第11話 ヴァルゼン公、本心を明かす
『ヴァルゼン公家歴10年 9月中旬 アイゼンブルク 晴れ』
【雑兵上がり男爵グレン視点】
ヴァルゼン公からの急な呼び出しを受け、俺は公都アイゼンブルクの城門をくぐった。
ぼったくり酒場の一件で騒ぎになった直後だっただけに、てっきり何か叱責を受けるものと身構えていた。だが、執務室で俺を迎えた公の口から出たのは、意外な言葉だった。
「……グレンよ。皆、俺のことが怖いらしい」
「は……?」
玉座に深く腰掛けたまま、まるで子供のようにぼやく主君の姿に、俺は思わず言葉を失った。
「誰も彼もが、まずはお前の顔色を窺いにグレンフィルトへ行くそうだ。俺が雷鳴で、お前が雨宿りの社だと、ダリオの奴が言っておったわ」
なるほど、そういうことか。
俺は少し考えてから、正直に思ったままを口にした。
「恐れながら、公。俺は、別に公のことを怖いとは思いませぬが」
「……なに?」
「公は、ただ激しいだけです。嵐のように。ですが、その嵐があるからこそ、我らは前に進める。少なくとも、俺はそう信じております」
俺の言葉に、ヴァルゼン公は虚を突かれたように目を丸くしていた。
その時、部屋の奥の扉が静かに開き、公妃であるカタリーナ様が入ってこられた。
「まあ、そう言って差し上げるのは、きっとグレン男爵だけですわ。あなた、せっかくお客様がいらしたのですから、一杯すすめてはいかが?」
「うむ……そうだな」
カタリーナ様の優しい一言で、執務室の張り詰めた空気はすっかり和らいでしまった。
こうして、なぜか俺とヴァルゼン公の二人きりの酒盛りが始まった。
最初はぎこちなかったが、上等なワインが二人の舌を滑らかにしていく。
「して、グレンよ。呼び出した時、貴様、みすぼらしいシャツ一枚で兵を率いていたそうではないか。一体何をしていたのだ」
公の問いに、俺はぼったくり酒場での一件を正直に話した。
すると、公はそれまで溜め込んでいたものが爆発したかのように、腹を抱えて笑い出した。
「はっはっは! 面白い! 実に面白いぞ、グレン! 街で法を犯す不届き者を、領主自らが裸同然で叩き潰すか! それでこそ、俺が見込んだ男よ!」
その笑い声は、孤独な雷鳴ではなく、ただ愉快でたまらないという、一人の男のものだった。
俺たちは、君主と家臣という立場も忘れ、まるで旧知の友のように飲み、語り明かした。
翌朝、俺は見知らぬ豪奢な客間で目を覚ました。ひどい頭痛がする。
どうやら、昨夜は記憶をなくすほど飲んでしまったらしい。
(いかん! 公にご挨拶をせねば……!)
慌てて身支度を整え、公の寝室へ向かうと、侍従に丁重に止められた。
「公は、まだお休みでございます。昨夜は、ここ数年で一番愉快な酒だったと、大変ご機嫌でした」
その言葉に、俺は少しだけ迷った。
だが、俺のいるべき場所はここではない。
「……そうか。ならば、これで失礼する。起こすには及ばん」
「よろしいのですか?」
「ああ。俺が任されているのは、この城の客間ではなく、国境の最前線だ。そう、公にお伝えしてくれ」
侍従が驚いた顔で深々と頭を下げるのを背に、俺はアイゼンブルクの城を後にした。
朝日が、ヴァルゼン公国の雄大な大地を照らしている。
昨夜の酒で、俺と公の距離は少しだけ縮まったのかもしれない。だが、俺のやるべきことは何も変わらない。
俺は、俺の街で、俺の務めを果たすだけだ。
手綱を握る手に、新たな力がこもった気がした。
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