第71話 鉄の師団長、牛肉に舌鼓を打つ
『アヴァロン帝国暦元年 12月上旬 帝都フェルグラント皇宮 夜 小雪』
【帝国第一師団長カリスト・グラディウス視点】
帝都フェルグラントの南門。
雪混じりの風が吹く中、俺を出迎えたのは、一人の若い男だった。
黒髪に、実直そうな瞳。
彼こそが、噂に聞く新皇帝の右腕、オルデンブルク公爵グレンか。
「遠路はるばる、ご苦労であった。第一師団長、カリスト殿とお見受けする」
グレン公は、俺の前に歩み寄ると、気取らない態度で手を差し出した。
俺は馬を降り、その手を握り返す。
(……ほう)
分厚い手だ。
貴族の柔らかい手ではない。槍を握り、剣を振り、泥にまみれてきた人間の手だ。
それに、立ち姿に隙がない。俺の背後に控える数千の精鋭を前にしても、眉一つ動かさぬ度胸。
「出迎え感謝する、グレン公。……噂通りの男のようだ」
「どんな噂だか。まあ、堅苦しい挨拶は抜きにしよう。陛下がお待ちだ。それに、腹も減っているだろう?」
グレン公はニカッと笑った。
その笑顔に、俺は少しだけ毒気を抜かれた気がした。
案内された皇宮は、以前のアードラー帝国の頃とは空気が違っていた。
かつては陰湿な陰謀と腐敗臭が漂っていた廊下は、今は清掃が行き届き、活気に満ちている。
通された大広間では、すでに歓迎の宴の準備が整っていた。
扉を開けた瞬間、俺の鼻腔をくすぐったのは、暴力的なまでに美味そうな脂の匂いだった。
「おお……これは……」
テーブルに並べられているのは、干し肉でも、薄いスープでもない。
肉だ。
それも、分厚く切られ、香ばしく焼かれた、極上の牛肉のフルコースだ。
「さあ、座ってくれ! 今日は無礼講だ!」
上座の中央、玉座ではなく、俺たちと同じ目線の椅子に座っていた巨漢の男が、杯を掲げて叫んだ。
新皇帝、カール・フォン・アヴァロン。
元ヴァルゼン公その人だ。
「第一師団の将兵たちよ! 長きに渡る北方の守り、大儀であった! アヴァロン帝国は、貴様らのような強き者を歓迎する! さあ、食え! 飲むのだ!」
俺は席に着くと、目の前のステーキにナイフを入れた。
ナイフが吸い込まれるように肉に入り、断面から肉汁が溢れ出す。
口に運ぶと、濃厚な旨味が舌の上で爆発した。
「……美味い」
思わず、声が漏れた。
前線での泥水をすするような食事とは、雲泥の差だ。
周りを見れば、俺の部下たちも、涙目になりながら肉を貪り食っている。
「どうだ、カリスト師団長。我が帝国の牛は」
ふと、目の前に影が落ちた。
顔を上げると、カール皇帝が自らワインボトルを持って立っていた。
「……絶品であります、陛下。これほどの肉、久しぶりに味わいました」
「そうか! これはグレンが育てている牛でな。平和の味がするであろう?」
皇帝は豪快に笑いながら、俺のグラスにワインを注いだ。
俺は、至近距離でこの男を見た。
岩のような体躯。猛禽のような眼光。
ただ座っているだけで、周囲の空気がビリビリと震えるような威圧感。
噂に聞く『雷鳴』とは、よく言ったものだ。
(……コイツも、強そうだ)
アードラー帝国の末期、玉座に座っていたのは、家臣の顔色を窺い、おべっかを使うだけの弱々しい飾り物だった。
だが、この男は違う。
自らの腕で道を切り開き、頂点に立った覇者の顔をしている。
「陛下。……この第一師団、本日より陛下の剣となり盾となりましょう」
俺は席を立ち、片膝をついて忠誠を誓った。
それは形式的なものではなく、俺の本心からの言葉だった。
「うむ! 頼りにしておるぞ! だが今は、その堅苦しいのはナシだ! ほれ、肉が冷めるぞ!」
皇帝は俺の肩をバシバシと叩き、また別のテーブルへと笑いながら去っていった。
その隣では、グレン公が部下たちに囲まれ、何やら牛の育て方について熱弁を振るっている。
俺はグラスを傾け、広間の熱気を見渡した。
美味い酒。美味い飯。そして、強い主君。
(いいねぇ……。弱い皇帝と、腐った家臣の顔色を窺うよりかは、全然マシだぜ)
窓の外では雪が降っているが、この広間は熱い。
俺は、冷え切っていた腹の底が、確かな熱を持って満たされていくのを感じていた。
新しい時代の風が、確かに吹き始めていた。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




