第51話 ムンド、ミュラー伯爵を連れてカレドン侯領へ逃げる
『ヴァルゼン公家歴11年 6月中旬 ミュラーブルク 昼 晴れ』
【傭兵団団長ムンド視点】
ミュラーブルクの城門が、まるで葬列を迎えるかのように、重々しく開いた。
俺たち『ムンド傭兵団』の生き残りが、埃と血にまみれて、なだれ込む。
出陣した時の威勢は、どこにもない。
あのロッカ村の平原からはうまく撤退できたが、士気はガタ落ちだ。
(……チッ)
俺は、シャムシールを鞘に納めながら、悪態をついた。
あのグレンとかいう雑兵上がり。確かに強かった。
だが、それ以上に厄介だったのは、ヤツが率いる二つの傭兵団、特に『銀狼』だ。
あの連中、まるで獲物の弱点を知り尽くした狼のように、俺たちではなく、最初からミュラー伯爵の寄せ集め兵だけを狙ってきやがった。
結果は、ご覧の通りだ。
城内に残っていた兵士や、わずかな市民たちが、俺たちの無様な姿を、恐怖に引きつった顔で遠巻きに見ている。
彼らも分かっているのだ。
俺たちが負けた。
次は、あの『ヘルデンの英雄』が、この城を獲りに来る、と。
(さて、どうしたものか)
傭兵稼業だ。契約が果たせなければ、次の街へ移るだけ。
だが、どうにも後味が悪い。
俺は、馬を降りると、血糊で汚れた顔を拭いもせず、あの雇い主の元へと向かった。
最後にもう一度、あの情けない顔を見て、契約終了を叩きつけてやる。
執務室の扉を蹴破るように開けると、思ったよりシャキッとした顔のミュラー伯爵がいた。
「ムンド、か。戦は……戦はどうなった……?」
ミュラー伯爵は、執務室の机に座り、書類の整理をしていた。
もう、戦の結果など、聞くまでもないという顔だ。
俺がこの街に来て唯一得た成果が、このミュラー伯爵の更生だった。
(……こいつだけでも立ち直ってよかった)
レグナリア王に「病」とまで言われた男。
俺は、無言でヤツの襟首を掴み、無理やり立たせた。
「何をする……! ま、待て! 殺すのか!?」
「まだだ。……だが、ここにいれば、アンタは間違いなくグレンに殺される」
「で、では、どうしろと!?」
「逃げるぞ」
俺の言葉に、伯爵は虚ろな目を見開いた。
「……なぜだ。俺は、もう……」
「俺はアンタに雇われた。契約は、アンタの命を守ることだ。まだ金はもらっているんでな。俺の『務め』として、アンタを安全な所まで運んでやる」
傭兵としての、最後のプライドだった。
俺は、この哀れな男を見捨てるほど、落ちぶれてはいなかった。
「……そうか。務め、か」
伯爵は、ふらふらと立ち上がると、壁に隠された金庫を開けた。
中から取り出したのは、土地の権利書などではない。革袋に詰め込まれた、大量の金貨と宝石だった。
「これが、この城にある、最後の財産だ。……もう、領地も何もない。すべて、お前にやる。報酬だ」
「……いいのか?」
「ああ。持って行け。そして、俺を……俺を、ここから連れ出してくれ……!」
俺は、その革袋を無造作に掴み、肩に担いだ。
ずしりと重い。
敗戦にしては、上出来すぎる報酬だった。
「行くぞ。西のグレンフィルトは通れん。北のレグナリア王は、もうアンタを助けん。南は……知らん」
「……東か」
「そうだ。東へ逃げる。カレドン侯領、ドラッヘンブルクだ。あそこのゲルハルト伯とやらも、グレンとは敵対している。アンタを匿う価値はあるだろう」
俺は、ミュラー伯爵を馬に乗せると、生き残った千人近い部下たちを集めた。
もう、この城に未練はない。
俺たちは、グレンフィルト軍がまだ到着していない、東の裏門から静かに馬を出した。
初夏の強い日差しが、まるで俺たちの逃亡を嘲笑うかのように、ぎらぎらと輝いていた。
ミュラー伯爵は、一度も振り返らなかった。
俺たち傭兵団も、粛々とミュラーブルクから去った。
まだその程度の規律は残っていた。
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