③
ブラッグドッグ(黒妖犬)とは所謂フェアリードッグ(妖精犬)の一種で、文字通り真っ黒な犬の姿をした妖精である。その大きさは仔牛程もあり、毛むくじゃらで、一対の巨大な目が真っ赤に燃えている様に見えるのが特徴だ。
故にルナが異議を唱えるのは至極当然だった。
「――昔、おれ様とドゥーグはある魔女に捕まった事がある……そん時にちょっとあってな」
余程口にしたくない事なのだろう。モーザはこの時初めてルナから視線を外し、口籠もる。
ルナとしては正直、黒妖犬の事情はどうでも良かった。心底気になっているのはそこではない。
「そのブラックドッグが何故こんな所で私を狙ったの!?」
瞳は未だモーザを睨んでいた。すると、モーザはキョトンとした目でルナを見返した。
「そんなの決まってらぁ。敵だと思ったからだ! そしておれ様達はこの森を縄張りにしている山賊だからだ!」
堂々と、躊躇う事無く言い切った。
ルナとモーザの間に静けさが舞い降りてきた。聞こえて来るのは、少し離れた所から鳥の囀りと羽ばたきの音だけ。
完全に言葉を失ったルナはただただ呆然と、胸を張って偉そうな態度を取っているモーザを見上げていた。
(え? 山……賊? ここ、森、だよね……山、無いのに、山賊?)
ルナが気になったのはそこだった。
ザクツには『山』と呼べる程高い所は無い。精々、小高い丘が在る程度の森林国だ。そんな国で、何を以ってして『山賊』と名乗っているのだろうか。
そんな事を考えて黙り込んでいるルナを見たモーザの顔に、みるみる笑みが満ちた。
「どうした? おれ様の恐ろしさに声を失ったか? はーはっはっは」
軽快に笑うモーザの後ろに突如人が現れて、彼の後頭部を平手で叩いた。
「そんな訳無いだろ」
ペシッ、と小気味の良い音が響いた。
「イテッ!?」
モーザが振り返ると、見目麗しい隻眼の青年が立っていた。それは思わずルナが見惚れてしまう程の美青年だった。
(わ……綺麗な男の人)
背は高めで、細過ぎず太過ぎない理想的体型。紺青色のノースリーブの服でその身を包み、程好く引き締まった二の腕は露わだった。髪の毛は白磁色で、左サイド一部分だけがサラリと長い。左目は眼帯で覆われていて見えないが、右目は切れ長で、髪の毛と同じ色をしている。
右肩には一つ目の翼竜が乗っていた。
「ゲッ!? スリ……ふがっ!?」
何か言い掛けたモーザの口を、青年は否応無しに左手で塞いだ。
「全く……あれ程人間は襲うなって言っておいただろう」
「んんんーん、んー」
青年の言葉にモーザは反論しようとしたが、青年の左手がしっかりと口を塞いでいた為、息が漏れるだけだった。
「ん? 何だよ」
青年が左手の力を少し緩めると、その隙をつき、青年の手を振り払う。モーザは青年から素早く離れ、力一杯喚いた。
「おれ様はヘンな魔力を感じた! だからそれに向かって矢を射っただけだッ」
ドゥーグもモーザの動きに合わせ、今居た場所を離れてモーザの傍らに立ち、警戒する。
「変な魔力……?」
怪訝そうに聞き返すと、モーザは無言で数回頷いて見せた。
そこで青年は初めてルナを見た。
白磁色の瞳と視線が合い、ドキッとするルナ。
「大丈夫か?」
「……あまり」
座り込んでいるルナに、青年が優しく言葉を掛けて来た。優しい声色に、少しホッとしたルナは痛む左足首を押さえ、素直に答える。その様子とルナの容貌をじっくりと見やる青年。
「ああ、怪我したんだな」
ルナの前にしゃがみ込むと、ルナが押さえている左足首に右手を翳す。
『ヒール』
静かに呟くと、青年の手から癒しの力が注がれる。途端に痛みが引いていく。
「これで良いだろう」
治療を終え、青年は手を離した。
ルナは左足を摩ってみる。確かに、もう痛くない。動かしたり、力を入れてみても問題無い。
「あ、ありが……」
「つか、その耳、ハーフエルフだな? モーザの攻撃かわすなり、自分で治療するなり出来ねぇでどうすんだ? あ? チンクシャ」