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劣勢の戦場で敵将を討ち取った俺、気づけば公の右腕にされた件  作者: 塩野さち


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第96話 レグナリア元王の最後

【レグナリア元王視点】


『アヴァロン帝国暦2年 8月 旧レグナリア王国領・領主の館 酷暑』


 今年の夏は、異常なほどの猛暑であった。

 容赦なく照りつける太陽は、大地から水分を奪い、元気な若者たちの体力さえも容赦なく削いでいく。ましてや、長年病の床に伏せりがちであった私の体には、この耐え難い熱気を越えるだけの生命力は、もう残されていなかった。


(……私の命も、この夏と共に終わるのだろうな)


 薄暗く涼しい寝室のベッドに横たわりながら、私は自身の浅くなった呼吸を静かに感じ取っていた。

 死に対する恐怖は不思議となかった。あるのは、ひとつの長い役割を終えようとしている、穏やかな安堵感だけである。


「……王よ。本日の分の、口述筆記の清書が上がりました」


 枕元で、長年私に仕えてくれている白髪の老臣が、涙を堪えた声で分厚い羊皮紙の束を差し出した。


「ありがとう。……ご苦労だったね」


 私は震える手を伸ばし、その束の表面を愛おしそうに撫でた。

 ベッドの周囲には、うず高く積まれた膨大な書物と資料の山がある。これらはすべて、私がこの余生を費やして編纂し続けた「病と薬」に関する医学書である。


 私は武力に秀でた王ではなかった。剣を振るうことも、馬を駆って戦場を駆け巡ることもできなかった。

 だが、病という「見えざる敵」の恐ろしさと、それに抗うための知識だけは、誰よりも持っていたつもりだ。

 どのような薬草が熱を下げるのか。疫病が流行った際、どのように街を清潔に保ち、隔離を行うべきか。私が生きた証として書き記したこの膨大な知識は、きっと百年、二百年後の未来で、未知の病魔に苦しむ人々を救う盾となるはずだ。


「……外の様子は、どうだい?」


 私が微かな声で尋ねると、老臣は窓の隙間から外を覗き込み、優しく微笑んだ。


「はい。市場は今日も活気に満ちております。子供たちが噴水で水遊びをして、笑い声がここまで聞こえてきますよ。……アヴァロンの統治下に入ってからも、このレグナリアの美しい街並みは、何一つ変わっておりません」


「そうか……。それは、よかった」


 私は安堵の吐息を漏らし、ゆっくりと目を閉じた。


 あの日。

「ヴァルンゼン公」と、その恐るべき右腕グレン。私は、ヴァルゼン公を選帝侯会議によって新たな統治者とすることを決断した。


 他国の王や一部の血気盛んな貴族たちは、私のことを「戦わずして国を売った臆病者」と嘲笑した。武人の誇りを持たぬ、腑抜けの王だと。

 だが、誇りなどという見栄で、どうして愛する民の命を散らすことができようか。


 もしあの時、私が徹底抗戦を選んでいれば、美しいレグナリアの街は業火に焼かれ、灰燼に帰していただろう。若者たちは泥と血にまみれて死に、女子供は路頭に迷い、今日窓の外から聞こえてくるような平和な笑い声は、永遠に失われていたはずだ。


 私は、国という名前は失った。

 だが、愛する民の命と、このレグナリアの土地を、戦火から完全に守り抜いたのだ。


 為政者として、これ以上の名誉があるだろうか。

 王としての私の戦いは、あの選帝侯の投票をした日に、完全な勝利をもって終わっていたのだ。


(ああ……。本当に、良き人生であった)


 耳を澄ませば、遠くから子供たちの無邪気な笑い声が聞こえる。

 ベッドの傍らには、未来の命を救うための膨大な書物が残されている。


「悔いはない」


 掠れた、しかし確かな満足に満ちた声でそう呟くと、私は静かに、最後の深い眠りへと目を閉じた。


 アヴァロン帝国暦二年、夏。

 武力ではなく「投票」という英断によって国を救ったレグナリア元王は、その激動の生涯を、誰よりも穏やかに終えたのであった。


「面白かったら、下部の☆☆☆☆☆を★★★★★にしてください!出版への大きな力になります!」

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