第1話 ダンジョン
──ピピピ
──ピピピピピ
──ピピピピピピピ
「う……る、せー……」
アラームの音で目を覚ました俺は唸りながらスマホを探り当て、目の前に運んだところでようやく目を開けた。
「なんでアラームなんか……」
今日は休日、日曜日。
学校は休みだし、バイトは夕方から。
寝惚けた頭で設定を間違えたかと疑うも、同時に覚醒していく頭がそれを否定する。
「あ、そうだ、ダンジョン……」
呟いて大きく欠伸をして体を伸ばし、2度見する。
「ん!?」
表示されている時刻は9時ちょうど。
ダンジョン攻略開始時刻は9時30分、集合時刻は9時20分。
財布は貧しいが心には余裕を持って裕福に──がモットーである俺はこんなギリギリにアラームを設定しない。つまるところ、やはりアラームの設定は間違っていたのだ。本来8時のところを9時に設定してしまっていたのである。
「まだ間に合うか!? いや、間に合わせる!」
俺は飛び起きて服を脱ぎ去り、消費期限間近で格安だった数週間前の菓子パンを頬張り、これまた期限切れの牛乳で流し込む。顔を洗う暇も歯を磨く時間もないため、着古した服に身を包みボロアパートを出る。そして駐輪場の自転車に跨り、現地に急行した。
◆
「はぁ、はぁ……うっ……ぼえぇ……」
近くの有料駐輪場に自転車をとめ、そこから全力疾走。
息は切れて汗はだくだく。寝起きの人間には酷な仕打ちだが、時間を間違えた俺に責任はある、文句は言えない。
スマホを見れば時刻は9時22分、2分もの遅刻だ。
周囲は厳重な通行規制がなされており、防弾チョッキやらモンスターの素材製と思われる革鎧などで武装した者が多く、私服そのものな装いの俺は場違いなほどに浮いていた。
俺はその中からスーツを着込みクリップボードを手にした人物を──目立ちの同類を探し出し、飛び付くように声をかけた。
「す、すびばぜん遅れましたっ……七篠彼方ですっ……!」
「七篠彼方さんですね。えーと……あれ? もう一度お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「え? あっ! 名無しの田中です!」
「名無しの田中さん──はい、確認がとれました」
俺のような無名探索者であれば縁のない話だが、有名な探索者になればそれだけ稼ぎも増える。そしてその分、不埒な輩に狙われたりするリスクも増える。
素材買取額が低下したとは言っても、危険なダンジョンで強力なモンスターを安定して倒せる有名探索者ともなれば、供給の追い付いていない未だ高額な素材を持ち帰ることができるわけだから、そりゃあそうだ。
モンスターを相手に命を懸ける探索者は路上強盗などにはめっぽう強いが、ダンジョン攻略に出掛けている間に空き巣に入られたりするケースが相次いだため、身元バレによる余計な犯罪被害を防ぐため、探索者登録には〝名無しの田中〟のような偽名が推奨されているのである。
「ダンジョン攻略は……初めてですよね?」
「は、はい」
「では簡単に説明を。まず第一に、本ダンジョンのランクはFですが、万が一の事態を想定して政府は遺書の作成を推奨しています。ランク不相応なモンスターの出現など、予想外の事態が発生した場合は帰還しても構いませんが、見ての通り交通規制が敷かれているため、やむを得ない場合を除いて離脱は控え、早期踏破を心掛けてください。次に支度金ですが、持ち逃げを防ぐためダンジョン内での死亡が確認されるか、ダンジョンの踏破が確定された時点から数日以内に振り込まれます。そして武器や防具の貸し出しについてですが、著しく破損していた場合のみ弁償という形で使用料金を請求させていただきます。……ここまででご質問はありませんか?」
「えっと、レンタル自体は無料っていうことですよね?」
「はい。ですが、武器にしろ防具にしろ使えば損耗しますので修繕費はかかってしまいますね」
「あー……なるほど」
「(聞かれた時だけ答えるようにしてるんだろうなぁ)」
「他にご質問はございますか?」
「いえ……」
「では続いて、ダンジョンの攻略を行うチームについてですが、事前に申告いただいた情報を元に戦力が偏らないよう、1チーム4人編成としてこちらの判断で人員を割り振っています。現場での判断は原則として、チーム内で最も探索者ランクが高い方に一任してください。人格に問題のない方がチームリーダーになるよう割り当てていますが、チームメンバーの多数が不満を訴えている場合は協議の末、穏便に新しいリーダーを決めてください」
探索者ランクとはその名の通り探索者の等級を示すもので、最低ランクのGから最高ランクのAまである。
空間の歪み──異界の扉であるダンジョンにもその規模からランクが設けられており、今回俺が潜るダンジョンはFランクで、これが初めてのダンジョン攻略である俺の探索者ランクは当然ながらGである。
自分のランク以下から1つ上のランクのダンジョンまでしか潜ることができないため、俺はギリギリこのダンジョンに潜れるわけだ。
ちなみにダンジョンのランクに応じて支度金の額も変わってくる。Gランクダンジョンは1万円、このFランクダンジョンは2万円──と、基本的にランクが1つ上がるごとに1万円ずつ増えていくようになっているが、さっきこの人が言ったようなランク不相応なモンスターの出現など、人命に関わるイレギュラーな事態が報告された場合は上振れる。
「強力なモンスターによる一網打尽、消息不明を防ぐため、AからDにチームを分割し、逐次ダンジョンに突入していただきます。名無しの田中さんはDチームになります」
そう言って手で指し示すのは、男女3人の集まり。
「説明は以上となります。質問等がございましたら遠慮なくおっしゃってください。それではどうかお気を付けて。健闘をお祈りしております」
どうもと頭を下げて、伝えられたチームメンバーの元へ駆け寄り、ぺこりぺこりと平身低頭で挨拶をする。
「遅れてすみません、名無しの田中です。よろしくお願いします」
ダンジョン攻略においてチームメンバーとは自分の命と武器の次に大切なもの。なにせ自分の命を預けるわけだから、信用が何よりも大事なのだ。
時間にすらいい加減な奴を信用などできるだろうか? 俺ならできない。だからこそしつこいぐらいにごめんなさいと謝り、誠意を示さなければいけないのである。
「まあまあ、そう謝らないで。せっかくチームになったんだし仲良く友好的にいこうよ。──僕は〝その日暮らしで泣くことに〟気軽にヒグラシって呼んでね。こっちの無愛想なのが弟の──〝気合いの他責〟こんな名前だけど、気合いを入れなきゃ人に責任を擦り付けられないような奴だから安心して。それで、そっちの彼女が──」
「……〝兎耳好き〟よ」
「可愛らしい名前の割にはクールビューティな感じだよね」
ヒグラシさんはそう言って人の好さそうな表情で笑うが、背も高く肩幅も広く筋肉もムキムキでTシャツもパツパツで、なんだか──もりのくまさんって感じがする。
タセキさんは朗らかなヒグラシさんとは対照的に隙がなく、まだ声すら聞いていないのもあって取っ付きづらい印象を受ける。
ウサミミさんは──なんというか警戒心を隠そうともしていない。遅刻してきた俺はともかく、ヒグラシさんからすらもその鋭い観察眼を外さず、身を守るように腕を組んで物理的な距離感も一定で、兎というよりは猫のようだ。見たところ年齢は近そうだし分かり合えそうな気もするが……いや、どうだろう。
「みなさん、今日はよろしくお願いします」
「うん、よろしく。ちなみにリーダーは僕ってことになってるけど、やってみたいとかある?」
「今日が初めてのダンジョン攻略なので経験者の方にお任せしたいです」
「あぁ、そうなんだね。わかった、じゃあこのまま任されようかな。緊張しなくて大丈夫だからね。僕らは最後尾だから、相手するのと言えば、手負いか討ち漏らしだけだから。気楽にね」
「はい!」
変な名前の割にはいい人だ。
決して口には出せない評価を抱きながら辺りを見回すと、ダンジョンの入り口が目に入った。
探索者登録の際に用いたスマホのアプリで見たことはあったけど、実物を目にするのは初めてだ。
縦幅が2メートル、横幅は70センチほどだろうか。人ひとりがちょうど通り抜けられる扉のようなサイズ感で、向こう側──ダンジョン内部の景色が見えている。
森林だ。木漏れ日が射し、木々や草花が鬱蒼と生い茂っている緑豊かな森。
草原や洞窟、雪原や砂漠、遺跡から城塞など、ダンジョンの形は多種多様で、環境によって生息するモンスターの種類も変わってくる。
森林であればフォレストウルフと呼ばれるオオカミ型のモンスターや、イノシシ型のワイルドボア、フクロウの頭にクマの胴体をしたアウルベアなどが出現する。
そんなダンジョンは、段階を踏んで成長する。
第一段階が亀裂。
空間に裂け目が現れる。この時はまだ無害。
第二段階が拡張。
亀裂が裂けて徐々に広がっていく。目の前のダンジョンがこれだ。このフェーズでダンジョンを攻略できなければかなりまずいことになる。
第三段階が氾濫。
円形に開き切り、穴となったそこからモンスターが傾れ込んでくる。先人達の尽力により情勢が安定した今となっては、ダンジョンがここまで成長することは非常に稀だ。
第四段階が連鎖。
第三段階で溢れた知性を持つモンスターが意図的に地球上に満ちたマナの流れを狂わせ、第一、第二段階をすっ飛ばして第三段階のダンジョンを連鎖的に出現させる最悪の事態だ。過去に一度だけ発生した。今は亡き英雄達の死力がなければ人類はここで滅亡していた。
第五段階が崩壊──そして再生。
これはあくまで可能性の話だが、このフェーズになると地球文明はダンジョンという異界に呑み込まれて終わりを迎え、モンスターを主軸とした新たな世界が始まると言われている。
俺が産まれてから第三段階を迎えたことは国外で数度あった程度なので、正直、連鎖だの崩壊だの再生だのと言われてもあまり実感が湧かないが、ダンジョンに潜ってモンスターと対峙してみればそんな認識も変わるのだろうか。
そんなことを考えていると時刻は9時30分。
ダンジョン攻略の開始時間を迎えた。
さきほどのクリップボードを手にしたスーツの人──胸ポケットの名札曰く〝鈴木〟さんがダンジョンの前に立ち、拡声器で注目を集める。
「それではこれより識別コード、JP281451の攻略を開始します。Aチームの方はダンジョンへ進入してください」
鈴木さんの合図と共にAチームの4人がダンジョンへ──何の変哲もない市街地に生じた森林世界へと足を踏み入れる。
ちなみに識別コードとはその国のドメインから始まり、その国での発生が確認された順にダンジョンに割り振られる番号のことだ。つまりこのダンジョンは281,451番目の日本のダンジョンということになる。
単純計算で年間1400件ほどダンジョンが発生していることになるが、200年前の隕石襲来時からダンジョンの出現頻度は徐々に低下しているため、今では1日に2〜3件ぐらいのペースだ。
「田中くん、武器とか防具はレンタルしないの?」
鞘に納まった長剣を背負ったヒグラシさんがそう訊ねてくる。言われて見てみれば、タセキさんとウサミミさんは幅広の剣を腰に提げていた。
「お金がないので……一応、包丁とか鉄パイプは持ってきてますけど……やっぱりモンスターと戦うには頼りないですよね」
ベルトに包丁。リュックサックの中に鉄パイプ。
ダンジョン攻略に本気な探索者は免許を取って銃を持ち込んだりするらしいが、これが最初で最後のダンジョン探索にするつもりの金欠な俺には、これが最大限の努力だった。
「まあ、そうだね。小型の野生動物とかならまだしも、モンスター相手にそれじゃあ厳しいかも。僕の予備の短剣でよければ使うかい?」
「え、いいんですか?」
「どうぞどうぞ」
「すみません、ありがとうございます」
「(遅刻した上に武器まで借りてしまうとは……)」
俺は己の不甲斐なさを恥じながらヒグラシさんから差し出された短剣を謹んで受け取る。
予備とは言っていたが、重厚感は包丁とは比べ物にならない。刃物の良し悪しなんて分からないが、使い込まれた革製の鞘も、そこに隠れた刃も、見るからに上質だ。
探索者にとって武器は命に直結する要素だ。
どんなに良質な防具を着込んでいても武器がなければ眼前の敵に抗えず、ただ嬲り殺されるだけ。だが武器があれば抗える。武器とは命も同然なのだ。
流石の俺もこんないい人に寄生するなんてできない。
自分の命を、仲間の命を守り、戦うための武器も貰ったのだから、戦わなければいけない。
心を入れ替えた俺は短剣を握り締め、その時を待った。