第4話 病室にて
「………………」
──ガララ……
──ピッ、ピッ
──ピッ、ピッ、ピッ
──ピッ、ピッ、ピッ、ピッ、ピッ
「…………?」
規則的な電子音で目を覚ます。
目を開ければ真っ白な天井。
「ここは……なにが……」
俺はたしか、ヒグラシさん、タセキさん、ウサミミさんの3人と森林型のダンジョンに潜っていたはずだ。そこでフォレストウルフとワイルドボアの戦闘を目撃し、勝ち残ったワイルドボアを一心不乱に仕留めた。
そして──そうだ、アウルベア。アウルベアに遭遇した。タセキさんが森の奥に吹っ飛ばされて、ウサミミさんがあの豪腕で薙ぎ払われた。アウルベアにしがみついていた俺は木に叩き付けられ振り落とされるも、這う這うの体でフォレストウルフの魔石を喰らい、アウルベアに魔法をお返ししたんだ。
アウルベアが焼け死ぬのを見届けた記憶がある。
ヒグラシさん、タセキさん、ウサミミさんが、ボロボロになりながらも五体満足で──きちんと両足で立っていたのも憶えているが、そこまでだ。そこで意識を失ったんだ。
「はは、気絶なんて、初めてだ」
病院のベッド上で呑気に呟く。
治療費について考えたくなかった。
……と、そこでガラガラガラと、カーテンの向こうからスライドドアが開閉される音がした。スタスタと淀みない足音はこちらまで来ると、無遠慮にカーテンを開け放った。
「──姉ちゃん?」
「え──か、彼方……!?」
無作法な訪問者は〝七篠遥〟──俺の姉だった。
「姉ちゃんがなんでここに……」
「はあ!? なんでってそりゃあ、あんたが大怪我したっていうから──っていうかあんた起きたの!?」
「え、なにその反応……ちょっと待って、俺はどのぐらいここに?」
「1週間よ、1週間!」
「いっ、1週間!? 起こしてよ!」
あまりの衝撃に飛び起きる。
「寝てなさい! 起こそうとしたわよ! でもあんたずっと起きないんだもん! お医者さんはじきに目を覚ますって言うけど、あんたぴくりとも動かないんだもん! ずっとこのままなのかもって心配したんだからね!?」
バイトとかあるのに──と続けようとした俺を丁寧に寝かせながら、俺の勢いをひとつもふたつも上回る凄まじい剣幕で捲し立てる姉の目尻には、大粒の涙が浮かんでいた。
「それは……ごめん……」
「もう……あんたはあたしのたった1人だけの家族なんだから、あんまり心配させないでよね……」
「…………ごめん」
俺と姉の父と母はとうの昔にこの世を去っている。
俺にとっての肉親は姉のみで、姉にとっての肉親は俺のみ。親戚がいないわけではないが、直接的な血の繋がりがあるのは──家族と呼べるのは俺達2人だけだ。
「──ああもう、まったく……ばか! 彼方ばか! ほんとばか! なんでダンジョンになんか行っちゃうかな!? お父さんとお母さんがどうなったか忘れたの!?」
「いや……その……金がなくて……支度金目当てでさ……」
「だからって……ダンジョンなんかに行っちゃうぐらい困ってるんならあたしに言ってよ! 言ってくれたら貸したのに! ……いや、彼方がそういうの嫌がるのは知ってるけどさ、言ってくれなきゃあたしだってなんにもしてあげられないよ」
「……うん。だよね、ほんとごめん」
本当に申し訳ない。悪いことをしたと思ってる。
でもカーテンがあるってことはここは大部屋だ。
気持ちは分かるけど声量は抑えて欲しい──けれど、さすがにそんなことは言えない。
しかしそんな俺の表情で察したのか姉は言う。
「誰もいないから。大部屋ひとり占め状態だから」
「あ、そうなんだ……」
「うん。……怒鳴ったりしてごめん」
「いや、俺が悪いのは間違いないから」
「だよね」
「(だよね?)」
「……でも、ほんとに彼方が生きてて良かった」
姉はそう言って微笑み、ベッドの縁に腰を掛ける。
「そういえばさっき、ここからあんたと同い年ぐらいの可愛い女の子が出てくるの見たけど知り合い?」
「可愛い女の子?」
「透き通るようなサラサラの黒髪に、凛と赤みの差した黒眼で、肌荒れも日焼け跡もない真っ白な滑らか肌の女の子。あんたの高校の制服着てたわよ?」
「俺の知り合いにそんな美少女いないよ。たぶん病室を間違えたとかじゃない?」
「んー、まあ、そうよね。男友達とずっとバカなことやってるあんたが、あんな可愛い子と知り合いになれるわけないもんね」
「はい? 俺だってやろうと思えば──」
◆
それからしばらく、たわいのない話で面会時間ギリギリまで姉との雑談に花を咲かせた。
最近どうなの新しい友達とか彼女とかはできたの、相変わらずだけどそっちはどうなの、こっちもそんな感じだけどこの前紹介した友達は彼氏できたよ──とか、最近アレにハマってるんだよね、どこそこがこう良くてさ、あんたはなんか趣味とかないの──とか、そう言えばあのお調子者は元気にしてるか──とか、そんなとりとめのない会話ばかりだったが、傷身中のせいか、ここ数か月で最も心が安らぐ充実した時間だった。
姉がいなくなったあとの病室は、ひとりには広すぎる大部屋なのも相俟ってやけに静かで少し──いや、かなり寂しかった。
窓の外のなんでもない景色に視線を向けて時間を潰す。
やがて、春の暖かい陽射しが眠気を誘い始めた頃、密室のようで息苦しいからと開けておいたカーテンの向こうで、ドアがスライドした。
「やあ田中くん──いや、七篠くんかな?」
病室にやってきたのは、腕にギプスを着けたもりのくまさんだった。
「ヒグラシさん」
「ごめんね、病室の前に名札があってさ。ちなみに僕の名前は〝室屋日暮〟で、気合いの他責──弟は〝室屋陽斗〟だよ。弟はとあるゲームが好きらしくてね、そこのアイテムの名前から取ったんだと。僕は生き様と名前からね」
「そうだったんですね。俺は名字の〝七篠〟を〝名無しの〟に変えて、下の名前の〝彼方〟を逆から読んで〝田中〟にしただけのものです」
「安直だけど偽名としては案外ありなのかもね。最初はさ、名無しなのか田中なのかどっちやねーんって言うシュールなボケで、ツッコミ待ちしてるのかなって思っちゃったし」
「あはは……それであの、ヒグラシさん、その腕は……」
「ああ、うん、これはね、田中くんを救護所まで運び込んだあと3人でもう一度ダンジョンに潜ったんだけど、そこでちょっとヘマしちゃって──っていうか聞いてよ、田中くん! 僕達あんなに頑張ったのに結局コアはAチームが向かった方にあったみたいでさ〜……文字通り、骨折り損のくたびれ儲けだったんだよ! もう笑うしかないよね、あははははっ!」
「みんな無事だったんですね」
「うん、弟もウサミミさんもさすがに無傷とはいかなかったけど、五体満足で帰ってきた。ダンジョンも攻略されて跡形もなく消えたよ。はいこれ、素材の売却金と明細書」
そう言ってヒグラシさんが手渡してきたのは封筒と紙だった。
フォレストウルフとワイルドボア、そしてアウルベアや、俺が離脱した後に討伐したと思われるモンスター──紙には取り引きが行われた日時と場所、売却した素材の品目や個数、その単価、そして合計金額などが細かく記載されていた。
「きちんと4等分してあるけど、フォレストウルフの魔石はやっぱりワイルドボアに食べられちゃってたみたいで、どこにも見当たらなかったんだよね」
「あ……それなんですけど、俺が食べました」
「……ん? えっと……どういうこと?」
首を傾げて困惑するヒグラシさんに、俺はあの時のことを説明した。
「なるほど、このあいだ話してた『悪食』かぁ……」
「はい。最期に放った火の玉も、魔石を食べたらオドが漲ってきて使えるようになったもので、決して隠してたとかそういうわけじゃないんです」
「魔石を食べて、魔法を……」
「あの、ヒグラシさん?」
「田中くん、きみのその異能──最高じゃないか!」
鼻息荒く目を輝かせるヒグラシさんに戸惑う。
「いいかい田中くん。人間は──地球上の生命体は、大気中に漂うマナを取り込むことでオドの力──異能や魔法に目覚めた。しかし僕達はモンスターのような消化器官を持たず、魔石を喰らって自身のオドを増強することができないんだ。ここよりもマナの濃度が高い強力なダンジョンに潜るか、モンスターを倒した際にモンスターから僅かに溢れるオドを取り込むことでしか強くなることができないんだ」
「はい……」
「でも君は違う。『悪食』の異能で魔石を喰らい、僕達の数倍──いや、数十倍も効率良くオドを摂取することができる。君は『悪食』をダンジョン攻略には何の役にも立たないと言っていたけど、寧ろその逆だ、『悪食』は腐ったパンや毒キノコを安全に食べられることなんかより、ダンジョン攻略でこそ真価を発揮する! 僕達には到底真似できないこと、君にしかできないことだ!」
「俺にしか……できない……」
そう言われると心が揺らぎそうになるが、やはりダメだ。
俺がダンジョンに潜ると悲しむ人がいる。
俺がこの命を危険に晒すと姉が心配する。
父と母はダンジョンで命を落とした。
俺が同じ轍を踏むわけにはいかない。
大切な人を泣かせるわけにはいかない。
それに元々、支度金を手に入れたらダンジョン稼業からは足を洗うつもりだったんだ。これを最初で最後のダンジョン攻略にするつもりだったんだ。
いまさら『悪食』の可能性が開拓されたところでそれを変えるつもりはない。
上手くやれば探索者として成功を収められるのだろうが、だとしても俺だって痛いのや怖いのはもう嫌だ、懲り懲りだ。意識なんて失いたくない。
いままで通り腐らせて、腐ったものを食べることにだけ使えばいい。食費が浮く、節約できる、それだけでもう十分だ。