第76話(最終話) カール皇帝(元ヴァルゼン公)の野望、そして右腕の俺
『アヴァロン帝国暦2年 3月上旬 帝都フェルグラント 城門前広場』
【公爵グレン視点】
春の陽気が、張り詰めた空気を少しだけ和らげていた。
だが、その穏やかな日差しとは裏腹に、広場には数万の兵士が整列し、殺気だった熱気が渦巻いている。
事の発端は、先月決定した「東方遠征」の準備中に起こった出来事だった。
我々は、亡国の騎士ソフィアの訴えを聞き入れ、東の草原を荒らす『黒狼族』を討つことを決めた。
だが、地図を確認すると、帝国の国境と黒狼族の支配領域の間には、一つ国が挟まっていたのだ。
東方の要衝、『ダリウス小王国』である。
黒狼族を叩くためには、このダリウス小王国の領土を通るか、あるいは補給拠点として協力させる必要がある。
そこで我々は、正式な手順として、ダリウス小王国へアヴァロン帝国への服従、あるいは軍の通行許可を求める使者を送ったのだ。
無益な血を流さず、傘下に入るならばよし。さもなくば――という、いつものカール皇帝らしい、実質的な脅迫状を携えて。
そして昨日、その使者が帰還した。
――首だけになって。
丁寧に梱包された箱の中には、無念の表情を浮かべた使者の首と、一枚の紙片が入っていた。
そこには、たった一言、『拒絶する』とだけ書かれていた。
「クックックッ……! やってくれるではないか」
その報告を受けた時、カールは怒るどころか、愉悦に歪んだ笑みを浮かべていた。
「言葉で分からぬなら、鉄で教えるまで。余の慈悲をドブに捨てたことを、あの世で後悔させてやろう。まずは手始めにダリウスを平らげ、その勢いで黒狼族も喰らうぞ!」
こうして、東方遠征の第一目標は、ダリウス小王国の攻略に決定した。
もはや話し合いの余地はない。あるのは、どちらかが倒れるまでの殲滅戦のみだ。
そして今、帝都の大広場にて、壮大な出陣式が執り行われていた。
壇上に立ったカール皇帝が、東方より伝来した名刀『雷切』を抜き放ち、天に突き上げる。
「聞け! 我が精鋭たちよ!」
カールの声が、魔力で増幅され、広場の隅々まで轟く。
「東のダリウス小王国は、余の友好の手を切り払った! 彼らは平和よりも戦いを、繁栄よりも滅びを選んだのだ! ならば望み通り、余が直々に引導を渡してやる!」
『『『ウオオオオオオオオオッ!!!』』』
兵士たちの歓声が、空を揺るがす。
彼らの士気は最高潮だ。『常勝』のグレン公と、『雷鳴』のカール皇帝。この二人が揃って負けることなど、彼らは微塵も想像していない。
私は、カール皇帝の斜め後ろ――いつもの定位置に立ちながら、眼下に広がる光景を眺めていた。
かつては一介の雑兵だった私が、今や帝国軍の司令官として、この大軍を動かそうとしている。
人生とは、分からないものだ。
(だが、これで終わりではない)
私は懐から地図を取り出し、そっと広げた。
東には、今回の標的であるダリウス小王国、そしてその背後に控える遊牧騎馬民族『黒狼族』の影。
だが、敵は東だけではない。
西を見れば、強大な経済力を誇る『商業都市国家連合』と、難攻不落の城塞都市『フィオラヴァンテ』が、虎視眈々とこちらの隙を窺っている。
そして北には、極寒の地を支配する北方連合とその都市『ハーグ』が、不気味な沈黙を保っている。
まだまだ、征服すべき土地は多い。
カール皇帝の野望である「大陸統一」への道は、ようやく入り口に立ったに過ぎないのだ。
「行くぞ、グレン! 遅れるなよ!」
カールが振り返り、ニカッと笑った。
少年のように無邪気で、しかし誰よりも獰猛な、覇王の笑顔。
「はっ。どこまでもお供しますよ、陛下」
私は地図を畳み、剣の柄に手をかけた。
呆れるほどに好戦的な主君だが、退屈しないことだけは保証されている。
ファンファーレが鳴り響く中、アヴァロン帝国軍が動き出した。
その行く手を祝福するかのように、雲の切れ間から強い陽光が差し込み、黄金の軍団を照らし出す。
我々の戦いは、まだ始まったばかりだ。
大陸全土に『雷鳴』が轟くその日まで――。
これらの戦いがどのような結末を迎えるのか。
それはまた、別の物語となるだろう。
【公の右腕 完】
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




