第87話 講和交渉
【ダリウス小王国国王ゼノス視点】
『アヴァロン帝国暦2年 5月上旬 ダリウス王城 曇り』
サジスの町で、私が民から完全に拒絶されたあの日から数日。
王城の冷たい石造りの広間には、重苦しい沈黙がドロドロと澱んでいた。
「陛下! まだ我が国には数万の兵がおります! 王都を盾にして徹底抗戦を挑めば、アヴァロン帝国とて無傷では済みません!」
将軍バランが、血のにじむような声で叫んだ。
彼の目には、武人としての意地と、敗北への強烈な悔しさが渦巻いている。だが、傍らに立つ軍師シオンは、静かに首を横に振った。
「……いいえ、バラン将軍。これ以上の戦いは、我が国を灰燼に帰すだけです。サジスの民がアヴァロン帝国になびいた以上、強固だった国境の防衛線はすでに内側から崩壊しています。我々に勝ち目は万に一つもありません」
「しかし、シオン! このまま無抵抗で国を明け渡すというのか!」
「やめよ、バラン」
私は静かに口を開き、二人の言い争いを制止した。
玉座に深く腰を沈める私の体は、鉛のように重かった。
「シオンの言う通りだ。空城の計という浅はかな策で、自らの民の命綱を断ち切った……。その報いがこれだ。アヴァロン帝国のカール皇帝、そしてあのグレンという男。奴らは武力だけでなく、人心を掌握する術においても、我々の想像を絶する怪物であった」
私はゆっくりと立ち上がり、覚悟を決めて二人を見据えた。
「誇りだけでは国は守れぬ。これ以上、無益な血を流すわけにはいかない。……アヴァロン帝国に、講和の使者を送れ。私が自ら出向き、負けを認める」
その言葉に、バランは悔しげに膝から崩れ落ち、シオンは深く頭を下げた。
若き野望は、圧倒的な力と器の違いを前にして、完全に打ち砕かれたのであった。
◇◆◇
【皇帝の右腕グレン視点】
『数日後 サジスの町近郊 アヴァロン帝国軍本陣』
春の風が吹き抜ける平野に、急造の巨大な陣幕が張られていた。
上座に置かれた豪奢な椅子には、真紅の外套をまとったカール皇帝が堂々と腰を下ろしている。俺はその斜め後ろに立ち、静かに前を見据えていた。
陣幕の入り口から、丸腰の男たちがゆっくりと歩みを進めてくる。
先頭を歩くのは、ダリウス小王国の若き王、ゼノス。その後ろには、将軍バランと軍師シオンが沈痛な面持ちで続いている。
ゼノス王はカール皇帝の数歩手前で立ち止まると、ゆっくりと片膝をつき、深く頭を垂れた。
「……此度の戦、我々ダリウスの完全な敗北でございます。アヴァロン帝国の強大なる力、痛感いたしました」
絞り出すような声だった。
一国の王が、他国の君主の前に傅き、降伏を宣言する。その屈辱は計り知れないだろう。
「面を上げい、若き王よ。して、どのような条件でその首を差し出すつもりだ?」
カール皇帝は、威圧感のある低い声で問いかけた。
「我がダリウス小王国は、アヴァロン帝国の属国として臣従を誓います。毎年の莫大な貢物と、いざという時の兵役の提供をお約束いたします。……どうか、我が国の民と、国土だけは安堵していただきたい」
ゼノス王は、血が出るほど強く拳を握り締めながら懇願した。
背後の将軍バランの目からは、悔し涙がボロボロとこぼれ落ちている。
沈黙が陣幕を支配した。
カール皇帝は顎に手を当ててゼノス王をしばらく見下ろしていたが、やがてニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「よかろう。その降伏、受け入れてやる。これよりダリウスは、我がアヴァロン帝国の傘下に入ることを許す!」
「おお……! 寛大なるお言葉、感謝いたします!」
ゼノス王が安堵の声を漏らした。だが、カール皇帝の言葉はそれで終わりではなかった。
「ただし、条件が二つある。一つ、お前が『王』を名乗ることは最早許さん。ダリウスはこれより小王国から『公国』へと降格し、お前はダリウス公として我が帝国に仕えるのだ」
その言葉に、ゼノス王――いや、ゼノスの肩がビクッと跳ねた。
国そのものの格を下げられ、王の称号を剥奪される。これ以上の屈辱はないはずだ。しかし、彼はギリッと奥歯を噛み締めると、深く首を縦に振った。
「……承知いたしました。私はダリウス公として、皇帝陛下に忠誠を誓います」
「うむ。そしてもう一つだ。サジスの町に川から引くという水路の件だが、あれの工事費用と労働力は、すべてダリウス側で負担してもらうぞ」
「なっ……!?」
「自ら井戸に毒を撒いたのだ。その始末は、自らでつけるのが筋というものだろう? 民の信頼を取り戻したければ、死に物狂いで汗を流すことだな、ダリウス公よ」
痛いところを突かれ、ゼノス公は顔を真っ赤にしてうつむいた。
「……ははっ」
俺は、そのやり取りを見守りながら、密かに口元を緩めた。
相手の王としての誇りをへし折りつつ、しっかりと実利を取り、敗者に責任を取らせる。これこそがカール皇帝の覇道だ。
(かつては弱小だった我々が、今はこうして他国を臣従させ、王を公へと下すまでになったか……)
これで、東方遠征の第一の関門であるダリウスとの戦いは、アヴァロン帝国の完全勝利で幕を閉じた。
だが、東方にはまだ未知の強敵が潜んでいる。
この先どう転ぶにせよ、今回の戦で大量の資金と糧食を消費した。周辺国への侵攻は、また翌年となるであろう。
俺は腰の剣の柄を握り直し、次なる戦いへと決意を新たにするのであった。
【ダリウス編・完 次へ続く】
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