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無職

作者: くるっぴ
掲載日:2025/12/22

昨日はカーテンを閉め忘れた。

陽の光が僕の部屋全体を照らしていた。

それは勿論僕の顔にも降りかかっていて、瞳の奥がむず痒い感覚に陥った。

まだ目を覚ましたくない。まだ夢を見ていれば、憂鬱な朝はやってこないのに。

なのに自分の意志とは反して、勝手に瞼は開いてしまった。


今日もまた朝はやってきてしまった。

その事実から逃げることもできずに。拒むこともできずに。


いつ頃付いたのかも、よくわからない天井のしみだけが視界に入った。

今日もまた一日が始まってしまうのか。


雑に自分に掛けられた毛布が重りのように僕の身体を縛り付けた。

けれどそれはこの時間になってまで起きない選択をする理由にはならなかった。

ぼやける視界で近くに置かれたアラーム時計を眺めるともう正午を過ぎていた。


浴びるように酒を飲んだ時の後味の悪さが頭を犯し、胃の中を気持ち悪くさせた。

でもその僕のありふれた気持ちに共感してくれる人は誰もいない。

誰もかれも僕の隣は気に入らないみたいだ。


いつも通りゴミだらけの部屋の中で目が覚めた。

余所行きの恰好とも言えないしわのついたパーカーを身に着けていた。

僕が今着ているのは昨日の酒の香りが染み込んだ灰色のパーカーだけ。

でも僕はその匂いが自然と心地いいのか、風呂に入りたいとは微塵も思わなかった。


二階の部屋から足を進ませ廊下へと出て、下界へと繋がる段差を一段ずつ踏みしめた。

重い足取りで台所に到着した僕は

長年の運動不足で筋肉の衰えた腕を振るわせて冷蔵庫の扉を開いた。

睨むような視線で冷蔵庫の中を眺めていると、あるパッケージが見えた。

それはプロセスチーズのパッケージだった。

今日は豪華な晩酌になりそうだった。

僕は冷蔵庫の扉の裏に置かれていた大量の缶ビールを一本手に取り、冷蔵庫の扉を勢いよく閉めた。

手に取った缶ビールは氷のような冷たさで、僕は微笑みが抑えきれなかった。


同居人にバレてしまわないように素早く階段を駆け上がり部屋の扉を閉める予定だったのだけれど、

ツンと刺す匂いが僕の鼻をくすぐった。

何か生臭いような空気が、リビングの方から波のように流れてきているようだった。

一体何の匂いなのだろうか、興味が湧いた僕はリビングの方へと足を進めた。

と、見せかけて、Uターンで自分の部屋へ走り出した。


リビングに行けば、きっと同居人がいるだろう。

両手には缶ビールとプロセスチーズ。

このままリビングへ行けば冷蔵庫から食料を盗んだことがバレてしまう。

気づかれてしまうと、とても面倒くさい。

それならこのまま部屋に戻った方が賢明だ。


部屋に入った瞬間、すぐに部屋の鍵を閉め調達品とともにベッドへとダイブする。

やはり、僕の居場所はここにしかないのだ。

ベッドに寝転んですぐプロセスチーズのパッケージを破り、

缶ビールを開けるときのプシュッという音に快感を覚えながら、

僕は平日の真昼間であるのにもかかわらず、時間に似合わない晩酌を始めた。

二日酔いに追い打ちのように体にアルコールを注ぎ込んだせいだろうか。

僕はすぐに眠たくなってしまい、記憶を失ってしまった。


次に目を覚めた時には、外はもう暗くなっていた。

もう夜になってしまったのか。

普通の人なら惰眠を貪っただけで一日を無駄にしたと後悔するところだけれど、

酒を飲んだ僕にはその事実は効かない、まるで無敵の気分だった。

なのにもかかわらず、心の奥底はなぜこんなにも惨めなのだろうか。

僕の微かな心の断片が、酒に溺れることなく涙を流していた。

なぜだろうか、意味もなく心の底から叫びたい気分だった。

この溢れ出る不安を誰かに理解してもらいたいと愚かにも思ってしまった。

しかし、この僕の気持ちに共感してくれる人など、何処にもいなかったことを、

アルコールのせいで回らない頭で思い出した。


僕の瞳から水が一滴落ちた。


こんな惨めな気持ちになってなお、お腹が鳴る音が聞こえる。

人間として真っ当な生活をしていないのにもかかわらず、人としての欲求は人一倍に持っていた。

その恥ずべき矛盾が僕の心を締め付け苦しくさせた。


いつもなら夜ご飯を僕の部屋の前に同居人が置いていてくれているはずだったのだけれど、

なぜか今日は置かれていなかった。

どうしてなのだろうか、そんな考えが頭をよぎるよりも先に部屋の扉を開くと、

胃が気持ち悪くなるような匂いが鼻に纏わりついた。

その匂いはまるで腐った豚肉のようで、血生臭い匂いだった。


匂いに耐え切れなかった僕は、部屋の扉を閉めた。

その匂いの正体を突き止める気力すら、今の僕には持ち合わせていなかった。

そしていつも通りベッドに飛び込んで寝転んだ。

この場所に居るときだけは、すべてを忘れられるような気がした。


僕の父親は三歳の頃に病気で亡くなった。

母親はシングルマザーで一生懸命俺を育ててくれた。

俺はそんな母親を尊敬すると同時に恩返しがしたいと思った。

公立の小中高と順調に進学した。僕は皆勤賞だった。

風邪をひいても熱を出しても病院にも学校を休んだりもしなかった。

毎日仕事が終わり疲れたように家に帰ってくる母親を家に迎えていれば、

自然とそれが当たり前だと思うようになった。母親が仕事を休んでいるところを見たことがなかった。


僕は母親に楽をさせてあげたいと思った。

だから僕は必死に勉強した。

月に貰える2000円のお小遣いを全て文房具や参考書の購入費につぎ込んだ。

だから友達と遊ぶ金なんてなかった。人間関係なんて上手くいった試しがなかった。

人と仲良くなるためには多少の金が必要だった。僕にはその金すらも持ち合わせていなかった。

それでも僕はまったく惨めにならなかった。だって僕には目標があったから。

いい仕事に就いて、母親を楽させてあげるのだと。

僕は決意したはずなんだ。


そして僕は大学受験に合格した。

第一志望の大学に合格して、これで母親を安心させてあげられると。

しかし、現実は残酷だった。

奨学金を使った上、母親の金を食い潰して無理やり大学へ進学したにもかかわらず、

僕は卒業間近、たった一社の内定すら取れなかったのだ。


そこら辺の仕事じゃ満足できないと、大企業の会社ばかり狙った。

それが失敗だったのだ。僕なんか雇ってくれる会社はたったの一つもなかった。

何百社の審査を受けて、すべて不合格の烙印を押された。


僕はきっと人と会話することが向いていなかったんだと思う。

面接で一度も円滑に言葉を話せたことがなかった。

僕は人とまともなコミュニケーションが取れないんだ。


僕が何処にも就職ができなかったことを聞いた母親は泣いていた。

僕が何もできなかったから。何も成すことができなかったから。

母親に失望されたのだと思った。

だから僕は自分の部屋に閉じこもった。


昔を思い出している間、涙は乾いて跡を残していた。

今までの僕は何をしていたのだろう。

毎日部屋に引きこもって、母さんに迷惑ばっかり掛けて。

今まで僕が失った時間の分、貰った恩を母さんに返していかないといけない。

そのために僕はこれから生きていくんだ。

引きこもるのはもうやめだ。明日から僕は外に出るんだ。

そして仕事に就いてお金を稼いで、そして母さんを楽にさせてあげるんだ。

死んだように生きていた僕の人生が今日から変わるんだ。


僕はただ窓の外を見つめていた。

今日は満月だった。


母さん、ごめん。

今まで僕が失った時間を取り戻すために。

まだ間に合うかな、僕が母さんを幸せにしてあげるから。


そして僕は、部屋の扉を開いた。

家中には血生臭い匂いが充満していた。

ところで、この匂いは何なのだろうか。

何かが熟成されたような、変な匂いだった。

僕はこの匂いの正体を突き止めるためにリビングへと足を進めた。


後悔したときにはすべてが遅かった。

僕は間に合わなかったのだと。

その事実だけが僕の目前の景色に突き付けられた。


幸せはいつも僕の先を歩いていた。

いつになれば、僕は幸せになれるのだろうか。

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