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第7話 あなたのおなまえは?

「どうしましょう、かなたさん」


「俺に聞かれても困る」


 自分の名前を思い出せないウサギ人間。

 可哀想だったので手足の拘束は解いた。


「なにか憶えてることはないのか?」


「わたしが近年稀に見るかわいいウサギさんで、かなたさん達がダンジョンと呼ぶところのひとつから来た──ということしか……他にも日常生活に必要な細かいこととかは憶えてるんですけど、それ以外はさっぱりで……その……()()()()()()()()()()()()()というような感じでしょうか……なにを憶えていてなにを忘れているのか、上手く記憶を探れないんですよね。いろんなことを経験していけば少しずつ思い出せるとは思うんですけど……」


 なんにもないがいっぱいある、か。

 記憶に穴が空いたような感覚ではなく、記憶を塗り潰されているような感覚なのだろうか。ストレスとかトラウマのような心的な要因で、脳の奥底の部分が意図的に精神の安定のために記憶を封じているとか。


 原因を解明するなら病院にでも連れていけばいいのだろうが、身分証もないしこの外見だしな、地球上で、この国で、ダンジョンからやって来た知的生命体の扱いがハッキリしていない現状では自然快復を待つ他に選択肢はない。


「ふーむ……まあ、思い出せないんならしょうがない。それよりこれからのことを考えよう。とりあえず、呼び名がないと不便だからお前の名前を決める」


「はい、お願いします。わたしにピッタリなかわいい名前にしてくださいね」


「……え? 俺が決めるの?」


「もちろん?」


 驚いて訊ねればウサギ人間は不思議そうに頷いた。

 なんでそんな「あたりまえでしょ?」みたいな反応なんだ。お前の名前だぞ。


「お前にはなにか、こう呼ばれたいとか──たとえばこの音が好きとか、この響きが好きとか、この言葉が好きとか、そういうのはないのか?」


「えー? うーん……そうですねぇ……あっ、そういえば、この世界には愛と美と、金星? を司る〝ヴィーナス〟とかいう女神がいるらしいですね。愛と美、そしてお金の星……このおうちの紅一点にして未来の稼ぎ頭であるわたしに相応しい名前です!」


 金星(きんせい)ってそういう意味じゃないんだけど、金星(きんぼし)と読めば……まあ、お金の星にはなるか。


「じゃあ、今日からヴィーナス?」


「え、まさかそのまんまですか!? もっと捻って工夫して拘ってくださいよぉ! かわいいだけのウサギさんにヴィーナスそのまんまはエレガントすぎますって!」


「えぇー……じゃあウサギだから、バニー・ラビット・ヴィーナスとかは?」


「長いしなんだかバカっぽいです……」


 ぴったりじゃないか。

 でも不服らしいので次だ。


「バニー・ラ・ヴィーナ」


「おぉ、少し削るだけでオシャレな感じになってきましたね。でもかなたさんのお名前みたいなコンパクトさが足りませんね。ということで、名字にななしのを付けることを想定してもう1回っ!」


「だからなんで当然のように俺の名字を名乗ろうとしてるんだ……別にいいけどさ。にしても、七篠と組み合わせて不自然にならないようにか。要するに日本人っぽい名前がいいんだよな? ヴィーナスっぽさとウサギっぽさを残すなら──〝美兎〟とか?」


「みと?」


 美と兎の漢字の説明も兼ねて紙に書き出す。


「みと……ななしの、みと──アリ、ですね」


「なら決まり──」


「しかーし! わたしはバニー・ラ・ヴィーナの可能性を追求してみたいです! わたしの直感が囁いてるんです……これは化ける、と! ここから新しいわたしが生まれると!」


「ああ……? じゃあもう〝バニラ〟で」


「ヴィーナスどこいったんですか──って、ちょっと待ってくださいかなたさん、いまなんて言いました?」


 適当な名付けへのツッコミから一変、真剣な表情でずずいっと顔を近付けてくる暫定バニラ。


「なにって、バニラ……?」


 なんだ?

 なにかの琴線に触れたのか?

 まさか記憶喪失になる前の名前だったとか?

 それで記憶が蘇りそうになっているのか?


「バニラ……バニラ──ななしの、バニラ……」


 名無しのウサギはバニラの名前を反芻する。


 そして──


「ぱ、パーフェクトですーっ!! ななしのバニラ!! めちゃくちゃいいです! バニラ! バニラ! なんて甘美な響きなんでしょう!?」


「……いや……え……?」


 それだったらどう考えても七篠美兎の方が──


「会心の一撃ですよ、かなたさん!! わたしの心にクリティカルヒットです!! 決めました、もう決定です!! わたしは今日からバニラ!! ななしのバニラですっ!!」


「…………そうか。よかったな」


「はい、おめでとうございます、わたし!!」


 そんなわけで、我が家にバニラがやってきた。







「バニラ」


「はい、バニラです!!」


 新しい名前がそんなに気に入ったのか、おばかウサギことバニラはかつてないほどご機嫌だ。チャームポイントの長い耳も上機嫌に揺れている。


「次は仕事の話なんだけど……」


「あ、それなんですけど、今朝は早起きしたので外をぶらぶらお散歩していたら、男の人か女の人かイマイチよくわからない人にこんなものをもらいまして……」


 そう言ってバニラが差し出したのは名刺だった。


「喫茶、仔兎の巣(バニーズネスト)……オーナー兼店長、兎塚(とつか)泰造(たいぞう)……?」


「そうそう、そんな名前でした。わたしのウサミミを素敵ねぇって褒めてくれたんです。それで、もし興味があったらワタシのお店で働いてみない──って。その時は働く気なんかなかったのではいはーいって流しちゃいましたけど、気が変わったら連絡してねと、それをもらいました」


 真っ先に思い浮かんだのが詐欺の二文字だった。

 平日の早朝にウサミミで散歩してるおかしな奴に声をかけるだなんてまともじゃない。俺なら素通りどころか引き返して逃げる。警察とかならまだしも、喫茶店の店長という、立場のある人間が、厄介事の種にしかならなさそうな不審者にわざわざ声をかけるだろうか。


 そう思い調べてみるが、「店長さんは一見すると筋肉質で威圧感のある男性(女性?)のようですが、見た目に反して物腰が柔らかく対応も丁寧でとても好印象でした」や、「先月から実施されたバニーメイド衣装が可愛くて毎日見に来てしまうほどですが、値段設定も良心的でお財布に優しく、まさしく天国です」など、意外にも店の評価は好評だった。


 なるほど。仔兎の巣(バニーズネスト)の名の通り、従業員はバニーメイドのコスプレをして働いているわけだ。だから偶然みかけた野生のバニーを、運命だとばかりにスカウトしたと。


 そういうことなら一考の余地はある。


 しかし問題なのはバニラの身元だ。


 一応、アテはある。


 200年前、地球に隕石が衝突して大気にマナが満ちた。地球上の生物はそのマナを取り込み、体内にオドを宿した。人間を始めとした一定以上の知能を持つ生物は異能(スキル)魔法(まほう)といった超常の力に目覚め、高濃度のマナ、もしくはオドを取り込むことで自らの基礎能力を向上させられるようになった。


 ──個人が集団を超越するほどの突出した力を手にすることができるようになった。


 それにより、人々の倫理観や道徳心を培うため、義務教育年限が、6歳に達したその後の4月から、18歳に達した日より後の3月まで──小学校入学から高校卒業にまで引き上げられた。つまりバニラは学校教育法の枠内にある。


 全ての日本国民には教育を受ける権利があり、学校教育法には──市町村教育委員会は、住民基本台帳や戸籍に記載のない学齢児童生徒を把握した際には速やかに学齢簿を編製し、地域内の学校への就学手続きをするよう促さなければならないとある。


 バニラが何歳なのかは知らないが、見た目的には俺と同じぐらいだろう。もちろん出生届なんか出されていないし、本人も記憶喪失のためたしかな年齢は不詳。バニラの自己申告でいくらでも融通が利く。


 教育を受けなければいけないはずの年齢のバニラが、学校にも通わず平日の早朝から町中をフラフラしている。大変だ。問題だ。教育委員会に連絡して直ちに学齢簿を編製してもらわなければ。卒業後、きちんと働いて自立していけるように、得た学籍から住民票なども作製してもらわなければ──と、そのように身元を確立する。


 そんな算段だが、果たしてどこまで通じるか。

 最低でも教育委員会にはバニラを──ウサギ人間を認知される。そのうえで存在を許されるのか、許されたとしてバニラの処遇はどうなるのか。


「(…………賭けてみるか?)」


 俺は名刺に記載された電話番号に目を落とした。


「(いや……違う……もっとシンプルに考えてみよう)」


 俺はバニラの耳に目を向ける。


「なんです? わたしの耳が気になりますか? 敏感なので優しくなら触ってもいいですよ。かなたさんにだけ特別大サービスです」


「なら、お言葉に甘えて……」


 前のめりになり頭を差し出してくるバニラ。

 俺はバニラの耳に手を伸ばす。


 ──ぴょこぴょこ。


「……」


 ──ぴょこぴょこ。


「……」


 ──ぴょこぴょこ。


「ほらほらどうしたんですか、かなたさん。ウサギさんのお耳ですよ? 触らないんですか? わたしの大切なお耳を今だけ特別に触らせてあげるんですよ?」


 先ほど耳を鷲掴みにして縛り上げた時の仕返しのつもりだろうか。赤いランドセルの妖精ばりに耳をぱたぱたさせ、俺の手を回避するバニラ。どうやら耳の可動域はかなり広いらしく、機動力も抜群のようだ。


 俺は耳の根元を掴んだ。


「あっ、ちょっと! それはずるいですよ、かなたさん!」


「人間の耳がある辺り、もしくは頭の後ろに耳を垂れさせることってできるか?」


「ふえ? できますけど……」


「よし、よし……!」


「あ、垂れ耳がお好きなんですね」


 耳がそれほどまでに柔軟ならばカモフラージュは容易い。

 白い髪に白い耳はよく馴染むだろうが、それでも耳の輪郭は浮き彫りになる。だからもう少し毛量が増えてきたら、白い髪を白い耳に編み込んでそういう髪型っぽく見せよう。それまではイヤーフラップ付きの帽子やフード付きのパーカーなどが必須。


 そうと決まれば行動あるのみだ。

 思い立ったが吉日、明日やろうは馬鹿野郎、である。


「バニラ、出かけるぞ!」

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