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劣勢の戦場で敵将を討ち取った俺、気づけば公の右腕にされた件  作者: 塩野さち


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第94話 北の都ハーグ

【若き商人レオ視点】


『アヴァロン帝国暦2年 6月下旬 北方の都市ハーグ 曇り』


 帝都フェルグラントを出発し、涼しい北風の吹く街道を進むこと数日。

 道中の景色が荒涼としたものに変わっていくにつれ、私の心には「野蛮な未開の部族の集落が現れるのではないか」という不安が募っていた。


 しかし、どんよりとした鉛色の雲の向こうに、その街の輪郭が姿を現した瞬間、私は思わず息を呑んだ。


「……信じられない。これが、国交すらない北方の都市だというのか?」


「へへっ、驚いたかいレオ殿。商人の間では密かに噂になってたが、俺も生で見るのは初めてでさぁ」


 御者台のバルザフが、口笛を吹きながら目を丸くしている。

 目の前に広がっていたのは、想像を絶するほど堅牢で美しい『石造りの都市』であった。


 そびえる防壁。舗装された石畳の市街地。

 食事時なのか、無数に立ち並ぶ家々の煙突からは、よく乾燥された質の良い薪が燃える白い煙が細く立ち上り、街全体を穏やかな生活の匂いで包み込んでいる。


 初夏とはいえ、北方の風は少しばかりひんやりとしている。だが、行き交う人々は決して重苦しい厚着などしておらず、上質な麻や薄手で目の詰まったウールをさらりと羽織っていた。その身なりや血色の良さからは、貧しさなど微塵も感じられない。

 市場には北方特有の山の幸、そして何より豊かな穀物が山のように積まれ、活気に満ち溢れていた。


(西の商業都市国家連合フィオラヴァンテとは違う、大地に根を張ったような重厚な豊かさだ……)


 これほど高度な自治と経済力を持つ都市が、帝国のすぐ北に存在していたとは。

 私は自身の無知を恥じると共に、これから始まる交渉相手がただ者ではないことを悟った。


◇◆◇


 我々は都市の衛兵に身分を明かし、街の中心部にある壮麗な政庁舎へと案内された。

 通された執務室は、分厚い石壁のおかげで外の涼しい風が遮断され、心地よい室温に保たれている。


「遠路はるばる、よくぞ参られた。アヴァロン帝国の使者殿」


 重厚なマホガニーのデスク越しに我々を出迎えたのは、ハーグの自治を束ねる指導者、ヴァルデマール将軍であった。

 白髪交じりの立派な髭を蓄えた初老の男だが、その眼光は冬の海のように冷徹で、知性に満ちている。そして彼の傍らには、帳簿を抱えた鋭い目つきの若き女性補佐官、エルザが控えていた。


「お初にお目にかかります、ヴァルデマール将軍。私はアヴァロン皇帝カールの使者、レオと申します。こちらは商人のバルザフ。本日は、我が帝国とハーグとの国交樹立、並びに大規模な取引のご提案に参りました」


 私は緊張を押し隠しながら深く一礼し、皇帝の印璽が押された親書をエルザへと渡した。


 ヴァルデマール将軍は親書にサッと目を通すと、微かに口角を上げた。


「破竹の勢いで東方を平らげた『戦帝』カール。その右腕たるグレン公からの親書となれば、無下にはできんな。……して、西のフィオラヴァンテから『小麦の兵糧攻め』を受けている帝国が、我がハーグに何を求めるのだ?」


(……! すでに我々の窮状を把握しているのか!)


 北方にありながら、その情報網の早さに私は背筋が粟立つ思いだった。

 だが、ここで怯むわけにはいかない。


「ご明察の通りです。我々は、ハーグが誇る豊かな『ライ麦』を買い付けに参りました。金に糸目はつけません。帝国の軍需を満たすだけの莫大な量を要求します」


「ライ麦、とな」


 ヴァルデマール卿は顎髭を撫で、隣のエルザに視線を向けた。

 エルザは手元の帳簿をペラリと捲り、淡々と口を開く。


「現在、ハーグの巨大な穀物庫には、過去数年の豊作によって備蓄されたライ麦が溢れかえっています。西の小賢しい商人どもは『貧者の麦』と侮って我々の市場には手を出していません。……帝国が望む量を供給することは、十分に可能です」


「聞いた通りだ、使者殿。だが、我々は慈善事業で麦を育てているわけではない。フィオラヴァンテを敵に回すリスクを負ってまで、帝国に麦を売るメリットがどこにある?」


 卿の鋭い問いかけに対し、動いたのはバルザフだった。


「へへっ、メリットならここに山ほどありやすぜ!」


 ドンッ!

 バルザフが背負っていた重厚な革袋を床に叩きつけると、中から眩いばかりの金貨が溢れ出した。


「これはほんの手付金に過ぎません。フィオラヴァンテの金庫がどれほど深くとも、戦乱を勝ち抜いてきたアヴァロン帝国の『本気の財力』には敵わない。我々と国交を結べば、この莫大な富がハーグの街に継続して流れ込むことになりまさぁ」


 バルザフの露骨な、しかし圧倒的なプレゼンテーション。

 ヴァルデマール卿は黄金の山を前にしても表情を崩さなかったが、やがてフッと息を吐いて笑った。


「……面白い。武力で世界をねじ伏せる帝国が、生き残るために泥臭く北方の黒パンにすがるか。その強かさ、嫌いではない」


 卿は立ち上がり、私に向かって力強く右手を差し出した。


「よかろう、レオ殿、バルザフ殿。我がハーグは、アヴァロン帝国との国交樹立と、ライ麦の独占取引に応じよう。南の商人どもの小手先の経済封鎖など、北方の豊かな大地が吹き飛ばしてやろうではないか」


「ありがとうございます……!」


 私は安堵のあまり、膝から崩れ落ちそうになりながらその手を強く握り返した。


◇◆◇


 交渉は無事に成立した。

 莫大な量のライ麦が、次々と帝国の荷馬車へと積み込まれていく。


 私は政庁舎のバルコニーから、活気に満ちたハーグの街並みを見下ろしていた。

 整然と区画された街路、頑強な石造りの建物、そして厳しい自然に負けずたくましく生きる人々。


(……この街は、すごい)


 戦乱の南方を尻目に、独自の進化と豊かな富を蓄えているこの北方の都。

 根拠はない。だが私には、この街がこれから先、百年、二百年と発展を続け、もっと発展するのではないかという、奇妙な予感がしてならなかった。


 だが、同時にも思うのだ。

 もしも帝国が、将来、東も西も南も平定したとき、最後に残るのは、この北方ではないかと……。


(考えすぎか……今はライ麦の買い付けを喜ぼう)


 冷たくも心地よい北風が、私の頬を優しく撫でていった。


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