表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
劣勢の戦場で敵将を討ち取った俺、気づけば公の右腕にされた件  作者: 塩野さち


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

30/43

第30話 グレンフィルトの兵士たち~ハンスの場合~

『ヴァルゼン公家歴11年 1月下旬 グレンフィルト 昼 晴れ』


【農家の三男上がりの兵士ハンス視点】


 兵士になってから、十日ほどが過ぎた。

 僕、ハンスの生活は、家を追い出された時とは比べ物にならないくらい、規則正しいものになっていた。

 夜明けと共に叩き起こされ、まずは凍てつく広場での走り込みから一日が始まる。


「ほら、足が止まってるぞ、新入りども! そんな貧弱な体で、戦場で槍が振れるとでも思ってるのかい!」


 銀髪を編み上げた女隊長――イリア様が、革鞭をしならせながら僕たち新兵を叱咤する。

 息はとっくに上がり、肺は張り裂けそうで、足は鉛のように重い。

 農家の仕事で体力には自信があったつもりだけど、それは「戦うための体力」とはまったく別物だった。


 走り込みが終われば、次は槍の訓練だ。

 僕たち新入りに支給されたのは、穂先を丸めた訓練用の槍。それでも、ずしりと重い。


「違う! 腰が入ってない! そんな突きじゃ、分厚い鎧どころか、冬物のコートだって貫けやしないよ!」


 イリア隊長の指導は厳しかった。

 クワやスキならともかく、人を突くための道具なんて、握ったことすらない。

 何度も何度も突きを繰り出すうちに、豆が潰れた手のひらが、焼けるように痛んだ。


「ぐっ……!」


 ついに足がもつれて、僕は訓練場のぬかるみに倒れ込んでしまった。

 もう、指一本動かせない。


「……おい、大丈夫か? 立てよ」


 差し出された手があった。

 見上げると、僕と同じようなボロい服を着た、そばかす顔の青年が心配そうに僕を見ていた。


「あ、ありがとう……」


 彼の手を借りて、なんとか立ち上がる。


「俺はヨセフ。お前と同じ、昨日入った新兵だ。きついけど、頑張ろうぜ」


 ヨセフも、どこかの村で食い詰めて、この街に流れてきた一人らしかった。

 僕にも、初めて「戦友」というものができた瞬間だった。


 週に一度は、僕たち新兵の訓練を、領主であるグレン子爵様ご本人が見に来てくれることがあった。

 あの日、広場で見た立派な礼服ではなく、動きやすい軽装の鎧を身につけたグレン様は、台の上から僕たちを見下ろしていた。


「いいか、お前たち。戦場で一番大事なのは、個人の武勇じゃない。隊列だ」


 グレン様はそう言うと、訓練場にいた古参の兵士五人を呼び寄せた。


「あの赤髪の女隊長――ソフィア様の傭兵団は別だが、お前たちのような新兵は、五人で一人前だ。いいか、こう動け」


 グレン様の号令一下、五人の兵士がまるで一つの生き物のように動く。

 一人が前に出て槍を突き、すぐさま下がる。同時に、左右の二人が敵の側面を牽制し、残りの二人が上段と下段を守る。

 たった五人なのに、まるで隙間のない「槍の壁」がそこにあるようだった。


「これが基本だ。これを千回、一万回と繰り返せ。体が覚えるまでだ。そうすれば、お前たちも戦場で生き残れる」


 その言葉には、雑兵として本物の戦場を生き抜いてきた者だけが持つ、圧倒的な説得力があった。

 僕たちは、ゴクリと唾を飲み込み、目の前の「英雄」の言葉に聞き入っていた。


 そして、週末が来た。

 訓練が終わると、僕たちは広間に集められ、商人レオ様……の部下だという帳簿を持った役人から、初めての賃金を手渡された。

 ずしりとした銅貨の重み。銀貨も数枚混じっている。


「す、すげえ……本当に金がもらえたぞ、ハンス!」


 ヨセフが、目を丸くして銅貨を握りしめている。

 僕も、震える手で革袋を受け取った。

 家を追い出されて、無一文だった僕が、自分の力で稼いだお金だ。


「……なあ、ハンス。行ってみないか? 酒場ってところに」

「酒場……」


 大人の行く場所だ。

 僕たちは、少し緊張しながらも、初めての賃金を握りしめ、夜の街へと繰り出した。


 酒場は、僕が想像していたよりも、ずっと騒がしくて、活気に満ちていた。

 埃っぽい木の床、こぼれた酒の匂い、肉の焼ける香ばしい煙。

 イリア様の『銀狼傭兵団』の人たちもいれば、城壁工事の職人さんたちもいる。誰もが大きな杯をぶつけ合い、大声で笑っていた。


「い、いらっしゃい! 新兵さんだね? どこでも好きなとこ座ってよ!」


 僕とヨセフは、おどおどしながらカウンターの隅に座った。


「あの、エール? っていうのを、二つください」


 目の前に置かれた、木の杯。

 恐る恐る口をつけると、冷たくて、苦い液体が喉を焼いた。


「……うわっ、にがっ!」

「はは、でも、なんか美味いかも……!」


 僕たちは顔を見合わせて笑った。

 これが、大人の味か。


「なあ、ハンス。俺たち、本当に兵士になれたんだな」

「うん……」

「給金もらえるし、飯も腹いっぱい食える。屋根のある場所で寝られるし……」

「ああ。騎士にだって、なれるかもしれない」

「だよな!」


 僕たちは、この街に来てからのことを語り合い、未来のことを夢見た。

 初めての酒は、すぐに僕たちの体を温めてくれた。


 ほろ酔い気分で宿舎に戻る。

 兵士たちに与えられた宿舎は、十人が一部屋の雑魚寝だったけど、干し草が敷かれたベッドは十分に暖かかった。

 家を追い出されて、凍える雪の中で死ぬかもしれないと思っていた、ほんの十数日前のことが、まるで遠い昔のことのようだ。


(思ったより、ずっと良い生活だ)


 食事も、寝床も、仲間も、そして金も手に入った。

 明日からの訓練は、きっと今日より厳しいだろう。

 でも、今の僕には、それを乗り越えられる気がした。

 僕は、兵士としての確かな満足感に包まれながら、深い眠りに落ちていった。


「とても面白い」★四つか五つを押してね!

「普通かなぁ?」★三つを押してね!

「あまりかな?」★一つか二つを押してね!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ