(前)
++前後編にて完結済み。近日小話公開予定++
天命と言う他なかった。
その年の疫病は猛威を振るい、老いも若きも、卑しきも尊きも、皆平等にその命を刈った。
若き皇帝、玄曜も例外ではなく、齢二十四にしてその生涯を閉じた。
まだ幼き帝の子に代わって皇弟が摂政の座に就き、夭折した帝の為に盛大な葬儀を行った。
妃や忠臣、その他総勢百余が供犠にされ、三日三晩の祈祷が続いた。
その祈りが天に届いたのか、流行病は漸く終焉を見たのだった。
***
「其方との婚約は破棄する」
御榻と呼ばれる寝椅子に身を預けた景明が言った。
さして気もない様子で、揺れる燭台の炎を眺めている。
「婚約、破棄でございますか」
急に呼び立てられ、床に額づいていた姚黄は面を上げて目を丸くした。
玄曜帝亡きあと幼帝となった景明の即位と同時に、妃として召し上げられたのが姚黄だ。
まもなく十五歳となる景明の親政開始とともに、大々的な披露目の宴を催す手筈でもある。
親迎こそ未だだが、実質皇后とも目されている姚黄に向かって、
今更――離縁ですらなく――婚約破棄とは。
「何か、不調法でもいたしましたでしょうか」
礼を終えた姚黄は、促されるまま御榻に並んで腰掛ける。
景明は焔を向いたまま、つまらなそうに答えた。
「……いや、別に。なんとなく」
こちらを見ようともせぬその横顔を、姚黄はそっと窺った。
姚黄が来るまで寛いでいたのか、景明は幞頭を外している。黒絹の髪は艷やかに流れ、火に照らされたかんばせは白磁のようだ。
紫の圓領袍をゆったりと纏い、しどけなく御榻にもたれる姿は、大国の皇帝でありながら、いっそ天女の如くすらある。
「では、お手打ちくださいませ」
姚黄が返すと、そこで初めて景明は振り向いた。
「手打ちなど……。馬鹿を申すな」
「いいえ。十年もお傍に侍りながら、妃とすら呼ばれず後宮を追われたとなれば、父の不興を買い、命も危うくございましょう。ならば今ここで、帝にお手打ちいただきとうございます」
「しかし、其方はまだ十四だ。まっさらであった方が、よき縁組も参るであろう」
じきに十五になる帝は、また姚黄から顔を背けて言った。柳のようにしなやかな指を遊ばせながら。
「恐れながら、陛下」
圓領袍の袖口が湿っている。気付いた姚黄が、そっと手拭いで押さえるように拭う。
「時に人はどうあるかよりも、どう見えるかを求めるものにございます。賭けてもよろしゅうございますが、良き縁組など参りません」
景明も振り払うでもなく、されるがままに任せている。とんとん、と湿りを吸い取りながら、姚黄は囁いた。
「どうしてもと仰るなら、代わりの殿方をご用意くださいませ。お話はそれからですわ」
暫しの後、髭も生えそろわぬ細い頤が動いた。
「……では、叔父上はどうだ。摂政の妃であれば、其方の来し方も無駄にはなるまい」
「恐れながら、陛下。今をときめく摂政さまにお下がりの妃を充てがうのは、さすがに」
姚黄が少し呆れたように窘める。
「む、そうか。ではその息子の小虎はどうか」
「まだ十にもならぬではないですか。わたくし、年下はちょっと」
む、と紅い唇が曲がるのを見て、少し可笑しくなった姚黄は謡うような声で願った。
「陛下。わたくしと婚約破棄したければ、もっとちゃんと探してくださいませ」
斯くして、姚黄は婚約破棄のため、婚約者に縁談を世話される日々が始まったのだ。
***
「どうだ、美しい男であろう」
景明は、謁見の間を辞した官吏の背を指して言った。
「はい、鳳仙花の君でございますね。背筋もよく、衣紋の乱れもなく、まるで絵巻から抜け出したよう。……陛下には遠く及びませぬが」
傍に侍っていた姚黄が男の姿を誉めそやすと、景明は少し眉根を寄せつつも縁談を進めようとする。
「そのような雅な二つ名があるのか。歳も三十路を越えてはおらず、出世も嘱望されておる。……どうか、あの男では」
「ええ。鳳仙花の如く、美しくも彼方此方に種をお飛ばしになると噂の殿方ですわ。先程も陛下のお顔を殊のほか熱心に見つめておられましたが……もしや」
景明は透き通るような己が頬に手をあて、ぶるりと身を震わせた。
「……やめておこう」
「ええ。それがよろしいかと」
姚黄は、花のほころぶように微笑んだ。
***
次の候補は文官だった。
口元を真横に結んだ、愛想のない男だ。
男はまだ若いが、蘇芳の長袍は張りがなく、中身よりも少しくたびれて見える。
「どうだ。容色は先の者には劣るが、学問一筋で浮いた噂もないと聞く」
景明の薦めに、姚黄は控えめに頷いた。
「ええ。若くして天才の呼び声高く、一度読んだ書物は全て諳んじることができるとか」
「ああ。書の好きな其方となら、話も合うであろう」
景明は身を乗り出したが、姚黄はうっすらと笑みながら首を横に振った。
「ただ……。話によれば、向学心が過ぎて、少なくない碌をすべて書物に注ぎ込み、未だに直舎住まいとか」
先ほどの長袍も品は悪くなかったが、身なりに頓着せぬのか、裾がわずかにほつれていた。
「贅沢がしたいとは申しませぬが……。家も持てぬほど貧しい暮らしというのは、あまり」
景明の白絹のような唇がむ、と歪み、
姚黄の纏う柔らかな絹の披帛が、小さな肩でさらりと揺れた。




