第35話 閉じ込められた夜~帝国の女豹として~
『ヴァルゼン公家歴11年 3月上旬 ミュラーブルク 夜 晴れ』
【紅豹傭兵団団長ソフィア視点】
結局、あの忌々しいレグナリア王家軍は、城を包囲したまま動かなかった。
城壁の外には無数の篝火が焚かれ、まるで我々を嬲るかのように、時折、遠吠えのような角笛の音が響いてくる。
(焦らして、こちらの士気が落ちるのを待っているつもりかしら? だとしたら、随分と悠長なこと)
私は部下たちに城壁の見張りを交代させると、猫のような足取りで、城内の中枢――グレン殿が寝室として使っている部屋へと向かった。
明日には、決戦となるかもしれない。雇い主様の「覚悟」を、この目で見定めておくのも悪くない。
元・帝国近衛の技で、音もなく重い扉を開ける。
そこで私が見たのは、およそ戦場の男女が迎える夜とは、あまりにもかけ離れた光景だった。
「……あら?」
部屋の中央にある、不必要に豪華な天蓋付きのベッド。
その上で、なぜかグレン殿と、あのイリアが、きちんと服を着たまま向かい合って「正座」している。
そして二人同時に、深々と頭を下げ合っていた。
「よっ、よろしくお願いしますっ!」
「アタイこそ、わがまま言ってごめん!」
グレン殿は、まるで初めての祝言に臨むかのようにガチガチに緊張し、イリアの顔は、熟れたリンゴみたいに真っ赤に染まっている。
(……これは、面白いものを見つけたわね)
私は、わざとらしく音を立てて扉を閉め、二人の奇妙な儀式に割って入った。
「あなたたち、いったい何をしているの? 戦の前夜に、随分と奥ゆかしいおままごとですこと」
「「うわぁっ!?」」
二人は、私の声に揃って飛び上がった。
「ソ、ソフィア!? いつの間に!」
「あら、イリア。そんなに慌ててどうしたの? まさかとは思うけれど……あなた、もしかして生娘だったの?」
「きっ、生娘で悪かったわね!」
私のからかうような視線に、イリアが逆ギレするように叫んだ。
「だ、だってアタイより強い男がいなかったんだもん! 仕方ないじゃない!」
(あらあら、本当だったのね。この百戦錬磨の女傭兵が)
私は、必死に笑いをこらえながら、ベッドの脇に腰掛けた。
「それで、どういう経緯で、この『よろしくお願いします』になってるワケ? 私にも教えてくださる?」
グレン殿が、咳払いをして姿勢を正した。
「そ、それは俺から話そう。ソフィア、見ての通り、俺たちは明日、あの五千の大軍と戦うことになる。……もしかしたら、生きて帰れるか分からないからな」
その目は、いつもの朴訥としたものではなく、覚悟を決めた男の目をしていた。
「だから、悔いの無いように、さ」
「もーっ! アタイのわがままなんだよ!」
イリアが、グレン殿の言葉を遮るように叫んだ。どうやら、この男勝りの女傑は、死ぬ前に「女」としての思い出が欲しくなったらしい。
「ふふ、わかったわ」
私は立ち上がると、二人に優雅な笑みを向けた。
「そういうことなら、私は少し外で風に当たっていてあげる。……まあ、お楽しみは早いほうがいいでしょうし?」
私が扉に手をかけると、イリアが慌てて私を呼び止めた。
「あ、あのさ、ソフィア!」
「なにかしら?」
「……こ、今度、アンタもアタイの訓練に付き合いな! 生娘じゃなくなったアタイは、もっと強くなってるはずだからさ!」
「はいはい。楽しみにしているわ。――ああ、そうだ」
私は、扉の隙間から、困惑しているグレン殿に向かって、悪戯っぽくウインクしてみせた。
「次は、私の番ね。グレン様」
返事も聞かずに扉を閉める。
こうして、ミュラーブルクの奇妙な夜は更けていった。
『翌朝』
すっきりとした、というよりは、どこか吹っ切れたような清々しい顔をしたイリアと、二人の相手をして若干寝不足気味のグレン殿、そしていつも通りの私が、城壁の上からレグナリア王家軍の陣を眺めていた。
(さて、どう動いてくるか……)
私が敵陣の動きに集中していると、イリアが隣でグイッと背伸びをした。
「いやー、よく寝た! 今日はいくらでも戦えそうだよ!」
「……そうか、それは頼もしいな」
グレン殿が、苦笑いを浮かべている。
その時だった。
敵陣の中央が割れ、ひときわ豪華な、まるで小さな神殿のような輿がゆっくりとこちらへ向かってくるのが見えた。
輿が近づくにつれ、その上に乗っている人物の姿が明らかになる。
豪華絢爛な衣装に身を包んでいるが、その体はもはや人間のそれではない。自力で立つことすらできぬほどに太りきった、巨大な肉塊。
噂に聞く、レグナリア王、その人だった。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!




