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寿桂尼物語 第2章 散りゆく命、生まれる命 第六話 和議の白雪

本作は、石田源志による戦国歴史小説

『寿桂尼物語 ― 今川を支えた都の姫君』の連載版です。


一 雪の朝


 駿府の町に初雪が降った。

 桂子は御所の窓から、その白い景色を見つめていた。瓦の上に、庭石に、薄く積もる雪。円、竜王丸、竹若丸は雪を見て目を輝かせている。

 その静けさの中に、遠く甲斐からの使者を告げる太鼓の音が響いた。

 武田信虎との和議――。長く続いた血の河が、ようやく凍りはじめようとしていた。

 桂子は硯の前に座り、筆を取った。氏親の命を受け、停戦文の草案に目を通す。和議の条文は冷たく、正確で、まるで雪そのもののようだった。

 深雪が火鉢に炭をくべ、志乃は隣で筆を動かしていた。写し取る文の墨が、静かに紙を染めていく。


二 沈黙の筆


 外では雪が降り続けている。その音もなく降り積もる雪が、駿府を静寂で包んでいた。

 桂子は文書を読みながら、思った。この一枚の紙が、どれほどの命を救うのだろう。甲斐の戦で失われた命、駿府で待つ妻たちの涙。その全てが、この文書に込められている。

「兵部少輔様も、こうして和議を結ぼうとされたのですね」

 深雪が小さく呟いた。

 桂子は頷いた。

「はい……彼の志は、ここに生きています」

 志乃が火鉢を整えながら、静かに言った。

「雪は全てを白く染めます。悲しみも、怒りも」

 桂子はその言葉に頷き、再び筆を取った。



 昼が近づき、雪は強くなった。

 桂子は文書を整理し、深雪は写しを続けている。志乃は茶を淹れ、三人の前に置いた。湯気が立ち上り、部屋に香りが広がる。

「雪は好きか」

 桂子が問うた。

 深雪は筆を止めずに答えた。

「嫌いではありません。誰の足跡も、同じ白に消してくれるから」

 志乃がその言葉に微笑んだ。

「ならば、亡き人の名も、雪は包んでくれましょう」

 その一言に、部屋の空気がわずかに揺れた。深雪は静かに筆を進め、桂子は何も言わず、硯の水を足した。火鉢の炭が小さく爆ぜた音が、三人の沈黙を縫う。

 桂子と深雪は再び筆を取り、文書を整理し続けた。志乃は火鉢の世話をしながら、静かに二人を見守っていた。その静かな作業が、まるで祈りのようだった。


四 白の和


 昼過ぎ、和議の使者が到着した。

 甲斐より来た武田方の老臣。桂子は奥に控え、氏親の背後で文書を見届けた。

 そのやり取りは、剣よりも鋭く、慎重であった。一言一言が重く、間違えば和議は破綻する。桂子は息を呑んで見守った。

 氏親は最後に筆を取り、朱を入れた。

 ――両国、和す。

 その瞬間、外では雪が強くなった。白い粒が庭を覆い、竹をしならせる。桂子はその音を聞きながら、胸の奥で呟いた。

「戦は、遠く離れても、妻たちの腹を痛める……」

 だが、今日、その痛みが少しだけ和らいだ。甲斐との和議が成った。これで、甲斐の戦で失われた命も、無駄ではなかったのだと、桂子は思った。


五 見送り


 夕刻、和議の使者が駿府を発った。

 桂子は門前に立ち、白雪の中でその背を見送った。志乃と深雪も傍らに立っている。

 遠くの道に消えてゆく人影。その後ろ姿に、兵部少輔の面影が重なった。

 雪が頬に落ち、冷たさが心の奥まで届いた。桂子はそっと口を開いた。

「言葉で戦を止めることができるなら――あの人の命も、無駄ではなかったのですね」

 志乃は背後で深く頭を下げた。

「はい……」

 深雪は袖で涙をぬぐった。

 白い庭に、女三人の影が映る。灯明がゆらぎ、雪がそれを包み、やがて夜が訪れた。


六 白に沈む夜


 その夜、駿府はひときわ静かだった。

 遠江では、まだ戦の余火がくすぶっているという。だが、この夜だけは、雪がすべてを覆っていた。

 桂子は私室に戻り、志乃と深雪と共に座った。火鉢の炭が赤く光り、部屋を温めている。深雪は仕上げた文書を前に座し、志乃は茶を淹れている。

 桂子が筆を置き、志乃が灯を整え、深雪は静かに巻紙を閉じた。

 外では雪が絶え間なく降り続く。その白の静けさが、三人の胸の奥をも包んでいた。

「この雪が止む頃、遠江の戦も終わるでしょうか」

 志乃が呟いた。

 桂子は頷いた。

「ええ……氏親様が、必ず終わらせてくださいます」

 三人は火鉢を囲み、静かに語り合った。夫のこと、子供のこと、そして未来のこと。その会話は途切れ途切れで、だが心地よかった。



 夜が更け、志乃が先に部屋を出た。

 桂子と深雪は、二人きりで火鉢を囲んでいた。

「深雪、あなたは強いですね」

 桂子が言うと、深雪は首を振った。

「いいえ、強くなどありません。ただ、筆を動かしているだけです」

「それも、強さです」

 桂子の言葉に、深雪は微笑んだ。

「ならば、私は文で強くありたいと思います」

 桂子は深雪の手を握った。

「あなたの文を、私の言葉で支えます」

 深雪は涙を流し、桂子の手を握り返した。

 二人は抱き合い、しばらくそのままでいた。外では雪が降り続けている。その白い世界が、二人を優しく包んでいた。



 翌朝、雪は止んでいた。

 桂子は庭に出て、真っ白な景色を見つめた。足跡一つない雪の庭が、まるで新しい世界のようだった。

 円、竜王丸、竹若丸が駆け出し、雪で遊び始めた。その笑い声が、静かな朝に響く。志乃が篠丸を連れて現れ、深雪も縁側に座った。

 氏親が庭に出てきた。雪の中で遊ぶ子供たちを見て、微笑んでいる。桂子が隣に立つと、氏親は手を伸ばした。

「和議が成って、よかった」

「はい」

「だが、遠江の戦はまだ続く」

 桂子は頷いた。

「分かっています。でも、一つずつ終わらせていけば、いつか全ての戦が終わります」

 氏親は桂子を抱き寄せた。雪の庭に、二人の影が寄り添っていた。



 その夜、桂子は筆を取った。震える手で、紙に記す。

 ――声なき祈りは、雪よりも深く。

 ――白に沈む夜に、新しき春の兆し。

 その一文は、甲斐との和議への祝福であり、同時に遠江の戦への祈りでもあった。

 桂子は筆を置き、窓の外を見た。雪の庭が月明かりに照らされ、白く光っている。

 駿府の夜、白く凍てつく中に、新しい春の兆しが、まだ見ぬ形で息づいていた。

 戦は続く。だが、和議も結ばれる。その両方を見つめながら、桂子は生きていく。

 ――そして、次の春を待つ。


第七話へ続く

本作は、石田源志(DaidaraHand)による戦国歴史小説

『寿桂尼物語 ― 今川を支えた都の姫君』の連載版です。


この物語は、公家出身の女性・寿桂尼の視点から、

今川氏親・義元の時代と「地方の都・駿府」を描いています。


本文の連載は note版 にて公開しています。

設定資料・人物解説・シリーズ全体の情報は、

「農福学物語 公式サイト(BASE)」にまとめています。


本作はAIとの共創(構成・整理・推敲補助)を取り入れつつ、最終的な表現と判断は著者が行っています。


書籍版(Kindle)では、構成と加筆を行った決定稿をお読みいただけます。

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