⑧
唇に右手人差し指を当て考えていると、青年がルナの前に立ち、右手をモルガーナへと向けて翳す。
「さて……少しお灸を据えましょうか」
目前のモルガーナとカストルの喧嘩が、今にも始まりそうだ。
先に仕掛けようとしたのはモルガーナだった。その時。
『水よ。我が手に来たれ。我は誰ぞ。彼の者よりも水に近い者ぞ。寄りて依りて我が手に満ちよ!』
青年が一気に呪文を唱えた。
すると、それまでモルガーナの周りや右腕に纏まり付いていた水が一瞬にして全て消えた。代わりに青年の右手から水が溢れ出した。
「えっ!?」
突然水を失ったモルガーナは勿論、彼女と対峙していたカストルも。ただ見ている事しかしなかったルナも。青年以外の全員が驚いた。
その隙を突いて。
『ウォーター・バースト!』
水が溢れ零れ落ちている右手をカストルの方へと向け、一気に放出する。
「え……? う、わぁぁ!?」
ルナ以外の者が居る事に一切気付いていなかったカストルは、思いも寄らぬ方向からの水撃に対応出来ず、十数メートル程吹っ飛ばされた。
「カストル!?」
吹っ飛ばされたカストルを心配して、ルナは慌てて傍らへと駆け寄る。
「大丈夫?」
カストルの顔を覗き込みながら声を掛ける。
「あ、ああ……けど今のは?」
水を被ったせいですっかり落ちてしまった前髪を掻き上げ、手に付いた水滴を振り落とし、カストルはゆっくりと立ち上がってモルガーナを見やる。彼女は愕然としていた。
モルガーナ自身、何が起きたのか判らない。と言った顔をしている。
当然だろう。彼女の意思とは全く関係の無い所で力が働いたのだから。気付く訳が無い。
「水が……」
自分の両手を見つめる。先程まで其処に確かに水は在ったのに。
「モリー! どうしたの!?」
蒼褪めた顔で立ち尽くしているモルガーナを見て、カストルの傍らから離れ、急いで駆け寄るルナ。
「ルナ! 水が……私の水が!!」
動揺している。普段はルナの知っている者の中で、誰よりも冷静で落ち着いているモルガーナが。言葉を明確に伝えられない。ルナの両肩を掴んで激しく揺さぶる。
「お、落ち着いて、モリー。ウンディーネは無事なの?」
モルガーナの両手を自分の肩から離し、そっと握る。紫金の瞳を見つめ、確認を促す。
ルナの言葉に、モルガーナはハッとした。
深呼吸をして、右手を左胸に当て、もう一度深呼吸する。
「……大丈夫、ここに居る……でも眠ってる……何故!? さっきまで元気だったのに!?」
理解出来ない事ばかりで、モルガーナは少々パニックになっている様だ。
「私が強制的に水の力を奪ったから、ショックでスリープ状態になってしまった様ですね」
スーッと心が冷めていく感覚を、モルガーナは感じた。聞き覚えの無い声に対し、モルガーナは幾らか冷静さを取り戻した。
ゆっくりと振り向き、青年の顔を見やる。
「あなた……確かギルドの人よね?」
「見知って頂けて光栄です、オクトス・セイレーン」
オクトス・セイレーン。青年がそう呼んだ瞬間、モルガーナは険しい顔付きになった。
「……それはあたしの名ではないわ。祖母のよ」
「でも、いずれ君が継ぐのでしょう?」
「立場を継いだとしても、その名を継ぐ気も権利も無いわ。それより、あなた誰よ? あたしの水をどうしたの!?」
モルガーナは冷静に話をしていたはずだった。しかし、感情がついていかず、気付けば語気を荒らげていた。
「モリーが荒れてる……珍しいな」
そっと横に来たカストルが、ルナに耳打ちする。
うん……と静かに頷くルナ。
モルガーナの態度に、ルナはただ、心配するしか出来ない。
「私はディティ。ディティ・A=ドリグヴェシャ。ここではD・Dと呼ばれています」
「ドリグヴェシャ!? 水龍族が何故この国に居るのよ!?」
ディティの自己紹介に、驚愕を露わにするモルガーナ。
水龍族とは、澄んだ湖に生息すると言われている幻獣族の一種である。
セルバは森林国。水龍族が生息出来る様な湖は無い。故にモルガーナには不思議でならないのだ。
「珍しくも無いと思いますけどね。どんな種族がこの国に居たとしても。貴女のお祖母様もそうである様に。まぁ……私がここに居るのは企業秘密ってコトで。それよりも、私が何者か判ったのなら、何故貴女の水を支配出来たのか……もう、お判りでしょう?」