第86話 ダリウス国王ゼノス、頭を下げる
【ダリウス小王国国王ゼノス視点】
『アヴァロン帝国暦2年 4月下旬 サジスの町 晴れ』
王都に飛び込んできた報告は、私の耳を疑うものだった。
国境の町サジスで、民衆が代官に対して一斉に反乱を起こしたというのだ。
(まさか、ただの農民どもが正規軍に牙を剥くとは……)
私は、将軍バランの制止を振り切り、わずかな護衛だけを連れてサジスの町へと馬を走らせた。
空城の計の要として井戸に毒を投げ込んだのは、私の指示だ。だが、民衆の心が完全に離れてしまえば、国境の防衛は根本から崩壊する。ここは王である私が自ら赴き、怒りを鎮めるしかなかった。
町に入り、広場へと足を踏み入れた私の目に、凄惨な光景が飛び込んできた。
広場の中央には槍が突き立てられ、その先端には、私が派遣した代官ゲイルの首が無残な姿で晒されていたのだ。
周囲を取り囲む民衆たちは、血走った目で私を睨みつけている。彼らの手には、どこから手に入れたのか、鋭い鉄槍が握られていた。
「ゼノス王だ……。俺たちを捨てた王が、のこのことやってきやがったぞ」
誰かが低い声で呟く。
一触即発の空気が漂う中、私は馬から降り、ゆっくりと民衆の前へと進み出た。
「サジスの民よ。そなたたちに、多大なる苦痛を強いたこと……本当にすまなかった」
私は王冠を被った頭を、泥にまみれた地面に向けて深く下げた。
ダリウスの王が、ただの民衆に向かって頭を下げる。それは王国の歴史上、かつてない屈辱的な光景であった。
「へ、陛下……?」
ざわめきが起こる。
王の直接の謝罪に、怒りに燃えていた民衆たちの間に動揺が走った。一部の老人や女たちは、その姿に感極まり、目から涙をこぼしている。
(よし……。これで怒りは収まるはずだ)
私がそう確信し、顔を上げようとしたその時だった。
「感動的なお芝居だな。目の奥が悲しんでいないぞ? 謝罪で渇いた喉は潤せないぜ?」
広場の奥から、冷ややかで力強い声が響いた。
群衆が道を開けたその先に立っていたのは、黒い鎧をまとった大柄な男。アヴァロン帝国の先陣を率いる、皇帝の右腕ことグレン公であった。
◇◆◇
【皇帝の右腕グレン視点】
バルザフたちが密輸した武器で反乱が起きたと聞き、俺は精鋭だけを引き連れて密かにサジスの町へと入っていた。
ダリウスの若き王が、まさか自ら火消しにやってくるとは思わなかったが、好都合だ。
「アヴァロン帝国の将が、なぜここに……!」
ゼノス王が、驚愕に目を見開いて俺を睨みつける。
俺は王の視線を鼻で笑い飛ばし、広場に集まった民衆たちに向けて大音声を張り上げた。
「サジスの民よ! よく聞け! この町の井戸はもう使えなくなった! 王が頭を下げようが、毒の水が真水に戻るわけではない!」
俺の言葉に、民衆たちがハッとしたように顔を上げる。
「帝国に属するならば、俺たちが川から立派な水路を引いてやろう! 水も、食料も、明日の暮らしも、すべてアヴァロン帝国が保証する!」
「す、水路を引いてくれるだと!?」
「それなら、この町で生きていける……!」
住民たちが、蜂の巣をつついたようにザワつき始めた。
いくら王が涙を流して謝罪したところで、明日の水がなければ生きてはいけない。理想や忠誠心よりも、まずは今日のパンと水だ。それが人間の真理である。
「俺たちを救ってくれるのは、アヴァロン帝国だ!」
若者のリュックが叫ぶと、住民たちは次々とゼノス王に背を向け、俺の周りへと集まってきた。
彼らの瞳に宿っているのは、ダリウスへの決別と、新しい支配者への期待だった。
「な、なんということだ……」
ゼノス王が、血の気を失った顔でよろめく。
民の心が完全に自分から離れたことを悟ったのだろう。王の言葉は、もはや誰の耳にも届いてはいなかった。
「……退くぞ」
負けを悟った若き王は、屈辱に唇を噛み締めながら、護衛の兵たちに囲まれて逃げるようにサジスの町を去っていった。
これで国境の要所は、完全に我々アヴァロン帝国のものとなったのだ。
俺は剣を高く掲げ、新たな帝国の民となったサジスの住人たちと共に、勝利の歓声を上げた。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




