第16話 ミュラー伯爵、王に会うが、結局どうすれば良いか分からない
『ヴァルゼン公家歴10年 10月下旬 王城レグニス 曇り』
【どちらにつくか決められないミュラー伯爵視点】
旧王都『レグニス』は、噂に違わぬ古き良き都であった。
疫病と戦乱のせいで、城壁のあちこちは崩れ、往来を歩く民の顔にも活気はない。だが、その中心にそびえる王城の威容だけは、いまだ健在である。
私は、自領から連れてきた『献上品』――檻馬車に詰め込んだ十数名の娘たち――の列を従え、王城の門をくぐった。
(これだけのものを用意したのだ。レグナリア王家が私を無下に扱えるはずがない)
ヴァルゼン公もカレドン侯も、所詮は田舎の成り上がり。帝国の崩壊後も「正統性」を失わぬ、この王家こそが、私の進むべき道を示してくださるはずだ。
驚いたことに、貢物の内容を検分した城の役人は、あっけなく王との面会を許可した。
私は、これ見よがしに胸を張り、古びたタペストリーが並ぶ長い廊下を進む。
謁見の間は、窓が分厚い緞帳で閉め切られており、昼間だというのに薄暗かった。焚かれた香の匂いが、室内に重く立ち込めている。緊張して床に平伏していると、やがて、複数の男たちの苦しそうな息遣いと共に、何かが軋む音が近づいてきた。
玉座の前に、豪奢な輿が静かに降ろされる。
噂には聞いていたが、これほどとは……。
輿から姿を現したレグナリア王は、もはや人間とは呼べぬほどに太りきっていた。自力で立つことすらできぬため、こうして輿で移動されているのだ。
顔は青白くむくみ、その瞳はどこか虚ろだ。持病の痛みをごまかすため、異国の麻薬を常用しているという噂は、どうやら真実らしい。
王が、重そうにまぶたを持ち上げた。
だるそうな、生気のない声が広間に響く。
「……くるしゅうない。頭を上げよ」
「は、ははっ! ミュラー領を治めております、ミュラー伯爵と申します! 本日は、王家への変わらぬ忠誠の証として、手土産を色々と持参いたしました! 我が領で一番の美女たちでございます!」
私は、必死の笑顔でそう申し上げた。
だが、王は私の後ろに並ぶ檻馬車には一瞥もくれず、ただ、早く終わらせたいとでも言うように、か細い声で促した。
「うむ、ご苦労であった。……それで、望みはなんだ?」
「は、はいっ! 実は、私の領地は、『カレドン侯領』と『ヴァルゼン公国』の間に挟まれておりまして、どちらにつくべきか、その……。つきましては、王家のご威光をもって、両者の戦を今すぐ止めるよう、お命じ頂ければと……!」
王は、私の必死の訴えを聞いているのかいないのか、虚空を見つめたまま、小さく頷いた。
「うむ、善処する。……下がって良い」
「は、はい!」
あまりにも早い裁可だった。
私は再び深々と頭を下げ、衛兵に促されるまま謁見の間を退出した。
城の廊下を戻りながら、私は先ほどの謁見を反芻する。
(善処する、か。流石は王家だ。あのように即断即決なさるとは)
そう思ったのも束の間、城の出口で待っていた私に、侍従が小さな革袋を手渡してきた。
「王からの返礼である。ご苦労であった」
中を覗くと、わずかばかりの金貨が数枚、投げ入れられているだけだった。
あの美女たち十数名の対価が、これだけ……?
その時、さすがに鈍い私でも、ようやく気が付いた。
あの王の目は、私を、私の献上品を、そして私の訴えを、何一つ見てはいなかった。
私は、明らかに返答をはぐらかされ、煙たがられていただけなのだ。
(だ、大丈夫なのだろうか……)
灰色の曇り空の下、王都レグニスを離れる帰路につきながら、私の不安は大きくなる一方であった。
献上品の娘たちはいなくなり、代わりに手にしたのは、この無意味に軽い金貨袋だけ。
結局、私は何一つ得るものなく、ただ貴重な手札を失っただけではないのか。
私の懐も、心も、王都の空のように冷え切っていた。
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