第27話 グレン、冬季は動けず
『ヴァルゼン公家歴11年 1月上旬 年明け グレンフィルト 晴れ』
【グレン子爵視点】
ヴァルゼン公が、あのザンクト・ブリギッタを包囲したまま、厳冬のまっただ中で戦を継続している――。
その報せは、年が明けて早々、俺の元にも届いていた。
報告書によれば、公の軍隊は完璧な冬季装備で固められており、寒さなどものともしていないという。
(さすがは公だ。兵站を完璧に整えて、敵の息の根を止めるつもりか)
俺は「それは良いことだ!」といたく感心し、すぐにでも真似しようと、商人レオの事務所へ駆け込んだ。
東方攻略を任された俺の軍も、いつまでも冬に震えているわけにはいかない。
「レオ! 俺の軍も冬季装備を買いたい! コート、マフラー、ブーツ、マント、毛布! できるだけたくさんだ!」
俺が息巻いて注文すると、レオはいつもの涼しい顔で、帳簿から目を上げた。
「グレン子爵様。あいにくですが、それは少し難しいかもしれません」
「なに!? どうしてだ? 金なら公が……」
「いえ、お金の問題ではございません。それは、ヴァルゼン公が、周辺諸国の市場に出回っていた在庫を、冬が来る前に根こそぎ買い占めてしまったからです。そもそも、この近辺に品物自体がございません」
(うわっ、公、えげつない……。グレンフィルトの分まで買ってたのか)
俺は思わず顔を引きつらせた。
「なるほど、無いものは仕方ないか……。じゃあ、話は別だ! せめて正月用の良い酒と食材をくれ! 館へ帰って妻たちと祝いたい! それくらいはあるだろう?」
レオは、くすりと笑った。
「それでしたら、いくらでも。承知いたしました。後で館に届けさせましょう。……お詫びと言ってはなんですが、お代は結構です。ダリオ商会からのささやかな新年のお祝いと、させてください」
「そいつは助かる!」
俺が上機嫌で館へ戻ると、応接室が妙に騒がしかった。
中を覗くと、なぜかイリアと、あの『紅豹傭兵団』のソフィアが、妻のエレーナと談笑していた。どうやら新年の挨拶に来た二人を、エレーナがそのまま招き入れたらしい。
「おお、ダンナ! 新年おめでとう!」
「あけましておめでとうございます、子爵様。私、お邪魔してよろしかったかしら?」
イリアが快活に手を上げ、ソフィアが猫のようにお辞儀をする。
「あら、あなた。お早かったのですね」
エレーナが俺に気づき、悪戯っぽく笑った。
「ちょうど今、お二人から例の口紅の件を、詳しくお伺いしていたところですわ」
「あっ、ああっ。あれは、その、不可抗力というか……なんというか……」
俺がしどろもどろになっていると、ソフィアが音もなく立ち上がり、すっと俺に近づいてきた。
そして、またしても、俺の腕に柔らかい体を絡ませ、密着させる。
「あら、私は『複数人』でも、まったく構いませんのよ? 何なら、今ここにいる女三人と、グレン様とで……ふふ、新年のお祝いをいたしましょう!」
「こらっ、ソフィア! 馬鹿言ってんじゃないよ!」
「昼間から、はしたないですわっ!」
俺が固まっている間に、密着するソフィアの後頭部めがけて、イリアが鋭い手刀でツッコミを入れ、同時にエレーナがソフィアの肩を掴んで、俺から強引に引き離した。
「あ~れ~!」
ソフィアは、芝居がかった声を上げながら、二人に抑えつけられ、やがて大人しくソファに座り直した。
俺は、この混沌とした状況を仕切り直すように、咳払いをした。
「おっ、そうだ。ちょうど良かった。もうすぐ、レオのところから酒と料理が届く予定だ。みんなで食べよう!」
その言葉を聞きつけたのか、毒見役のメイド、リタがひょっこり顔を出した。
「毒見ですね! おまかせですぅ!」
(お前、毒殺の心配を微塵もしていないだろ……)
どこまでも明るいメイドの姿に、俺は思わず苦笑した。
こうして、俺の館での新年は、騒がしくも平和に過ぎていくのであった。
だが、宴の喧騒の向こう、街の工房地区からは、新年だというのに、カン、カン、という甲高い槌音が絶え間なく響いていた。
東方攻略に向けた、武器類の量産。
グレンフィルトは、文字通り戦のための刃を鍛えている最中であった。
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