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第6話 不落城ドラッヘンブルク

『ヴァルゼン公家歴10年 7月15日 カレドン侯領 ドラッヘンブルク郊外』


【雑兵上がり男爵グレン視点】


 ヴァルゼン公の進軍は、驚くほど順調だった。

 公の軍旗を見るや、道中のカレドン侯配下の貴族たちは、まるで雪崩を打つように次々と城門を開き、降伏してきたのだ。父を失ったライナルトの元には、もはや国をまとめる力は残っていないらしかった。


 ヴァルゼン公は馬上から降伏した貴族たちを見下ろし、鷹揚に言い放った。


「うむ。許す。貴様らの領地は安堵する故、我が旗下にて忠誠を尽くせ」


 寛大すぎるほどの処置。それは、敵の力を削ぎつつ、無用な血を流さずに領地を切り取るという、冷徹な計算に基づいたものだった。


 だが、その快進撃も、ドラッヘンブルクを前にしてぴたりと止まった。

 天を突くほどの巨大な城壁、幾重にも巡らされた堀。歴代カレドン侯が築き上げてきたその威容は、攻める者の心を折るに十分だった。


 そして、本当の悪夢は、戦場とは別の場所から忍び寄ってきた。

 『黒死の病』――夜の陣営には、兵たちの苦しい呻きと血を吐く音が絶え間なく響いた。炊事の煙に混じって、どこからともなく死の腐臭が漂ってくる。もはや戦どころではなかった。我々は、ドラッヘンブルクを包囲するので精一杯だった。


 そんな膠着状態が続いたある日の午後だった。

 ドラッヘンブルクの城門が、軋みを上げてゆっくりと開いた。

 現れたのは、ただ一騎。その白馬の鬣には、先代侯への弔意を示す黒い喪章が巻かれている。乗り手の胸元では、滅びゆくカレドン家の紋章が銀糸で鈍く輝いていた。


「ほう、豪胆だな。グレン、どう見る?」


 幸いにも疫病にかからなかったヴァルゼン公が、馬上から俺に問いかける。

 俺もまた、ゆっくりとこちらへ向かってくるその騎馬から目を離さずに答えた。


「はっ、豪胆なのはその通りかと存じます。敵意は見られませぬ。使者として、丁重に迎えるべきかと」

「うむ、そうか」


 男は我々の陣営の前で馬を止めると、馬上から恭しく頭を下げた。


「お初にお目にかかります、ヴァルゼン公。私は、現カレドン侯ライナルト様の後見人を務めております、ゲルハルト・フォン・カレドンと申します」


「して、ゲルハルト伯。その方が何の用だ。降伏の使者か?」


 ヴァルゼン公の挑発的な問いに、ゲルハルト伯は静かに首を横に振った。


「いえ。ご覧の通り、この地は今、人ではなく、病が支配しております。これ以上の戦は、互いに無益な血を流すだけ。兵を退き、停戦とするおつもりはございませんか?」


 その言葉を聞き、ヴァルゼン公と俺は顔を見合わせた。

 結果、停戦協定が結ばれた。

 ドラッヘンブルクより手前で降伏した貴族たちの領地は、正式にヴァルゼン公の支配下に置かれる。カレドン家にとっては苦渋の決断だろうが、裏切り者を再び受け入れるわけにもいかず、かといってヴァルゼン公の支配を覆す力もない。落としどころとしては、それしかなかった。


 こうして、我々はドラッヘンブルクから兵を引くことになった。



 帰路、俺の街――いまだ街と呼ぶには粗末すぎるが――『グレンフィルト』で、ヴァルゼン公の本隊と別れることになった。


 別れ際、公は俺を呼び寄せ、低い声で言った。


「グレンよ。この戦、まだ終わってはおらぬ」

「はっ」

「ドラッヘンブルクを、そして今回降った貴族どもを、その目で見張っておれ。奴らが再び牙を剥かぬとも限らん。貴様のその『運』で、不穏の芽をいち早く見つけ出すのだ」


 それは、この地を新たな国境線とし、その守りを俺に一任するというに等しい言葉だった。

 俺は、ヴァルゼン公の黒い外套が遠ざかっていくのを、ただ黙って見送っていた。


(最前線の監視役……か)


 雑兵から男爵へ、そして今度は国境の守り手へ。

 俺の人生は、俺の意思とは関係なく、とんでもない速さで激流へと飲み込まれていく。

 だが、その激流の只中で、確かに俺は、生きていると実感していた。


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