第49話 黄金の収穫と、迫りくる影
『ヴァルゼン公家暦11年 6月中旬 グレンフィルト郊外 晴れ』
【公の右腕グレン伯爵視点】
俺の目の前に、黄金色の海が広がっていた。
去年、領民たちと泥まみれになって蒔いた、秋蒔きの麦。
それが今、初夏の太陽を浴びて、見事に実っていた。
「うおおお! すごい! こんなにたくさんの麦、見たことねえぞ!」
「やった! 今年は腹いっぱい食える!」
村の人々が、歓声を上げながら一斉に鎌を振るう。
兵士たちも訓練を休み、ハンスやヨセフといった新兵たちも、農家の手つきで手際よく麦を刈り取っていた。
誰もが汗だくだが、その顔は喜びで輝いている。
(よかった……)
俺は、雑兵だった頃を思い出す。
戦とは、結局のところ食料の奪い合いだ。
この地で、初めて俺たちの手で育てたこの麦こそが、グレンフィルトの本当の力になる。
数日間にわたる収穫が終わると、街は自然と祭り一色になった。
かつて、徴税開始記念でブタ一頭を焼いた広場が、今や本物の収穫祭の会場となっていた。
「イリア! 飲んでるか!」
「おうよ、ダンナ! ……んっ、ぷはーっ! こいつはたまんねえな!」
イリアが大ジョッキで煽っているのは、エールではない。
俺がポルト村から連れ帰った牛たちは、子牛がいるため、乳が搾れる。新鮮な牛乳だ。
「そっかぁ~、これが牛乳かぁ! アタイ、エールよりこっちのが好きかもしんない!」
あの時の約束を果たせたと、俺は満足な気分になった。
広場のあちこちでは大鍋で麦の粥が炊かれ、兵士も領民も関係なく、誰もが杯を交わしている。
「グレン伯爵様。こちら、焼きたてですわ」
声をかけられ振り向くと、そこには、あのレグナリア王領から連れ帰った女性たちが、熱々のパンを運んでくるところだった。
彼女たちは今、メイドのリタや、もともと街にいた女たちと共に、宿舎の炊事場や酒場などで、立派に仕事を見つけてくれていた。
「ああ、ありがとう。美味そうだ」
あの時、故郷に帰れぬと絶望していた彼女たちの顔に、今は労働の給金を得る者としての、誇らしげな笑みが浮かんでいる。
「……まったく、伯爵様は人が良すぎます。この祭りで、いったい備蓄がどれだけ減るものか」
隣で商人レオが、こんな日だというのに帳簿を片手にぼやいている。
だが、その口元は緩みっぱなしだった。
「いいじゃないか、レオ。今日は無礼講だ」
「そうですよ、レオ様! ほら、子猫ちゃんたちもお祝いしてます!」
リタが、広場の隅を指さす。
そこには、公から預かってきた二匹の猫が、さらに子供を産み、元気に走り回っていた。
おかげで、街の食料庫からネズミの害が激減したと、レオ自身が一番喜んでいたくせに。
妻のエレーナと、ソフィアも、イリアのいるテーブルで一緒に牛乳を飲んでいる。
女たちの間には奇妙な連帯感、と、俺に対する監視の目が生まれているようだった。
まあ、俺の館が平和なら、それでいい。
(……これが、俺の守りたかったものか)
雑兵だった俺が、こんな光景を作れるとは。
俺が、胸に広がる温かいものでいっぱいになっている、まさにその時だった。
「――申し上げます!」
祭りの喧騒を切り裂いて、一騎の斥候が馬から転げ落ちるようにして駆け込んできた。
『銀狼傭兵団』の、エルロー地方の警備担当にしていた兵士だ。
イリアが、ジョッキを持ったまま、その兵士に駆け寄る。
「どうしたんだい! そんなに慌てて!」
「はっ、はあっ……! イリア様! グレン伯爵様!」
斥候は、俺の顔を見ると、必死に息を整えて叫んだ。
「エルロー地方に、所属不明の傭兵団が出現! ……城門の旗、ミュラー伯爵の旗を掲げております!」
広場の空気が、一瞬で凍りついた。
俺は、飲みかけていた牛乳の杯を、強く握りしめた。
「……なんだと?」
「『ムンド傭兵団』と名乗っているとのこと! 先のミュラー伯爵とは違い、統率が取れており、村々を『巡回』し、『統治の再開』を宣言していると……! すでに、いくつかの村が、実力で彼らの支配下に入った模様にございます!」
ムンド傭兵団……。
あのミュラー伯爵が、新たな傭兵を雇ったか。
しかも、俺のやり方を、そっくりそのまま真似ている。
(……やられたな)
黄金色の収穫祭の熱気は、一瞬にして冷え切っていた。
イリアとソフィアが、傭兵団の頭領としての、血の匂いを嗅ぎつけた獣の目に戻っている。
どうやら、この豊かさを守るための、次の戦いが始まったらしい。
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