読めなかったが、漫画に出てくる魔法は創作とはいえ参考になるし、機械の仕組みを知れば魔法具作りに何かの役に立つかもしれない。そう思うと決してこの旅行は悪くないと思った。夢は壊れたが、けっしてマイナスにはしない。そんな決意をカチュアは持った。




カチュアは現在困っていた。ケリィとはぐれてしまったのだ。

『たまには違う街を見て回るのも良いだろう』

そんなケリィの言葉で電車に乗って別の駅に降りたのだが、人の波に流されてしまいはぐれてしまった。今はベンチに座って忙しなくうごめく人の波を見つめながらケリィを探してした。

「はぁ、手を繋いで歩いてればよかったのかな」

あくまでカチュアは迷子対策にそう呟いたが、全身黒ずくめの大男と小学生程度の少女が手を繋いで歩く。傍目から見れば誘拐現場に見えなくもないだろう。親子程度の年齢差があるわけではない。ケリィは二十八歳だと言っていた。そもそも外見から似ていないので危険である。

「まさか迷子になるなんて、まったくブラックモアさんは」

カチュアは迷子になったのは自分ではなくケリィだと考えている。それはあながち間違いではない。ケリィは案内役であるのと同時に護衛だ。そんな人物が護衛対象を見失言う。それは迷子でなくてなんなのか。カチュア自身にも責任はあるが、ケリィの過失の方が大きいと言える。そもそもケリィが言い出したことなのだから。

「君、こんな所で何してるの?」

暫くボーっと眺めていると、カチュアと同い年くらいの少年が傍に立っていた。

「え、えっと。ちょっと人を待ってるんだよ」

「人を? そっか、こんな所でぼんやりしてたから、てっきり迷子かと思っちゃったよ」

思わずムッとなってしまった。決してカチュアは迷子ではない。自分は迷子を捜す側の立場だと主張したかったが。傍目から見れば自分の方が迷子に見られることは否定しきれない。現実世界では護衛が居るなんてフィクションの世界の中かテレビの向こう側でしかないことなので、言っても信じてもらえないだろうし、案内役にしてはケリィの外見では信じて貰えないだろう。

ケリィが何故、黒ずくめの恰好をしているか聞いたことがあったが、彼が言うにはこの格好になってからあまり他人に見られなくなったからだと言っていた。それ以前は褐色の肌をした、見るからに外国人が町を案内する姿が珍しかったのか、よく注目を受けていたそうだしかし、実際に案内を受けているカチュアは気が付いていた。注目をされていないのではなく、目をそらされているのだと。黒ずくめの恰好をした人物は夢幻世界にも大勢居たが、現実世界ではめったに居ないのだと今まで回った場所の人々を見て気が付いている。ケリィのような黒ずくめの人間はだれも居なかった。何故、目をそらされるかまではわからなかったが、あきらかに警戒されている事だけはわかった。

そんなケリィを案内役として紹介するのもどうかと思う程度にカチュアは現実世界の常識を理解していた。

「う、うん、迷子なわけがないよ」

「そう? ならいいや。じゃぁボクは行くよ。あ、もしホントは迷子だったら駅員さんに案内してもらいなよ。じゃぁ、またね」

 そう言って少年は人の波の中へと入っていく。あんな所によく入っていけるものだ、とカチュアは思った。それにしても最後までカチュアのことを迷子扱いしていったことに苛立ちを隠せないでいた。たしかにカチュアは幼く見えるうえに外国人のような容姿をしている。実際には異世界人だ。そんな少女が一人でポツンと座っていたら迷子に見えるのは仕方ないとカチュアも理解している。それでも理解はしても納得できないのがカチュアの心情だった。

「それにしても不思議な雰囲気の男の子だったな」

あまり腹を立てても仕方がないと頭を切り替えると、出てきたのはそんな感想だった。青い髪に赤い眼という現実世界では珍しい。ひょっとすると夢幻世界でも珍しい容姿をしていた。夢幻世界では赤い眼は神の血をひく者の証と言われて神聖視されている。現実世界ではどうか知らないが、夢幻世界でそんな人物が出てきたら神の御子として祀り上げられていただろう。また、青い髪色も初めて目にした。空色の髪色なら見たことはあってもあそこまで鮮やかな青ではなかった。あんな容姿で普通に歩いている人が居るなら自分もわざわざ髪の毛を染める必要はなかったのではないだろうか。カチュアは思わず考えてしまう。

「ようやく見つけたぞ。ここに居たかメイザース。やれやれ、移動せずにいてくれて助かったぞ。」

 考え事をしていると、ようやく人の波から脱出したケリィが近づいてきた。

「遅いですよ。おかげで迷子扱いされちゃったじゃないですか」

悪びれることなく近づいてくるケリィに思わずそう返してしまう。

「なに? それはすまなかった。まさかはぐれることになると私も思わなかった。休日にこの駅を利用することがあまりなかったのでな。ここまで人が多いとは予想外だった」

 少し意外そうな顔をしながらケリィはそう謝った。意外なのはカチュアが恥ずかしそうに怒っていることにだ。ケリィから見てカチュアは感情表現が豊富な方だったが、怒っている姿を見たのはここ一週間で今日が初めてだった。それだけ迷子扱いされたのが悔しかったのかとケリィは考える。

カチュア自身は気が付いていないが、実はカチュアは若干ホームシックになっていた。現実世界に憬れてはいたものの、見知らぬ土地であることには変わりない。最初こそは初めて見るモノの数々にはしゃいでいたが、一週間たち、現実世界も夢幻世界も住む人間は変わらないことを知ったことで、落ち着きを取り戻し、故郷を恋しく感じていたのだ。初日に聞いたお爺様からの伝言のことで夢幻世界を心配に思う気持ちもある。そんな中を一応は保護者であるケリィと僅かとはいえ離れ離れになってしまい自制心が外れかけてしまっていたのだ。

「それで今日はどうするんですか?」

「あぁ、実はこの駅の中を案内する予定だったのだが、こうも人が多いとね」

実はカチュアを連れてきた駅はカチュアが来た現実世界の国の首都で最も大きい駅だった。この駅は複雑な構造になっているので初めてだと迷ってしまうことが多い。ケリィも初めて来たときは迷ってしまった記憶がある。何故ケリィはカチュアに首都の駅を見せたかったのか。それは首都の駅がこの国の様々な文化を知るのに最適だからだ。

首都の駅には観光客用の売り場が多数存在する。その中の一つが万国通りだ。ホームまで続く一つの通路にこの国の様々な土地から送られてくるお土産や駅弁がズラッと並んでいるコーナーだ。残り一週間では見て回ることなど、とうてい不可能だが、ここでなら文化について触れながら説明できると考え連れてきたのだ。




「これで現実世界のスケジュールは全て終了した。」

最期の日の夜。とうとうカチュアは現実世界に帰る時間となった。現在、カチュアはケリィと共に現実世界と夢幻世界を繋ぐ出入口、通称ゲートの前に立っている。

「現実世界を楽しむことも、知ることもできたのはブラックモアさんのおかげで。ありがとうございました」

カチュアは素直にお礼を言って頭を下げた。事実、彼のおかげで現実世界のことを知ることができ、この旅行が有意義なものになったのも彼のおかげだとも考えている。

「礼を言うのは構わないが、いささか気が早いな。君を自宅まで送り届けるまでが私の仕事だ。もう少し一緒に行動することになる」

家に帰るまでが遠足だ。カチュアはお爺様のそんな言葉を思い出していた。何事も自宅に着くまで終わりではないという意味の現実世界のことわざなのだとお爺様は言っていた。確かに、その通りかもしれない。現実世界をもう出るということで気を抜いてしまっていた。ケリィの言うとおり、カチュアを帰宅させるまでがケリィの仕事である。それまでは行動を共にするのに今お礼を言ってしまっては残りの道中気まずくなってしまう。

「そ、そうですね。うっかりしていました」

「ふむ、あまり気を抜いてくれるな。むしろここからが気を引き締めるところだろう」

現実世界と夢幻世界を行き来する唯一の通り道、ゲート。これは安全な道ではない。ユグドラシルの枝の上を行き来するための特殊な通り道だが、ユグドラシルは特殊な空間に存在しているため、危険な通り道と化しているのだ。

ユグドラシルは世界の狭間と呼ばれる空間に存在していると予想されている。あくまで予想としてあるのは誰もユグドラシルの全体像を見たことがないからだ。たまたま夢幻世界と現実世界のある枝だけが世界の狭間にあるだけ、という説もある。世界の狭間はねじれ曲がった空間である。世界と世界の狭間であり、無の存在する世界。ずっといると捻じれ曲がっていき、やがて無と化してしまう。そんな危険な空間なのだ。ユグドラシルだからこそ、存在が許され、ユグドラシルの加護があるから夢幻世界も現実世界も無にならずに存在していられるのだ。

そんな夢の空間を移動するためのゲートだが、しょせんは人間の作った物である。世界の狭間の影響を多少は防いでくれるが、全てを防ぎきることはできず、徐々に曲がっていき、どこか別の世界へと飛ばされてしまう可能性もある。これこそ、夢幻世界から現実世界へ軽々しく行くことはできない原因の一つである。

だからこそ、ケリィは気を引き締めろと言ったのだ。ここからは夢幻世界まで全速力で走らなければならないからだ。

「大丈夫です。行きましょう、ブラックモアさん」

「そうか。ならば行くぞ」

ケリィはカチュアに手を差出し、カチュアは迷うことなくその手を取った。お互いの手が命綱であり、離れ離れになって飛ばされることを防ぐためだ。

 そうして二人はゆっくりとゲートへと入っていく。夢幻世界へと帰るために。


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