第4話 ヴァルゼン公の野望
『ヴァルゼン公家歴10年 6月下旬 公都アイゼンブルク』
【ヴァルゼン公視点】
戦のない日々は、退屈でならなかった。
この大陸を一つの旗の下にまとめる器が、俺以外にあるものか。神がそれを望まぬというのなら、俺が戦場で神すら討ち取ってくれるわ。
だというのに、文官どもが差し出す羊皮紙の束には、血の匂いも、剣のきらめきもない。俺はただ、再びこの胸を焦がす、戦の炎が上がるのを待ちわびていた。
陽光が、執務室の分厚い絨毯の上を斜めに走る。壁際に飾られた黒鋼の甲冑が、その光を鈍く反射していた。
そんな静寂を破ったのは、側近が読み上げる報告書の内容だった。主語は、全てあの雑兵上がりの男、グレン・フォン・ヘルデン。
「――以上です。グレン男爵は、商人ダリオ・ボラーニより多額の融資を受け、街の建設に着手した模様」
「ほう、あの雑兵、ダリオに借金しおったか! あの守銭奴が、担保も無しによく金を貸したものよ! これは愉快、愉快!」
あの男の『運』に、金の亡者すら賭けたというのか。面白い。久々に、胸のすくような話だ。
報告は続く。
「はっ。さらに、その資金で『銀狼傭兵団』をまるごと雇い入れたとのことにございます」
「おお、今度は銀狼傭兵団をか! 腕は立つが、気性が荒く扱いにくいことで有名なあの連中を、か。ふむ、これは戦力として使えるな」
「……して、集めた者たちで、何をしておる」
「はっ。ヘルデン丘陵に堀を穿ち、土塁を築き、仮の城を築きはじめた、とのことにございます」
人手を確保し、人心を掴み、戦力を整え、拠点を築く。
どこまで計算ずくかは分からぬが、あの雑兵、ただ者ではない。まるで、何も持たざる頃の俺を見ているようだ。
その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏に、この国の全てを記した広大な地図が広がった。
そこに、赤い線が引かれる。
ヘルデン丘陵を起点として東に進軍すれば、宿敵カレドン領の背後を容易に衝くことができる。今まで、その足掛かりがなかった。だが、そこに砦が一つあれば、戦の潮流は、大きく変わる。
(あの雑兵……俺が望んでも得られなかった楔を、己の野心で打ち込もうとしているのか……!)
退屈な日々は終わった。
俺は不敵に笑うと、玉座から立ち上がった。
「全軍に通達! ただちに出陣の準備を整えよ! 目標、ヘルデン丘陵! あの雑兵が用意した舞台で、今一度、狼の牙を剥いてくれるわ!」
数日後、公都アイゼンブルクに進軍の太鼓が鳴り響き、城門から出撃を告げる角笛が空高くこだました。
俺、ヴァルゼン公が率いる四千の精兵が、整然と石畳の道を進む。窓という窓から女たちが顔を覗かせ、兵たちに色とりどりの花を投げかけた。
アイゼンブルクの空は、戦の匂いに満ち満ちていた。
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