第7話 降伏貴族の娘、元雑兵に嫁ぐ? ――縁談は戦場の余波にて
『ヴァルゼン公家歴10年 8月初旬 グレンフィルト』
【雑兵上がり男爵グレン視点】
黒死病の猛威がようやく過ぎ去り、俺の街『グレンフィルト』には、わずかながら再建の槌音が戻り始めていた。急ごしらえの土の城壁に石を積み、家々もレンガ造りへと建て替えている。
ヴァルゼン公の軍が引き上げて半月――俺は仮の城壁の上から、いまだ傷跡の癒えぬ領地を見渡していた。
(……戦は終わっても、地獄は終わらぬか)
疫病で兵も領民も数を減らし、誰もが疲弊しきっている。俺自身、後始末と街の再建に追われ、まともに寝る間もない日々が続いていた。
そこへ、帳簿を片脇に抱えた商人レオが、いつもと変わらぬ涼しい顔でやってきた。
「男爵様。感傷に浸るのは結構ですが、財政は待ってくれませんよ。いっそ、裕福な家の婿にでもなってくだされば、再建も早まるのですが」
「……冗談でもやめてくれ」
その軽口が、まさか現実になるとは、この時の俺は知る由もなかった。
数日後、粗末な俺の館に、一人の使者が訪れた。
使者は、まだ年若い令嬢だった。名は、エレーナ・フォン・シュタイン。先日、ヴァルゼン公に降伏した小領主の娘だという。
彼女は、父であるシュタイン卿が病に伏しているため、自ら家の代表として参ったと告げた。その瞳は、没落貴族の娘とは思えぬほど、強く、澄んでいた。
「グレン男爵様。この度は、我がシュタイン家が貴方様に剣を向けたこと、心よりお詫び申し上げます」
丁寧な礼節。だが、その声に卑屈さはない。
「父は、もはや再起の望みを失いました。……ですが、このまま家の名が絶えるのを見過ごすことはできませぬ。せめて、私が名を繋ぎたく存じます」
俺は、彼女の言葉の真意を測りかねていた。
だが、隣に控えていたレオが、俺の耳元で小さく、しかしはっきりと呟いた。
「……男爵様、これは縁談のお申し込みかと」
【令嬢エレーナ視点】
父は、ヴァルゼン公に降伏したあの日から、気力を失い病床に伏している。
領地は疫病で荒廃し、家臣たちも散り散りになった。貴族社会とは残酷なものだ。一度落ちぶれた家の娘など、誰も見向きもしてくれない。
そんな絶望の中で、唯一耳にした希望の光。それが、敵将でありながら武勲を立て、ヴァルゼン公の信頼を得たという、グレン男爵の噂だった。
(雑兵上がり……でも、あの人のような強さが、今の私には眩しかった)
失うものは、もう何もない。残っているのは、シュタイン家という、か細い名だけ。
私は、貴族としての最後の誇りを捨てる覚悟を決め、あの人の元へ向かったのだ。
【グレン視点】
後日、形式的な茶会が開かれた。
貴族の作法など知るはずもない俺は、緊張のあまり、目の前に置かれた高価そうな茶器を危うく落としそうになった。畏まった言葉も続かず、額には汗が滲む。
「あ……」
俺の無様な姿に、エレーナは思わず、くすりと小さく笑みを漏らした。
だが、その笑みに侮蔑の色はなく、むしろ、彼女の張り詰めていた空気を和らげたように見えた。
「貴方は、嘘をつけない方なのですね」
「……すまない。俺は、貴女のような方に釣り合う器ではないんだ」
「器など、これから共に作っていくものではありませんか?」
その言葉は、不思議なほど、まっすぐに俺の胸に届いた。
茶会の後、レオが俺に耳打ちした。
「……男爵様。この縁談、他の降伏貴族たちが注目しています。ヴァルゼン公の庇護の下、新興貴族と旧家が結ぶ婚姻。それは、未だ燻るカレドン家の残党や、ゲルハルト伯に対する、強力な牽制となります。ですが、同時に……新たな火種にもなり得ますぞ」
この婚姻は、単なる家と家の結びつきではない。
ヴァルゼン公国、東部国境における、新たな勢力図の始まりを意味していた。
その日の夕暮れ、俺はエレーナを馬に乗せ、丘の上から建設中の街を見下ろしていた。
瓦礫の名残が残る大地に、それでも、ぽつりぽつりと新しい家々の明かりが灯り始めている。
「……貴方の街、ここから見ると、とても綺麗です」
「まだ半分もできちゃいない。だが、これからだ」
俺の言葉に、エレーナは小さく微笑んだ。
遠くの聖堂から、一日を終える鐘の音が響いてくる。
それは、戦乱の時代の片隅で始まった、小さな再生と、新しい人生の始まりを告げる音のように、俺には聞こえた。
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