第3話 まずは人を集めろ! ――借金から始まる街づくり
『ヴァルゼン公家歴10年 6月20日 首都にて』
【雑兵上がり男爵グレン視点】
大商人ダリオ・ボラーニから借り受けた金貨の袋は、ずしりと重い。
だが、これから街を一つ興すことを思えば、広大な海に一滴の水を垂らすようなものだった。
「――というわけで、まずは人が必要なんです」
俺がそう切り出すと、ダリオは鷹揚に頷き、隣に控えていた痩身の男に声をかけた。
「レオ。お前、このグレン男爵殿について行って、金の管理を手伝ってやれ」
「は……私が、ですか?」
レオと呼ばれた男は、丸眼鏡の奥の目を困惑に細めた。いかにも実直そうな男だ。
「男爵殿は戦の天才かもしれんが、金勘定は素人だろう。レオ、お前の帳簿さばきで損を出すようなら、二人まとめてこのダリオ商会から首だぞ。くっくっく」
「……肝に銘じます」
こうして、俺の最初の家臣は、借金取りの監視役を兼ねた金勘定係、レオに決まった。
次に俺たちが向かったのは、傭兵たちが集まる安酒場だ。
油のしみた床に、こぼれた酒と汗の酸っぱい匂いが混ざっている。荒くれ者たちの熱気が渦巻く中、ひときわ目立つ一団がいた。
一団を率いるのは、見事な銀髪を編み上げ、しなやかな体躯を革鎧に包んだ女剣士。彼女こそ、最近この辺りで名を上げている『銀狼傭兵団』の隊長、イリアだった。
「ほう。あんたが、あのグレン男爵かい。雑兵から成り上がったって噂の」
イリアは、俺を値踏みするように見つめながら、杯をあおった。
「俺の街に来てほしい。腕利きの傭兵団が必要なんだ」
「街ぃ? あんたの領地は、ただの荒れ地だって聞いたけどね。そこで畑でも耕せってのかい?」
周りの傭兵たちが、ゲラゲラと下卑た笑いを漏らす。
俺は動じず、まっすぐに彼女の目を見て言った。
「いや、戦をしてもらう。俺の街は、いずれ最前線になる。退屈はさせないと約束しよう」
俺の言葉に、イリアの猛禽のような目が、ギラリと光った。
「……面白い。その言葉、違えるんじゃないよ。いいだろう、あんたの『運』に乗ってやる!」
さらに俺は、先の戦で焼け出された人々が集まる避難所へ向かった。
薄暗い聖堂の中は、すすり泣く声と、先の見えない不安で満ちている。
ヴァルゼン公に事情を話し、彼らを新たな領民としてヘルデン丘陵へ受け入れる許可を取り付けると、俺は壇上に立った。
「皆、聞いてくれ! 俺はグレン男爵! お前たちに、住む場所と仕事を与える!」
ざわめきが起こる。希望よりも先に、訝しむ声が上がった。
俺は、構わず声を張り上げる。
「俺についてくれば、腹一杯飯を食わせてやると約束する! 信じられないなら、それでもいい! だが、ここで朽ち果てるより、俺の言葉に賭けてみないか!」
静まり返った聖堂に、俺の声が響く。やがて、一人の老婆が立ち上がり、深々と頭を下げた。それを皮切りに、人々は絶望の淵から顔を上げ、目に希望の光を宿し始めた。
こうして、金勘定係のレオ、『銀狼傭兵団』、そして百人ほどの領民を連れて、俺はヘルデン丘陵へと帰ってきた。
街づくりは、まず防御施設の建設から始まった。
「石の城壁を築く時間も金もない! まずは堀を掘れ! その土で土手を築き、固めて仮の城壁にするんだ!」
俺の号令の下、傭兵も民も一丸となって土を掘り、運んだ。
住居は、近くの森から木を切り出して作った、粗末な丸太小屋だ。
だが、そんな開拓地に似つかわしくない建物が、一つだけあった。
レオが監督して建てさせている、やけに立派な商店兼事務所だ。
「おいレオ……なんでお前の建物だけ、そんなにしっかりしてるんだ?」
(俺の家ですら、雨漏りしそうな丸太小屋なのに……)
俺がジト目で問うと、レオは眼鏡の位置を直しながら、こともなげに言った。
「当然です。ここは将来、この街の商業の中心地となりますから。未来への投資ですよ、男爵様」
「金あるなぁ、商人は……」
俺が思わずぼやくと、レオは涼しい顔で付け加えた。
「ご心配なく。この建設費も、男爵様への貸付金に計上しておりますので。それと、借金の利息、くれぐれもお忘れなく」
その時だった。
一騎の伝令が、ヴァルゼン公からの親書を携えて駆け込んできたのは。
「申し上げます! ヴァルゼン公よりグレン男爵へ! 近日中に、先のカレドン侯の残党を討伐するため、軍を発する! つきましては、このヘルデン丘陵の地に本陣を置く、とのことにございます!」
レオとイリアが、息を呑んで俺を見る。
まだ堀と土塁しかない、できたての街。
それが、いきなり大軍勢を迎え入れる、最前線基地になるというのだ。
(試練と好機が、同時に来たか……!)
俺は、迫りくる嵐の気配に、武者震いを禁じ得なかった。
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