第五話【男の人】
私のモデル生活は、一応順調。
裸になるのは、やっぱり恥ずかしいけど、何回か熟しているうちに前の様に震えてしまう程の緊張はしなくなっていた。
今日も景都さんのマンションに行く予定なんだけど、学校が予想外に遅くなって、もう道は暗くなっていた。
「景都さん、怒ってるかな……」
こんなことで怒る様な人じゃないけど。
何となく言ってみる。
景都さんは、優し過ぎるくらいだ。
いつも、ニコニコ可愛い笑顔で。
怒るって言葉が、目茶苦茶似合わない。
「急がなくちゃ」
十字路に差し掛かり、右へ曲がると後は一直線。
足早に歩いていると、ふと背後に人の気配を感じた。
自分以外の足音も、耳に届く。
「……?」
一定の距離を保って、その足音はついてくる。
私が歩を速めると、足音も速くなって、元に戻すと、同様に足音もゆっくりになる。
つけられてる……間違いない。
暗い夜道。
人は、誰もいない。
街灯が、私を照らすだけ。
――怖い……!
私は走り出した。
後ろから、慌てた様に私を追い掛ける足音。
まだ、ついてくる。
景都さんのマンションはもう少し。
走って、逃げて、マンションに着けば……。
助けて……景都さん……!
マンションが、見えた。
私は階段を駆け上がり、景都さんの部屋の前まで走る。
「はぁ……ここまで来れば……」
ドアの前で立ち止まり、渡り廊下の先、先程駆けて来た方へ目を向けると、黒い人影が見えた。
嘘……まだついて来てたの!?
焦って、チャイムを鳴らす。
でも、中々景都さんは出て来ない。
ゆっくりと確実に、黒い影は近付いて来ていた。
「……っ!」
手が痛くなる程必死にドアを叩く。
何度も、何度も。
「景都さん! 景都さん!!」
いないの……!?
影はもう、輪郭を確認出来るくらい、近くまで来ていた。
まだ若いであろう、どこか切羽詰まった男の顔。
スウっと、腕が伸びてくる。
……っ景都さん……!!
その時、ドアノブが回され、ガチャッと扉が開いた。
「……あれ? エナちゃん」
髪から雫を滴らせ、上半身に何も身につけていない景都さんがドアを開けた。
突然現れた景都さんを見て、男は慌てて逃げて行く。
「……誰?」
その男を見て、ポツリと呟いた景都さんの声は、いつもより幾分低く。
「あ……何か、追い掛けられて……」
「え……?」
一瞬、景都さんが眉を顰める。
その時だけ、景都さんを取り巻く優しい温かさは弾け飛び、ゾクッとする程の何かを感じた。
「何も……されなかった? 怪我は、ない?」
直ぐに私に目を向けた景都さんは、もう、いつもの景都さんで。
瞬く間に見せたあの顔は、見間違いだろうか。
「何ともないです。ありがとうございます」
本当は、まだ怖くて。
微かに体が震えてた。
でも、精一杯の笑顔を見せて、強がってみせた。
けど、私が無理してるの、景都さんは気付いたみたいで。
私を労る様に、部屋へと通してくれた。
リビングに向かいソファーに腰掛けていると、二つのマグカップを持った景都さんが私の隣に座り、
「はい」
と手渡されたそれは、温かいココア。
それを受け取り、温もりにホッとする。
ううん、違う。
私がホッとしたのは、景都さんの優しさ。
彼の温かさに、心が触れたから。
もう、怖くなかった。
「ごめんね、出るのが遅くなって……。シャワー浴びててさ……」
「いえ、そんな……」
……シャワー。
そう言えば景都さん、上半身裸……。
そのことに気付くと、顔が熱くなって。
パッと景都さんから視線を外す。
意外にも靱かな筋肉のついた綺麗な体。
今の景都さんは、どこからどう見ても男の人で。
ドキドキが、止まらない。
自分を追い込むだけと分かっているのに……。
景都さんのこと、もっともっと、好きになってしまっていた。