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劣勢の戦場で敵将を討ち取った俺、気づけば公の右腕にされた件  作者: 塩野さち


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第90話 俺たち三人と、闇の教皇とフルーツと

【皇帝の右腕グレン視点】


『アヴァロン帝国暦2年 5月下旬 帝都フェルグラント・裏路地の酒場 夜』


 薄暗いランプの光の中、春の花のような甘い匂いを漂わせる少女が、俺を見上げていた。


「お前は……あの時の」


 見間違えるはずがない。かつてこの同じ『闇バー』で、チェーザレとルチアの急ごしらえの結婚式を祝福し、彼に新たな宗教を立ち上げる決意をさせた、あの黒衣の少女だ。


 俺が呆然と呟くと、少女はあの時と同じように、無邪気さと老獪さが混じった金の瞳を細めて笑った。


「久しいのう。そうじゃな……今の妾は、『闇の教皇』とでも名乗っておこうかのう」


「闇の、教皇だと?」


 その言葉が地下の静寂に響いた直後だった。

 突っ伏していたカール皇帝が「んあ……?」とうめき声を上げて顔を上げ、対面のチェーザレもハッと息を呑んで重い瞼を開いた。


「なんだ、グレン。こんな地下深くに、なぜガキが迷い込んでおるのだ」


 カール皇帝が酔い眼をこすりながら不機嫌そうに言う。だが、その隣で少女の顔を視界に捉えたチェーザレは、椅子から転げ落ちんばかりの勢いで目を見開いた。


「あ、貴女様は……! おお、神よ! まさか、再びお会いできるとは……!」


 アヴァロンの裏社会を牛耳る闇の司祭が、顔を真っ赤にして感極まり、その場に平伏しようとしている。彼の信仰の原点である「奇跡の少女」なのだから、無理もない反応だろう。


 だが、少女は畏まるチェーザレを気にも留めず、店の奥の暗がりへ向かって軽やかな声をかけた。


「これ、マスター、こやつらは飲みすぎじゃ。季節のフルーツでも出してたもれ」


 すると、影の薄い無口なマスターが音もなく現れ、俺たちの円卓に大きな木皿とグラスをコトンと置いた。


 そこに乗っていたのは、むさ苦しい地下酒場には似つかわしくない、色鮮やかな初夏の果物たちの盛り合わせだった。

 初夏を告げる宝石のように艶やかな真っ赤なチェリー。リタがタルトにしてお茶会に出しそうな愛らしさだ。

 森の片隅で摘んできたような、素朴で小粒な野イチゴ。

 甘酸っぱい香りを放つ、オレンジ色に熟したアプリコット。うちの料理長なら、肉料理のソースの隠し味に使いそうだ。

 そして極めつけは、南方の商人から仕入れたのだろう、鮮やかなオレンジ色の果肉を持つ高級な西洋メロン(カンタロープ)だった。


「おお、これは美味そうだな」


 カール皇帝は少女の正体など気にも留めず、メロンの果肉を鷲掴みにして豪快に頬張った。

 俺も促されるままに、添えられていた冷たい蜂蜜レモン水に口をつける。爽やかな柑橘の香りと優しい甘さが、ズキズキと痛む頭をスッキリとさせてくれた。


(……美味いな。つわりが落ち着いたエレーナにも、明日これを作ってやろう)


 皇帝が果物を食い荒らし、俺がレモン水で酔いを覚ます中、チェーザレだけが畏れ多くて果物に手が付けられず、ただ恍惚とした表情で少女を見つめていた。

 帝国の頂点に立つ男たちと、得体の知れない闇の教皇。奇妙すぎる四人の食卓は、しばらくの間、フルーツをつまむ音だけが響いていた。


 やがて、木皿の上の果物が残り少なくなった頃。

 少女は満足そうに小さく息を吐き、ふと虚空を見つめるようにしてぽつりと呟いた。


「ふむ、アヴァロン帝国が大きくなるのは仕方ないのう。楽しかった。また来るぞえ」


 それは、ただの子供の無邪気な感想にも、世界の行く末を見透かす神の予言のようにも聞こえた。


「あ、お待ちください! どうか、我らに次なる導きを……!」


 チェーザレがすがるように手を伸ばしたが、すでに遅かった。

 少女は足音ひとつ立てずに立ち上がると、そのまま地下酒場の深い闇の中へ、すうっと溶けるように消えていったのだ。


 後を追うことすらできないほどの、完全な消失。

 後に残されたのは、酔いがすっかり冷めて呆然とする三人の男たちと、初夏のフルーツの甘い残り香だけだった。


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