第65話 チェーザレ、結婚したいと言い出す【第二部】
『アヴァロン帝国暦元年 11月上旬 帝都フェルグラント 晴れ』
【皇帝の右腕、オルデンブルク公爵グレン視点】
歴史的な選帝侯会議から二か月が過ぎた。
あの日、俺の一票で皇帝となったヴァルゼン公は、即位と同時に名を改めた。
初代皇帝、カール・フォン・アヴァロン。
かつて雷鳴のように戦場を駆けた男は、今や大陸の頂点に立ち、その剛腕で新しい国づくりを推し進めていた。
皇帝が掲げたスローガンは『富国強兵』。
国を豊かにし、兵を強くする。言葉にすれば単純だが、やることは山積みだ。
そして、皇帝の右腕であり、筆頭公爵となった俺、グレンもまた、目の回るような忙しさの中にいた。
なにせ、俺の領地となった旧ミュラーブルク改めオルデンブルクと、旧アイゼンブルクの開墾指揮を執らねばならないからだ。
特に、レグナリア王から譲り受けた牛たちの世話は、俺のライフワークになっていた。
(よしよし、いい子だ。たくさん食べて、いい乳を出してくれよ)
帝都の近郊に作った牧場で、俺は牛の背中をブラシで撫でていた。
公爵になっても、やっていることは雑兵の頃や、グレンフィルトの開拓時代と変わらない。だが、この土と獣の匂いこそが、俺を一番落ち着かせてくれる。
そんなある日、俺は皇帝カールに呼び出され、玉座の間へと向かった。
そこには、いつになく思いつめた顔をした男が、一人立っていた。
教皇庁の名代であり、今や帝国の中枢を担う一人、チェーザレ枢機卿だ。
「……来たか、グレン公」
玉座に座るカール皇帝が、重々しく口を開いた。
俺は、チェーザレの横に並び、皇帝に一礼する。
「はっ。牛の世話の最中でしたが、急ぎ参上いたしました。……して、チェーザレ殿。随分と顔色が悪いようですが、何かありましたか? まさか、西でまた反乱でも?」
俺が尋ねると、チェーザレは深く、重いため息をついた。
その顔は、噂に聞くアウステルの包囲戦の時よりも、さらに苦悩に満ちているように見えた。
「……反乱なら、まだマシだったかもしれん」
チェーザレは、意を決したように顔を上げ、皇帝と俺を交互に見つめた。
「陛下。そしてグレン公。……笑わずに聞いていただきたい」
「うむ。申してみよ」
「……私は、結婚したいのです」
玉座の間に、沈黙が落ちた。
俺とカール皇帝は、思わず顔を見合わせた。
「……結婚、だと?」
「はい。相手は、ルチアという修道女です。……彼女を、日陰の存在にしておきたくない。正式に妻として迎え入れ、幸せにしたいのです」
チェーザレの真剣な眼差しに、俺は思わず頷いた。
以前、彼が「教会の改革が必要だ」と語っていた裏には、そんな事情があったのか。
「良いではないか! めでたい話だ!」
カール皇帝が、膝を打って笑った。
「帝国としても、重鎮の慶事は歓迎するぞ。盛大に式を挙げるが良い!」
だが、チェーザレの表情は晴れない。
「……ありがとうございます、陛下。ですが、問題は『式』なのです」
「式?」
「はい。私は聖職者です。結婚するには、神の祝福……つまり、教会の儀式が必要不可欠。ですが、ご存じの通り、我がユニテス教会は聖職者の妻帯を禁じております」
チェーザレは、悔しげに拳を握りしめた。
「私は枢機卿という立場にあります。権力で無理やり式を挙げることはできるでしょう。ですが、それでは意味がない。……戒律を破ってまで私の結婚を心から祝福し、儀式を執り行ってくれるような、開明的な司祭が……今の教会には一人もいないのです」
なるほど。
古い教義に縛られた石頭の司祭たちに、「結婚させてくれ」と言っても、「異端だ」「破戒だ」と騒ぎ立てられるのがオチだということか。
かといって、自分たちだけで勝手に誓いを立てても、それは教会法の上では認められない。
チェーザレは、彼女を「正式な妻」として、誰からも後ろ指を指されないようにしたいのだ。
「困ったな……。余が命令してやらせても良いが、それではチェーザレの本意ではあるまい」
カール皇帝も、腕組みをして唸ってしまった。
宗教の問題は、政治権力でもなかなか解決できない厄介なものだ。
沈黙が続く中、俺はふと、単純なことを思った。
グレンフィルトを作った時もそうだった。無いなら、作ればいい。
俺は、何気なく口を開いた。
「なあ、チェーザレ殿」
「……なんだ、グレン公」
「今の教会がダメだっていうならさ。……もう一つ、宗教を作ればいいのでは?」
その瞬間、チェーザレの動きがピタリと止まった。
見開かれた目が、俺を凝視している。
「……なんだと?」
「いや、だからさ。今のユニテス教会が結婚を許さないなら、『結婚を許す新しい教会』を立ち上げちまえばいいじゃないか。チェーザレは枢機卿なんだろ? 一番偉い人が新しいルールを作れば、それが新しい宗教になるんじゃないのか?」
俺の言葉に、チェーザレは雷に打たれたように立ち尽くしていた。
やがて、その瞳に、かつてないほどの強烈な光が宿り始めた。
「……新しい、宗教……」
チェーザレが、震える声でその言葉を繰り返す。
どうやら俺は、とんでもないスイッチを押してしまったようだった。
帝国が産声をあげてから、まだ季節は一つしか過ぎていない。
だが、この国にはもう、大きな変化の兆しが訪れようとしていた。
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